第5話 防衛十字軍とイレーネ

 ソマスやパールたちオルトモンテ候領の騎士たちは、魁湖の東端・デグモ港で下船し、そこから陸路で半日ほど行くとジェルセレーメに到着する。既にソマス以外の参加勢力は揃っているようだった。


「君がオルトモンテのソマスか。噂になってるよ」


 モーガンと名乗るシュレーンの貴族が出迎えてきてくれた。


「はあ……そんな、皆さんに期待してもらうほどのことができるか分かりませんが……」


「何言ってるの。君がシュレーン側を盛り上げてくれなきゃいけないからねえ。既に言い争いになってるよ。シュレーンのソマスとズィーメリーの女騎士、どっちの方が強いかってね」


「ズィーメリーの女騎士?」


 ソマスが訊くと、モーガンが黙って指をさす。二人が今いる、ジェルセレーメの聖堂前の広場を、一人の女騎士が馬で通り過ぎていった。


「イレーネ・ルン・フィーラどのだ。本国では軍聖とも呼ばれているらしい」


 ソマスは日差しを手で遮りながら目を細めてその女騎士の顔を見ると、その若さに内心驚いた。船の中で十六歳の誕生日を迎えたソマスは、この中で自分が一番若いと思っていたが、イレーネも自分と同じか、あるいは若干年下くらいには年少だった。


(あれが軍聖? まったく信じられない)


 ソマスは、にわかにこの騎士のことが気になり始めた。


 *


 ズィーメリー王国とは、シュレーン王国の東に隣接している大国であり、ヴィタリー帝国の構成国としてシュレーン王国とともに多くの十字軍参加勢力を輩出している。防衛十字軍は、各国各領から集まった連合軍だった。


 勿論、元からこのジェルセレーメの地に常駐している勢力もいる。ジェルセレーメ王たるコンラト・ウェ・ヌーシラをはじめ、タリハリ伯ミル・ウェ・リ、マッカン伯ルエイ・ウェ・カーラと、それぞれの十字軍国家の下で自分の領地を持つエイリーン・ファ・ルニクスやシュツッツェル・ファ・マルといった有力騎士たちが常にこの地の防衛に当たっている。


 それに加え、今回はシュレーン・ズィーメリー両国から一時的な派遣軍がジェルセレーメに到着している。その中でも主な七人の貴族は“七人の騎士”と呼ばれ話題になっていた。


 その七人とは


シュレーン王国出身

 ソマス・ウェ・ターリエ    オルトモンテ候領出身

 モーガン・ウェ・スーレ    サナユン伯領出身

 エリーゼ・シャン・クロー   フォーセイン伯領出身

 ラルク・ウェ・フレイ     ジュヴーユ候領出身

ズィーメリー王国出身

 イレーネ・ルン・フィーラ   ウィンガルト伯領出身

 マグラー・ファ・デュッセン  ベヘクセン候

 ポゼン・ファ・ヤート     セルヴエン伯領出身


である。この七人が率いている勢力を併せただけでも、防衛十字軍が有している総人員約二万五千のうち一万を超える部分を占めていた。シュレーン王国出身者とズィーメリー王国の騎士とでは十字軍内での主導権を取り合う関係にあったため、この“七人の騎士”の中で誰が一番頼りになるかというのは大きな問題であった。


(戦争になった時、活躍するのはやはりソマスどのか、他のシュレーン騎士でなくては……間違ってもイレーネに一方的に手柄を立てられるのだけは避けなくては……)


 そんなシュレーン騎士たちの心の声が口にせずとも漏れ聞こえてきそうだ、とモーガンは思った。


 *


 しかしソマスはそんなことにはお構いなく、与えられた宿営地に軍勢を落ち着けるや否や、早々に自分はイレーネに面会を求めに行った。


「お、ソマスどのが?」


 イレーネは少々面食らっていたが、すぐに部屋に通してくれた。


「シュレーンの方が訪ねてこられるなんて珍しいですね」


 彼女の口調に皮肉や嫌みのようなものは感じられなかった。


「色々と気になる噂を耳にしたものですから。なんでも軍聖と呼ばれているとか」


 ソマスの言葉を聞くと、イレーネは苦笑いした。


「それは皆が大袈裟過ぎるのです。私の経験した戦争なんてのは、どれも騎士同士の領地争いで、小競り合いみたいなものですから。ポッドス戦役を経験されたソマスどのの方が、大きな戦いには慣れていらっしゃるのでは?」


「いえ、私も、大したことはしてませんよ」


 謙虚なんですね、と彼女は笑う。


「お飲み物をお持ちしましたよ、イレーネさま」


 話を中断させるかのように、イレーネの侍女が急に割って入ってくる。ソマスはやや意表を突かれたが、イレーネ自身は驚く様子もなく、「ありがとう、テレジア」と侍女の方を見て笑いかける。テレジアという名の侍女はソマスには一瞥もくれず、薄いエールの入ったカップだけ置くとスタスタとその場を離れていってしまった。


(他人に甘い性格なのかな)


 それとも、この侍女に対してだけ特別に甘い理由でもあるのだろうか。ソマスはイレーネの心理を探るように様子を窺ったが、彼女は澄ました顔でエールを口に運んでいくだけだった。


「それにしても、ソマスどのは共通語が上手ですね」


 この世界の人間は、他国の人間と話すときはウェテ・エウロのどの地域でも通用する共通語を用いて会話する。それは何も珍しいことではなく、一定の身分以上の人間ならば誰でもやっていることだった。


「まあ、それほどでも」


「そうですね、上手という言い方は少し違ったかもしれません。他国の人間にも聞き取りやすいように喋ってくれる人間が、この基地には少ない。皆、自分のアイデンティティを主張するかのように自国の言葉を喋るか、あるいは共通語を用いたとしても強い訛りを直そうともしない」


 イレーネは、シュレーン王国出身者とズィーメリー王国出身者がいがみ合っている現状に飽き飽きしていた。


「確かに、出身の違いによる壁は大きい。しかし、強い信仰心が私たちに絆を与えてくれるでしょう」


 そう、ソマスは彼女に説いた。


「信仰が?」


「はい。だって、今の状況って、そうじゃないですか。十字軍がなければ領地を取り合って殺し合いをしていたかもしれない騎士たちが、聖地防衛という一つの目的のもとに手を取り合ってここに集っている。紛れもなく、信仰が私たちを繋げた結果です」


 ほう、と頷いてイレーネは腕を組む。


「しかし、見方によっては信仰がこの戦争自体を生み出したと考えることはできないですか?」


「ん? いや、これはアメシロス朝の遠征軍に備えての戦いですが……」


 ソマスは首を傾げる。


「そうなんだけど、そもそもの話として、誰も何の教えも信じていなかったら、異教徒と戦うこともなかったんじゃないかと思って。いや、もちろん、救世主の教えを疑っているわけではないんだけれど」


 現実的に、救世主の教えや異教が存在しなかったらという仮定に意味はないが、イレーネはもっと大きなスケールの話をしようとしているということがソマスにもなんとなく分かった。


「それは、分からない。そしたら私たちは別の理由で戦争をしていたかもしれないし、それに、今の状況でも異教の民に救いの道が残されていないわけではありません」


 ソマスの発言に、イレーネは一瞬ポカンとした後、すぐに意味を理解して吹き出した。異教徒であっても今から改宗すればよいと言うわけだ。


「私、何かおかしなことを言いましたか?」


 ソマスはイレーネの笑う要素がどこにあったのか分からず困惑している。


「いえ、失礼。面白い人ですね、ソマスどのは」


 *


 ソマスが部屋を後にした後、例の侍女がすぐにイレーネのもとにすり寄った。


「イレーネさまは、あのシュレーン人の男がお気に入りになったのですか?」


 イレーネは侍女の頭に手を置き、その黒髪を撫で始める。


「あくまで面白い奴がいるなと思っただけだ。心配しなくても、私の視界にはテレジア、お前しか映っていないよ」


 テレジアは「そうですか」と拗ねたような声をあげると、イレーネの胸元に顔をうずめた。

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