第33話、わたしにとってそれは、天国から地獄への道行きでもなんでもなく……。
ずっとずっと続く真っ直ぐの道。
一体どれくらい歩いただろう。
だんだん大きくなる水の音。
すでに轟音と呼べるそれに、正直びびっている自分を隠しきれなくなった頃。
ふいにノヴァキは、口を開いた。
「カリスは水が怖いって言ってよな」
「え? う、うん。小さい頃に何かあったとか、そういうわけじゃないとは思うんだけど、やっぱりカムラルの家の子だからなのかな。怖いっていうか、うん、やっぱり怖いんだと思う」
何もかも洗われて流され晒されて、攫われてしまう気がして。
「それじゃ、風呂はどうしてるんだ?」
「風呂? 別にどうもしないけど。水とお風呂は違うでしょ? ……ああでも、自分の部屋にあるのしか使ったことないけど」
自室内にあるお風呂は自分だけの世界だ。
だから怖くない。安心できる。
「……確かに、身の回りで使う水と自然のものは別物か」
「ああ、でも、うちってオレとサミィだけの手洗い場があるんだけど、それはちょっと怖いかな」
「すまん。意味が分からない」
オレがノヴァキの言葉に訂正を入れると。
本気でわけが分からない、といった顔をするノヴァキ。
何でこんなこと分かんないのかなってちょっと思った。
オレは口を尖らせ、それを言葉にしようとして……。
ゴウゥゥゥッ!
「……っ!」
急に視界が白け、広がった気がした。
水の轟音もとにかく近い。
思わず立ちすくみ、口を噤むオレ。
ずっとまっすぐ続いていると思われた道。
急激に右に折れている。
いよいよ震えの止まらなくなりながらも。
恐る恐るカンテラのある方の手を上げてみれば。
前方は流動する壁……いや、そうじゃない。
天井から流れ出る怒涛の水が、断崖となるその先に落ち込むことで水のカーテン……所謂裏見の滝を作っていたのだ。
「うわぁ」
怖いもの見たさと言うか、危険なものだからこそ吸い寄せられるというか。
何だかんだいって好奇心のほうが勝っていたのかもしれない。
側まで近寄って恐る恐る下を覗き込むと、暗闇ばかりでしたは見えなかった。
ただ、滝が結構な深さがあることが、しぶく水滴で何となく分かるくらいで。
「……海水だ、しょっぱい」
カンテラとは逆の手でしぶく水を掬い取ってみれば、確かに塩辛い味がする。
ほら、やっぱりオレの考えは正しかった。
ここは海の底にある洞窟で、きっと海の向こうの大陸まで続いている。
そう得意げに、ノヴァキに伝えようとして。
「ごめんな。……俺の身体なら水には強いはずだから」
背後ごく近くから聞こえる、手にかかる幼い子供をあやすみたいな優しく柔らかい声。
相反していつの間にやら失っていた手のぬくもり。
「……っ」
オレは振り向けない。
ノヴァキの言っていることが理解できなくて。
ただ不安で。
どんっ!
背中に強い衝撃。
オレは抵抗すらできなかった。
よけることすらできなかった。
……だって、信じていたから。
信じられなかったから。
ノヴァキが、そんな事をするわけないって。
オレを轟音響く闇の向こうに、突き落とすなんてあるわけないって。
そう思っていたからだ。
水は苦手だってそう言ったのに。
投げ出されるオレの身体。
カンテラが先行し、黒い恐怖にのまれ消えてゆく。
オレは振り向くこともできないままに。
その後を追った。
……それが。
永遠の別れであることなど、気付きもせずに。
ただただ混乱の海におぼれ、染みゆくように。
闇の中、獰猛な水の息遣いだけが聞こえる。
怖かった。ただ怖かった。
水に攫われ、暴かれる自分が怖くて。
必死の身体を丸めようとする。
(ああ、でも……)
今はノヴァキなんだ。
オレは今ノヴァキの身体を借りている。
それに気付いたとたん、強い安堵感がオレを包んだ。
今まであった恐怖も薄らいでいる。
ただそれでも、魔人族とて水の中で生きられる種ではないんだろう。
ぐるぐると回る視界と、あちこちにぶつかる衝撃とともに、だんだんオレの意識は朦朧としてきて。
(あれ、あの光って……)
オレが意識を失うその瞬間。
おぼろげに見たものは、どこかで見覚えのある、そんな色の光で……。
(第34話につづく)
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