よんよんまる二次創作【愛の営み(仮題)】

圭琴子

愛の営み(仮題)

 旅番組で、詩音しおんひびきは、初めてテレビでの共演を果たした。と言ってもまだ旅は終わった訳ではなかったから、このふたりの放送がどう評価されるのかは、神のみぞ知るところだったが――。


 完璧な王子様だと思われていた東のプリンス・大路おおじ詩音しおんが、トカゲとの触れ合いで慌てるシーンや、ニコリともしないクールな一匹狼だった西のウルフ・大神おおがみひびきが、露天風呂ではしゃぐシーンには、ディレクターやカメラマン一同、大きな手応えを感じていた。

 これは、ひょっとしたら最高視聴率を叩き出すかもしれない。そんな風に囁いて、眠りについたのだった。


 一方、撮影で散々喋り倒したのにも関わらず、詩音と響は、まだ話題が尽きなかった。ふたり寄るとどうしても音楽の話が多くなるが、互いの幼少期も語り合い、その絆はより深くなったように思われる。

 ただでさえ眠ったのが遅かったのに加え、未明に響がうなされたこともあり、睡眠時間は短かった。

 世の中には三時間も寝れば文句なしというショートスリーパーも居たが、詩音は八時間は寝ないとスッキリ目が覚めない性分だったから、きっちり寝不足だ。


 胸元を、イヴを堕落させたというヘビが這い回るような感触に薄目を開けると、逞しく大きな拳がさまよっていた。

 詩音は仰天する。一緒の部屋で眠ったのは、響だ。顔は見えなかったが、今詩音に不埒を働いているのは、響に他ならなかった。

 やがて、不規則なリズムで揺すり上げられる。その味わったことのない感覚に、キュッと目を瞑って耐えた。


 響、露天風呂で「そっちの世界の人かと思てまうやん」なんてふざけてたけど、響自身がそうだったのか。


 嫌悪感は感じなかったが、裏切られたような気分で、鉛を飲んだように胸は重かった。

 一定のリズムが、次第に吐息に変わる。それが音階に変わって、やがてメロディーになった。


「……ハッ!」


 汗だくで跳び起きると、横で響がうつ伏せになり、スマホに向かって鼻歌を録音していた。メロディーは、夢の中で聴いていたメゾスタッカート。

 反射的に思い浮かべたのは、奔放に鍵盤の上を左右に飛ぶ響の大きな手のひらだった。響は、手の小さい者なら八度分1オクターブさえ苦労する押さえを超えて、優に十度分を軽々こなす。

 今彼が作曲している音楽は、彼にしか弾けない曲だった。


 メゾスタッカートからテンポを上げながらクレッシェンドしていき、クライマックスを迎えたあとは愛情豊かに歌い上げられ、消え入るように満たされて終わる。

 そこで初めて、響は詩音を見た。

 

「すまんな。起こしてもうて」


「う、ううん」


「夢でええ曲が思い付くことがあるんや。忘れない内に、録音しとこおもて。……ん? どないした、詩音。顔、真っ赤やで」


「な、何でもない」


「そう言えば詩音、スタッカートの度に、ん、ん、言うて返事しとったわ。おかしゅうて笑いそうになるの、めっさこらえた」


 響が無邪気に笑う。詩音はますます赤くなった。

 違う。それは、返事ではなくて。

 

「響……アッカレッツェヴォーレ愛撫するようにで歌わなかった?」


「寝てたんちゃうんか? うとうたで」


 不思議そうに響は首を傾げる。だが直ぐに、ニッと歯を見せた。


「あ。詩音、プリンスなんて言われとるけど、ムッツリ助平なんやな。ヤラシイ夢見てたやろ!」


「ヤラシイのは、響だよ! その曲って……!」


 吐息で笑って、響は上唇をチロリと舐めた。

 いつもは後ろで括られている天然パーマの髪はおろされ、寝乱れて顔の前に何本かが垂れている。その隙間から、切れ長の瞳に射竦められて、詩音はゾクリと背筋に弱い電流が走るのを意識した。腰が砕ける。

 女性だけでなく、男の自分まで犯してしまう、この曲は。


「せや。ズバリ、『愛の営み』や。あんまりにもあんまりやから、仮題やけどな」


「朝っぱらから、勘弁してよ……」


 詩音は、俯いて両手で火照る顔を隠し、細く溜め息をついた。

 だが響は、からかうのをやめない。


「夜だったらええんか?」


 顔中を口にして、詩音が喚く。


「よくないよ! 幾ら響でも、もう犯されるなんてまっぴら……」


 言葉途中で、あんなに好戦的だった響の顔も、ポンと熱を持った。


「え? 俺に犯されてたんか? 女抱く夢、見てたんとちごうて?」


 しまった。普通は、そっちを思い浮かべるだろう。詩音は失言に気付いて、右手のひらで顔の下半分を覆って固まる。

 色素の薄い焦げ茶色の瞳は、逸らすことも出来ぬまま、響の宝石オブシディアンのような黒い瞳と合ったままだ。

 しばし無言の時間が流れる。


 ……響でも、赤くなることあるんだ。案外、可愛いかもしれない……。


 無意識に観察してそう思い、詩音は慌ててかぶりを振った。

 響が、蚊の鳴くような声を上げる。


「俺……完全なストレートやおもてたけど、自信なくなったわ。詩音なら、抱けるかもしれへん。細っこくて女みたいやて、いつも見てた」


「や、やめろよ! 僕だってストレートだよ!」


「な、夢ってどんなやった? 返事しとるおもてたのは、ひょっとして……」


 反論しようと詩音が大きく息を吸い込んだ時、ラヴェルの『水の戯れ』が響いた。楽譜の冒頭に、アンリ・ド・レニエの詩の一節『水にくすぐられて笑う河神』と記してある通り、穏やかで明るく、まろやかな旋律だ。

 これは、詩音の音だ。響はすぐに気付いた。


「……アラームに、『水の戯れ』使つこうてるん?」


 詩音はふたりの間にあったスマホを取って、目覚ましにかけておいたアラームを消した。

 否定すればするほど墓穴を掘る議論だったから、救いの神だったかもしれない。


「うん。響が、僕のイメージだって言ったから」


 すっかり安心していたところへ、また響のからかいが降りかかる。


「ホンマ、詩音なら抱けるわ。俺のイメージに合わせてくれるなんて、えろう献身的やん?」


「……うるさい!」


 意外にも、返事は枕という固形になって返ってきた。


「うおっ」


 不意を突かれて、響はモロに顔面に食らう。


「やったな! そらっ」


 起き上がって、響も枕を放る。

 旅館といえば枕投げだったが、昨夜ゆうべは話に夢中で失念していたことを思い出す。その遅れを取り戻すかのように、ふたりは笑いながら枕を投げ合った。

 彼らには、これこそが『愛の営み』なのかもしれない。


 テレビクルーが念のため起こしに来て、これは良いが撮れそうだと、急いでカメラの準備をしたのは言うまでもなかった。


End.

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よんよんまる二次創作【愛の営み(仮題)】 圭琴子 @nijiiro365

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