第8話、代々続く一族の柵に対する愚痴は、きっと筒抜けで
「カリス、もう終わりましたよ」
「……あ、うん」
オレは、再びサミィの声で意識を呼び起こされる。
虹の渦をずっと見ていられなくてぎゅっと閉じていた瞳を開けると、そこには橙に染まる空間が広がっていた。
足元には、赤煉瓦の地面。
橙の中空をバックに、浮かぶ赤煉瓦の塊でできた階段が天まで続いている。
その階段を昇りきれば、母さんがいる。
「相変わらず慣れませんね、カリスは」
「いや、だって。目を開けてまだ時のはざまだったりしたら怖いじゃんか。怪物が口を開けて待っていたらイヤだろ? 今まではたまたまうまく言ってるけどさあ、何かオレだけその資格ってやつをいきなり失ったりしそうでさ」
サミィのちょっと呆れたような言葉は、サミィに声をかけられるまでオレが目を開けようとしないからなんだろう。
何だかどっちが年上か分からなくなって、照れ隠しするみたいに、オレはそんな事を口にする。
「そんな事あるわけないでしょう。めったなこと言わないで。言葉にして表わすと本当になってしまいます、よっ」
「お、おふ。……ごめん」
何気なくの言葉に対してサミィがしたことは、両側から叩くみたいにオレの頬をその手で包んだことだった。
サミィの口にしたことは、魔法の原点だ。
その口調はやけに真剣で。
その状態のままに平謝りする。
「なに? キス? キスするの?」
……と。
その時横合いからかかってきたのは、心底楽しそうな、からかうような女の子の声だった。
「なわけないでしょう。いきなり現れて開口一番それですか、アルは。まったく」
何故だか知らないけど、パチンと一度オレの頬を叩いたサミィは、呆れたようなため息をつく。
ぬくもりの残る頬をさすりながら声の主のほうを見やると、そこにはオレやサミィの妹だと言っても通るだろう、赤髪赤目の可愛らしい女の子が、その見た目に合わぬ笑みを浮かべてこちらを伺っていた。
「おはよう、アル」
「おはようございます」
「おはよ~。カリスちゃん、サミィちゃん。今日も目がくらむほどかわいいね!」
それは、お決まりの朝の挨拶。
かわいいとかきれいとか、愛でる言葉が好きらしい。
オレだろうがサミィだろうが関係なく、それこそ会うたびに挨拶代わりにそう言ってくるので、もう慣れてしまっていた。
問題があると言えば、場所を選ばずして、というところだろう。
最近はサミィや友人たちも悪戯に真似するようになってしまってちょっと恥ずかしいやら情けないやらで。
「今日はここにいたんだね」
「うん、スクールは休みだし、二人が来る予感がしたからね」
そう言って嬉しげに微笑むアルは、正しくは人ではない。
ユーライジアの世界を構成すると言われる十二の魔力の源……それが意志を持ち形をなした存在で、魔精霊(ませいれい)と呼ばれる種族の少女だ。
少女、と言ってもこれでもオレたちの何倍も長く生きているらしい。
らしいというのは本人の言葉しか証拠がないからだ。
が、ここでは母さんを守る番人である一方で、母さんが作ったユーライジアスクールを、母さんの代わりに纏める人物、理事長の任をこなしているところをみると、それもあながち嘘ではないのかもしれない。
それに、魔精霊の友人は何人がいるが、その友人曰く、魔精霊には力に応じてとる姿が異なるらしく、人の形……『人型』をしているのは、よっぽどの力を持つもので位が高く、めったにないらしい。
言われてみれば、一般的に魔精霊と言えば動植物を模したものがほとんどで、魔物と混同されることも多いから。
やっぱり目の前の手のかかるほうの妹に等しい彼女は、言うだけのことはある偉い人物なのだろう。
「もしかして待ってくれてたんですか? 休みとはいえスクールの仕事はあるんでしょう?」
「だいじょぶだいじょぶ。そっちはヴァーレストちゃんやガイゼルちゃんが頑張ってるから」
律儀で礼儀正しいサミィは、見た目年下の妹なアルに対しても、ちゃんと敬意を払って接している。
だが、一見きっちりとしたその口調には、外では見せない柔らかな響きが混じっている。
スクールの理事長と言えば、ユーライジアでは一国の主を意味する。
(細かいことを言えば、他の三王家と共同で国を治めているわけだが)
それらは全て、母さんの役目だったはずのもので。
アルはその代理だ。
代理だったけど、そんな事はあまりオレたちには関係なかった。
代わりなんかじゃなく、間違いなくアルは、オレたちの家族だった。
「それじゃあゆっくりしてていいのかな? 母さんは元気?」
「そりゃあもう!元気だよ~。カリスちゃん何かいいことあってでしょ。私、分かるんだからっ」
「はは、そっか、うん。いいことって言うか面白いことって言うか、話したいことはあるかな」
なんだか見透かされたてるみたいで、照れ笑い。
「よし、それじゃあ、しゅっぱ~つ!」
そして、元気なアルに背中を押され、オレたちは浮かぶ階段を昇ってゆく。
下の階段からは、大きな丸い円に見えた場所。
階段の終点まで上りきると、そこは赤岩の地面に巨大で精緻な魔方陣が描かれた舞台のような場所だった。
その中心、四本の白柱に囲まれるようにして、ルビーのように深く赤く透き通った結晶体がある。
それは、火(カムラル)を表わす三角架を頂点に据えていた。
母さんはその結晶体の中、磔にでもされているみたいに両手を広げ、眠り続けている。
「……」
「……」
ここに来ると必ず、オレたちはしばらくの間、言葉を忘れてしまう。
自らを持って世界を守るその姿に、神々しいまでのその姿に、圧倒されているのはもちろんあるだろう。
でも少なくともオレは、それよりも先に、いずれは母さんの後を継がなくてはいけないというその使命に恐れていた。
「ほらほら、いいことってなに? 教えてよ?」
アルは、彼女言葉を紡ぐことの叶わない母、アスカの代弁者でもある。
オレたちは、彼女に促される形でひざまずき、祈りを捧げる。
「別に普通にお喋りしてくれてもいいんだけどなぁ」
心内で新しい友人……ノヴァキの事について訥々と語っていると。
横合いから不満そうな呟きが聞こえてくる。
この場で鈴なる言葉を発するのはいつもアルだけだ。
語ることのない母さんに合わせるようにして、オレたちは祈る。
日々の変化を、思い出を伝えてゆく。
そしてその一方で、オレはいつも訴えていた。
アルやサミィには決して口にすることのない我が侭を。
ずっとずっと思ってきた、本音を。
(やっぱりオレには無理だよ、母さん。『夜を駆けるもの』の話はしたでしょ? 家でじっとしていることでさえ耐えられないんだ。オレに、こんなとこでじっとしてるなんて、無理なんだ……)
まさか、現実で逃げ出して、サミィに迷惑をかけるわけにはいかないから。
それはあくまでオレの心内だけに留め続ける愚痴だった。
オレがスクールの最小学級、リトクラスへ上がる頃から、ずっとここで眠ったままの母さん。
それは寂しく、悲しいことだったけれど。
何を守ってるかも分からないこの使命を負う破目になったことは母さんのせいじゃなかったから、カムラル家の宿命だっただけだから。
納得するしかなかったし、我慢した。
オレにはサミィがいたし、まさしくそんな母さんと入れ替わるようにしてオレたちの前に現れたアルが、ラネアさんたちがずっと側にいてくれたからだ。
でも、その使命が自分に降りかかってくるとなると話は違ってくる。
(大切な人たちも守れないのに、一体何を守ってるの? ねえ、教えてよ、母さん)
母さんは何も悪くないのに、オレは一方的に辛辣な言葉をぶつける。
オレが、いつかは継がなくてはならないこの使命に嫌気がさしたのは、母さんがここで眠り始めてすぐの事だった。
十年前、ユーライジアの国を突然襲った、魔物の大群。
昔の悪い魔人族が裏で糸を引いていたという噂も立った。
その魔人族が、一度繰り出せば街が焦土と化す覆滅の魔法を使い、ユーライジアを滅ぼそうとしたとも。
真相は定かじゃない。
ただ、たくさんの人が死んだのは確かだった。
その中には、オレたちの父さんの姿もあって。
何もできずに泣きじゃくっていたのはオレたちも同じで。
母さんを責めるいわれはないのは、もちろん分かってる。
だけど母さんは、父さんの死に目に会えなかった。
もしかしたら死んでしまったことすら知らないんじゃないか、とすら思う。
本来いるべき場所に母さんの姿はなく。
代わりにオレたちと一緒になって縋るように泣いてくれたのはアルで。
だからこそ。
オレは強く思うようになったんだと思う。
大事な人も守れないのに、何を守れるのだろうかと。
でもそんな考えは、本当は誰も聞いてないってことを分かってるからこその独白だ。
オレはその思いを、きっと死ぬまで秘めたまま生きるのだろう。
現実をもって母さんの後を継ぐことは、オレにとっては当たり前として確定されていることなのだから。
(こんな事考えてるようじゃ、そのうち『資格』剥奪されそうだな)
そして、そんな事を呟きつつ思わず苦笑するのだった。
それを……心のどこかで望んでいる自分に。
(第9話につづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます