第35話、きっと、出会ったその瞬間に白い旗をあげていたのは……
「にゃーん」
ふと聞こえてきたのは、腕の中の白猫さんの声。
顔を上げれば、いつの間にやら港町へ入っていたらしい。
広場のような場所に、何やら人だかりがある。
やってきたオレたちに気付くものはいない。
背中を向けているということは、その先に何かあるのだろう。
何だかちょっと尋常じゃないくらい物々しい雰囲気だ。
人垣に割って入るように覗き込むと、その日にあった出来事や、事件、探し物や仕事の求人などが事細かに書き込まれた看板がある。
ユーライジアにもある、日毎置き変わるそれ。
つまり、今日こんなたくさんの人が集まる何かがあったってことなんだろう。
「すいません。何かあったんですか?」
「何かって、アンタ知らないのかい? ユーライジアの至宝、カリス・カムラル様がお亡くなりになったのよ! もう国中……世界中が大騒ぎさ!」
「……え?」
興奮した様子の話し好きそうなおばさん。
知らなかったことにさえ、理不尽な怒りがそこにある。
だが、その事に恐縮するよりも早く、オレにはおばさんの言葉が理解できなかった。
いや、理解できないなんて言葉ですまされるレベルじゃない。
だってカリウス・カムラルは今ここにいるのだから。
「そんな、馬鹿な! 嘘だよっ」
オレはそれを一笑に伏し、否定しようとする。
「嘘なもんかい。誰かに殺されたんだって、町中の噂さ。世界で一番安全だって言われてるスクールの中で。しかも、その犯人は逃走中で……」
だが、それは叶わない。
不自然に止まる会話。
おばさんが、じっとオレを見ている。
ノヴァキの姿をしたオレを見ている。
「あ、あんた、まさか……」
引き攣るような声。
彼女が手に持つものは、人相書き。
そこには確かに、ノヴァキその人の顔があって。
大きな見出しで、カリス・カムラル殺害の容疑者、逃走中につき発見した方は至急ご連絡を、なんて書かれていて……。
「ち、違う、オレじゃない!」
オレはそう叫び、駆け出していた。
それはオレじゃない。ノヴァキだと。
今オレの身体の中にいるのはノヴァキなのだと。
つまり殺されてしまったのは……ノヴァキなのだ。
オレの代わりにノヴァキが殺されたんだ。
だからオレじゃない。
ノヴァキに背を押されたオレが、そんな事ができるはずはないのだ。
「……まさか」
ノヴァキはそれをすべて知っていてオレを水の中に突き落としたのだろうか?
オレと身体を交換することを許可したのだろうか。
オレを助けるために、オレが狙われていると知っていて?
そう思うといてもたってもいられなかった。
「そんなの、ふざけるなよっ」
ノヴァキの元へと急がなければ。
ただその事だけをオレは考えていた。
他の事は、もうどうでもよくなっていて。
心が、沸騰していた。
熱く熱くなって、理性失うように。
背後で騒ぎが起こったような気がしたけど構わずに、再び駆け出す。
ただ、妙に身体が軽くなるのを感じていて……。
※ ※ ※
それからは、どう行動したのかすらほとんど記憶にない。
奇跡とも言われる空を舞う魔法でも使ったのか、やってきた虹の泉で戻ったのか。
とにもかくにも、オレに起こった冗談ではすまされない出来事をひたすら否定したくて、オレはノヴァキの元に向かっていた。
目の前に提示されたものがあまりにも大きくて、オレは受け止めきれていなかったんだと思う。
例えすべてが冗談でも、ノヴァキがオレの身代わりとなって死んでしまった、なんてことはあってはならない。
ノヴァキがカリウス・カムラルとして死に、オレはノヴァキとなって自由を約束され、生きる。
そんな都合のいい……心のどこかで望んでいた本当の本当の夢が叶ってしまったなんて認めるわけにはいかない、許しちゃいけない。
オレのその邪な欲望を、ただノヴァキに、切って捨てて欲しくて。
「待ってくれ! 駄目だ!」
カムラル家、火の教会。
赤く紅く燃えている。
死者を死後の世界へと送る聖なる火が、大きな大きな釜の中、そら恐ろしい舌を這いずりさせるようにして、燃えている。
その前には小さな棺。
たくさん人に囲まれている。
今まさにその蓋が閉じられようとしている瞬間で。
すぐにその中にノヴァキがいると分かった。
そこかしこで上がる嗚咽、号泣。
まるで国が泣いているかのように、それは辺りを覆う風となっている。
みんな泣いていた。
アルもサミィも、ラネアさんもケイラさんも。
マイカもルレインもルコナもタインもルッキーも。
会ったばかりのキミテでさえも。
そんな中、オレの叫び声だけが滑稽に……空しく響く。
その声に最初に反応したのは、棺のすぐ側にいたサミィだった。
泣きはらした目。
初めは驚愕。
だがそれは、すぐにオレが初めて見る類の、苛烈なものに変わる。
それはとてつもなく怖いもの。
怯み、固まる身体。
だけどこっちだってここで諦めるわけにはいかなかった。
腕輪、腕輪があればオレはオレの身体に戻れるはずで。
ノヴァキがオレのとばっちりを受けて死ぬことなどないのだ。
オレはそんなサミィを見ないようにして棺に近付く。
たくさんの花と死化粧。
死因は分からない。
ただオレ自身でも分かるくらいに安らかな死に顔を浮かべているオレの顔。
わけが分からなくなって混乱しかけたけど。
「どうしてっ? 何で無いんだよっ!」
衝撃は別にあった。
そこにあるはずの腕輪がない。
折れそうな白い手首には、何もなかった。
いや、そんな事は二の次だ。
ノヴァキ自身か他の誰かかは分からないけれど、まずはどうして腕輪を外したのにノヴァキはノヴァキ自身の身体に戻ってこないのかを、考える。
「そうか、オレがつけたままだからか……」
オレは至極単純なその原因に思い立ち、自らの腕輪を外す。
すると案の定、視界が霞みぐるぐると回りだし、自身の身体へ吸い込まれていって……。
ババチィッ!
「ぐっ?」
何かの壁に弾かれ、しびれるような感覚。
どよめく周り。
気付けばオレは、ノヴァキの身体のままで呆然と尻餅をついていて。
「どうして今になって!」
危険なものだってことは十分に理解していたから、身体に戻るときの手順は何度も試したはずだったのに。
一体何がいけなかったんだろう?
いや、原因は予想がつく。
腕輪をノヴァキが先に外してしまったからだ。
このままじゃ、オレはオレの身体に戻れない。
本当にノヴァキが死んでしまう!
「なあ! これと同じ腕輪をしてただろ! 誰が外した! どこにある!」
オレは、すがり付くようにサミィに詰め寄ろうとした。
びくりと身体を強張らせたサミィは、何かを口にしようとしたが……。
バキッ!
「……うぐっ」
横合いから物凄い衝撃。
その力に従って、オレは吹き飛ばされ、地面に転がる。
「てめえ、いい加減にしろよ、ちったぁ場をわきまえろ!」
「レイ!」
「うるせえ! 今までどこに隠れてたか知らねえがこんな時になってノコノコ表れやがって!」
いつものらりくらりと、穏やかなはずのルレインの涙ながらの激昂。
泣き顔のルコナがそれを止めようとするも、聞く耳を持っていないようだった。
オレはそこでようやく、自分がルレインに殴られたのだ、ということに気付く。
それは当然、初めての触れ合いだった。
状況が状況でなければそれはある意味憧れていたものの一つではあったけれど。
焼けるほどの理不尽な痛みは、それまで燻ることもほとんどなかったオレの怒りに火をつけた。
知らず知らずのうちに拳を握り、食ってかかろうとして。
「もうやめて! カリスを! カリスをこれ以上苦しめないでっ! ……やっと、やっと重荷がなくなってゆっくり眠れるのに……そんなのってないよ!」
悲痛なサミィの慟哭に、オレとルレインの身体は動かなくなる。
「すまん。あいつはこういうの一番嫌いだったもんな……」
肩を落とし、オレから視線を外し一人納得してサミィに頭を下げるルレイン。
オレはオレで心中複雑だった。
オレが心内にだけ抱いていたものがサミィに気付かれていたその事実と。
それでも今、オレ自身がここにいることにサミィですら気付いていない、ということに。
どうやら賭けは、ノヴァキの勝ちらしい。
その時オレの心内にあったのが、気付かれなかったことへの寂しさや悲しさばかりでないことが余計に身体を硬くさせていて。
「……腕輪はしてなかったわ。私たちが発見した時は」
その代わりに、アルが今まで聞いたこともないような声色で、オレの疑問に答えてくれる。
「そう、ですか……」
誰かが腕輪を外したわけじゃない。
となると腕輪はどこにいったんだろう?
変わらぬ疑問がそこにはあって。
ふらふらとオレは、再び自分自身の死に顔を見据える。
「ここしばらく、この子は本当に幸せそうだった。ほら見て、信じられないくらい満足そうな顔をしてるでしょ? 私たちの気も知らないでっ」
心落ち着かせる、柔らかな柔らかなアルの声。
それもすぐに嗚咽に変わる。
確かにその死に顔は、こっちが恥ずかしくなってくるくらい満足げで。
(そうか……)
オレは気付かされる。
ノヴァキはノヴァキの意志で、腕輪を外したんだってことを。
オレを、オレの魂を助けるために。
やっぱり、ノヴァキはオレが死ぬような目に遭うかもしれないってことを、知っていたのだ。
思えば、そんな素振りも確かにあったような気がする。
だからノヴァキは、満足げなのだろう。
自分の命を懸けた企みがうまくいって。
「だから今はただ見送ってあげて。この子の笑顔が曇らないように……」
「……はい」
本当ならば。
止めなければならないはずのアルの言葉に、頷いてしまった。
何もせずに、自分の身体が焼かれるのを見ていた。
それはオレを……ノヴァキを殺した何者かを探し出すために必要だったからだって言い聞かせていたけれど。
本当は違う。
本当は止めたくなかったんだ。
だって、ノヴァキとしてここにいる自分こそが、オレが求めていた夢であり自由そのものだって、気付いてしまったからだ。
故に涙は出なかった。
その全てが凍り付いてしまったかのように。
涙を流す資格などない。
オレは、願ってはいけない願いを叶えてしまったのだから……。
(第36話につづく)
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