第3話、運命の出会いは、世界を揺るがす魔性のしらべとともに
それは、民家もなくなって辺りの木々の葉も尖りだし、その背丈が低くなってきた頂上付近でのことだった。
「……っ?」
こんなに大きな山だと思わなくていい加減降りようかな、なんて考え始めた、オレの思考が止まる。
ついでに、足も止まる。
何かの音が、足の向く先。
おそらく頂上あたりから聞こえてくるそれは、ここまでわざわざ出向かなければ、強くなってきた風の音に紛れて聞こえなかっただろう音だ。
初めは魔物の鳴き声か。
あるいは風の魔精霊が強い風を共にして歌でも歌っているのかと思ったけど。
魔物ならば当然危険だし、風の魔精霊ならば、人に害をなすものではないとはいえ、その歌には魔力が込められているから、何かしら面倒なことが起こるかもしれない。
厄介事に巻き込まれる前に退散しようかな、なんて思っていると。
その時ふいに風がやんで、今度ははっきりとその音がオレの耳に届いてくる。
(これは、『トランペット』の音色……?)
それは、ユーライジアの国を守っている『風紀』の人たちが好ん
で使う、管楽器の音色に聞こえた。
だけど何かが圧倒的に違う。決定的に違う。
その生きている音色は、容易にオレの心を引っ張り、掴んで離さない。
高く甘く、美しい音色だった。
心が、『魂』が震える。
その一音一音が耳朶を通過する度に、様々な感情を与えてくれる。
郷愁、歓喜、悲哀、感動。
わくわくどきどきする一方で、不意に油断すると泣きたくなる。
だが、何よりオレを驚かせたのは。
その感覚を知ったのが、その時が初めてじゃなかったということで。
(いつだ……?)
オレはふらふらと、音へ近寄っていく。
自分の記憶を辿るように。
それは確か、10年前。
新しい神が来た、祭りの日だ。
舞い降りた神を歓迎するように、風に乗って流れてきた、その旋律。
オレは覚えている。
この音色が、その時に聞いたものと同じであることを、確信している。
同じ感動を味わったことがある。
思い出そうとすると、どんどん記憶の底から溢れてくる。
どうして今まで忘れていたのだろう?
こんな素敵な音色を。
簡単だ。
その日は、本当に色々なことがあった。
心躍る旋律の詰められた記憶。
それに蓋をしてしまいたいくらい、辛いことがあったのもその日だった。
大事な人を、亡くした日だった。
それを思うと、無性に悲しくなって。
途端に募る、焦燥感。
何でなのかは、オレにも分からない。
ただオレは、音の先に何があるのか、知りたくなった。
音が、誰の手によって生まれたのか、知りたくなって。
急がなくちゃって、そう思って。
そうして辿り着いたのが、当初の目的地であったてっぺん。
「……」
夜星と赤い月と、眼下の家々……魔法灯りきらめく喝采を受けて、誰かがそこにいた。
無銭観劇のオレに気付くことはなく、無限に広がる空と大地に向かって、幻想的な音を奏でている。
正直、『トランペット』であんな音が出るなんて信じられない。
失礼ながら思い描いていた、安っぽくて乾いたもの、という感覚は全くなかった。
相変わらず心の震えは止まらず、甘くもどかしいしびれを与えてくる。
一体どんな魔法を使えば、技術があれば、こんな音が奏でられるのだろう。
その音を生み出す人物にも、俄然興味が沸いてくる。
というよりも。
その時オレはすでに、神秘的とすら思える音を奏でるその人物から、視線を外せなくなっていた。
魔人族の、少年だ。
頭には、未成熟な魔人族の男性を示す、短い珊瑚の角。
月光に反射するいくつもの刃を従わせた、竜のような尾と、虹色を反射する全身の鱗。
それらを半ば隠すように包み込む、闇色の巻頭衣。
それと相対するかのような、長い……花びらのような薄桃色の髪。
見覚えはなかったが、それも当然なのだろう。
何故ならその姿は、家族や大切な人にしか見せない……あるいは本気を持って戦う時に現すと言われる……魔人族の本性だったのだから。
そこまで考えて、オレははっとなる。
うろたえた、と言ってもいいのかもしれない。
思わずその場から逃げ出そうとして、まるでそうだと決まってでもいたかのようなお約束で、足元の小枝を踏み、大きな音を立ててしまった。
「……誰だっ!」
当然、彼はオレの存在に気付くだろう。
ただ、その時オレは、人の触れてはならぬ部分に土足で突っ込むような真似をしてしまった後ろめたさよりも、その音色がちゃんとした終わりを迎えることなく止まってしまったことに安堵している自分と、もったいなくて悔しがっている自分が格闘していて。
もっと聞きたい、もっと心震わせていたい。
だけど怖い、その先を聞くのが。
取り返しのつかない何かが起こるような、そんな予感。
相反する思いが、ぶつかり合って弾けている。
その時感じた激情のようなものは、その正体を掴めない、生まれて初めて感じたもので。
明らかにオレに警戒し、その場から離れようとする魔人族の少年を見て、半ば無意識のままに、引き止めなくては、なんて思って。
「待ってくれ! オレの話を聞いてくれ!」
「……っ?」
『夜を駆けるもの』に変装している時の、芝居がかったものじゃなく、素の自分の渾身の叫び。
それは、仮面に込められた魔力により声が変わる機能を、外すことで無効にしたせいもあって。
それが功を奏したのか、背を向け去りかけていた少年の身体が、ぴたりと止まる。
そして、鈍い光を発したかと思うと少年に身はみるみるうちに縮まり置き換え、鱗が肌色になって見えなくなり、人間族と変わらない姿になる。
そしてそのまま、オレのことをまじまじと見つめ、何だかお化けでも見たいな顔をして固まっている。
まぁ、こんな時間に出歩けるような人間じゃないからこそ、なんだろうけど。
少年は、見たことのある人物だった。
話したことはないが、スクールでは見かけたことがあるからだ。
『クラス』が違うから名前とかを聞く機会には恵まれなかったけれど、だいたい同学年か、一つ下くらいだろう。
知っている人だと思うと、ふいに身勝手な親近感のようなものが沸いて。
だからこそ余計に彼の真の姿を知ってしまったことが申し訳なく思えて。
「ごめん! 君のほんとの姿を見てしまって。夜の散歩をしていたら凄く綺麗な音が聞こえてきたから、どんな人が吹いてるんだろうって、我慢できなかったんだ」
「……」
がばっと頭を下げ、嘘偽りなく正直に謝ることにする。
だが、それに対しての返事はない。
おそるおそる顔を上げると、未だに驚き硬直したままの少年がいた。
オレが考えているよりも。
正体を見られてしまったことは大事だったのかもしれないと。
そんな風にも思えてしまって……。
(第4話につづく)
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