第5話、止事無き高嶺のお嬢様の気概がないのは本人ばかり
そうして、次の日。
光(セザール)の日。
スクールの休みの日。
いつもなら秘密の夜更かしをしていた影響で遅いはずの目覚めは。
休日の記録を更新するほどに早かった。
起きたら開けるという習慣で、寝室のカーテンを引く。
「いい天気だ。寝てるのもったいないや」
いつもよりだいぶ高揚してる自分を自覚しつつ。
一つのびをして最後までしがみついていた眠気を吹き飛ばし、家のものが見ていたら大目玉だろう……彼女らの言う品性のカケラもない脱ぎっぷりで、さっさと私服に着替えると部屋を出た。
まずは顔でも洗って歯でも磨こうかと。
「おはようございます、カリス様」
「……おはようございます、ラネアさん」
いつもより早いこともあって、なんとなく気配を消しながらのつもりで、全く足音の立たないはずのふかふか絨毯が敷き詰められた廊下を歩いていると。
まるでタイミングを見計らったかのように、カムラル家のメイド長であり、オレの専属メイドであるラネアさんが声をかけてきた。
「まもなく朝食の準備が整いますので、お好きな時間に食事の間へと足をお運びください」
「あ、うん」
いつもと全く変わらない調子の言葉。
極力感情のこもらないようにしているようにも見える必要最低限の言葉。
本音を隠した仕事の言葉だ。
カリスって、愛称で呼んでくれるぶんだけ、まだましではあるんだろうけど。
オレは知っている。
本当の彼女は、西方……サントスール地方なまりが出る、朗らかで明るい人物であることを。
でも彼女は、それをオレには全く見せない。
国の盟主……いずれは母さんの後を継いで、世界の守り神『アスカ』となることを宿命づけられているオレには、恐れ多くて気安い態度をとってはならない、というのが本人の弁だ。
オレが物心つく前からカムラル家に仕えているラネアさんですらそうなのだから、その下につくものたちもほとんど似たようなもので。
去っていくほうを見れば、慌しく働く家のものたちの様子が見える。
オレがいつもよりだいぶ早く起きたから時間が前倒しになったのだろう。
だから気配を消して出てきたつもりなのに、生まれた頃からメイド長だったラネアさんの熟達した仕事ぶりに、毎度驚かされるオレである。
その事を考えると夜中抜け出しているのもとっくにバレてるんじゃなかろうかと思えて仕方がない。
最近は自己責任が重要になってくる年頃のせいかあまり怒られることがなくなったから、もしかしたら呆れられ放置されてるのかもしれないけれど。
「お邪魔でーす」
使う人が、今やオレともう一人しかいないというカムラル家御用達の豪奢でピカピカな手洗い場へとやってくると、そのもう一人の先客がいた。
一つ下の妹、サミィ。
下ろせば腰くらいまで届くだろう長い金の髪。
においたつような美しい彼女の髪は、国中の評判だ。
紅やら黒やら雑多に混じってるオレの髪とは比べるべくもない神々しさがそこにある。
肌はすべらかな真雪。
細身ですらりとしていて、背が高く、座っているだけで絵になる。
未だ少し眠たそうな紅髄玉の輝石秘めし瞳は、まさしくカムラル家のものにふさわしく。
その高潔な雰囲気と落ち着いた喋り方故に冷たく見られがちだが、その実淋しがり屋で甘えんぼうのところがある、自慢で可愛いオレの妹である。
「おはようございます、カリス」
「おはようさっちゃん。みなさん、ご苦労様」
サミィやラネアさんを初めとするオレの身近にいる人たちは、まるで何かに抵抗でもしているかのように、こぞってオレのことをあだ名で呼びたがる。
だからサミィの世話をしていたメイドさんの半分が、慌ててオレの方へやってこようとするのをいつものように手で制した後、お返しに最近考えた愛称で妹の名を呼んでみた。
「その呼び方は恥ずかしいです。カリスが使えば国中に広まってしまうんですから、やめてください」
すると返ってきたのはきっぱりとした否定の言葉だった。
「可愛いのになぁ……」
髪の手を整えながらそんな捨て台詞を残すオレだけど、サミィが嫌だと言うのならば仕方ない。
呼び方についてはオレも我が侭聞いてもらっているし、素直に従うことにする。
「それにしても今日は早いんですね。休みの日は……カリスっていつもゆっくりなのに」
支度を終え、メイドさんたちを下げさせたサミィは、オレだけに見せてくれる笑顔で、そんな事を言う。
「ああ、うん。母さんのとこに行こうと思って」
ただ、内と外で違うのはオレも大差ない。
やんごとなきカムラル家のものとして、あるべき姿でいるようにと、きつく縛られている。
オレとサミィで違うのは、オレ自身がそのことに不満を抱いていることだろうけど。
(そう言えば、ノヴァキの前じゃ、素のオレだったな……)
それは、『夜を駆けるもの』として外に出ていたせいもあったんだろうけど。
「何か良い事あったんですね」
「えっ? 顔に出してる?」
オレの顔はニヤけてでもいただろうか。
「水嫌いのカリスが、顔を洗いながら笑ってるなんて、そうそう見られるものじゃないですからね」
確かに、オレは水が嫌いだ。
安心できるのは、自室にあるお風呂くらいだろうか。
火(カムラル)の名を冠する一族だからなのかなって思ってたけど、サミィは平気そうだったから、オレが単に苦手なだけだろうけど。
見透かされたようなサミィの言葉に、顔を洗う手を止めて、平然を装い、振り返る。
「ふふ、やっぱり。母様に会いに行くのはいつもの事だから、わざわざどうしてって、ちょっと気になっただけなんですけどね」
オレが、予想以上にうろたえていたからなんだろう。
サミィは本気で楽しげな笑みをもらし、手洗い場を出て行く。
「……浮かれているのか、オレ」
言われてみれば、母さんの元へ足を運ぶのは毎日の習慣で。
そんな当たり前のことをわざわざ口にして、しかも滅多にない早起きなんぞしていれば、そりゃ何かあるなって思うだろう。
オレは、そんな自分をいまいち理解できないままに。
頬を叩き、目を覚まさせると、洗い場を出て……。
そして、そのまま朝食の時間。
いつもは時間が合わないから一人だったけれど、今日は二人だ。
百人は軽く座れるだろう大きな食卓にたった二人だけ。
その場には、他にカムラル家のものが多くいるのに、食事をとるのはオレ達だけだ。
何故なら他のもの……カムラル家で働く人たちの食卓の間は別にあって、ここは家主だけが使う場所だからだ。
もう慣れきってしまった光景。
もっと小さい頃は、家のものに一緒に食べない? って誘った時もあったけれど、それをすれば怒られるのはその誘った家のもので。
迷惑をかけるのは嫌だったから、オレは我慢して、そう言うものだと自分に言い聞かせてきた。
心に溜まる不満をひた隠しにしたままで。
とは言え、そう言う気を使わなくていいはずの妹と、遠い遠い対面で食事を摂るのもなんなんだろうって思う。
これでは話もできない。
椅子を持って妹の所へ相席を賜ろうか、とも考えたけれど。
椅子を持って歩こうものなら、ラネアさんが鬼の形相をして飛んでくるだろう。
何より、せっかく用意してもらって並べてある料理を、わざわざ移動させるのも気が引けた。
オレは内心ぶすくれながら朝食に手をつける。
外の世界とは何もかも違う極上においしいけど味気ない、そんな朝食を。
「ごちそうさま、っと」
「カリス様、今日のご予定を、お伺いいたします」
そして、朝食を終えて立ち上がろうとすると。
まさにそのタイミングでラネアさんが声をかけてきた。
メイド長であり、オレの専属であるラネアさんは、スクール内と自室以外の場所にオレが行こうとする時はたいてい一緒だ。
たくさんの人にあれやこれお世話されるのが億劫になったのもあって、自室にいる時は一人でいい、という我が侭を聞いてもらっているから、その事に関しては文句の言いようもない。
それでも敢えて言うなら、もう少し洒落の聞いた会話とかできないかなぁとは思うんだけど。
「これから母さんの所に行こうと思って。サミィも行くならそっちの時間に合わせてもらっていいけど。後は、マイカの家にちょっと行きたいかも」
「了解しました。お供します。サミィ様も、これからアスカ様の元へ向かうとのことですが」
「そっか、それじゃ行こう」
笑顔で頷くけど、ラネアさんの表情は変わらない。
いや、長年見てきて分かったけど、変えないようにしているんだと思う。
そこまでする必要ないのになぁ。
いつもいつもそう考えるけれど。
そうしなければならない理由を、オレが知らないだけなのかもしれないし、強要はできなかった。
表情を変えないまま一礼し、外出の準備だろう……家のものと何やら真剣な口調で話し合い、慌しくなっていく光景を、内心でため息をつきながら見送って……。
(第6話につづく)
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