第10話 許せなかった


 婚姻を言い渡されてから、それを拒否することが出来なかったルーファスは、一人自室に戻った。

 

 父である国王はルーファスにとって偉大であり最も尊敬する人物だった。だが常に冷静で冷徹で、子供に対しても一線を引いている感じであって、身内であっても意見を述べる事など、この時のルーファスにはまだできなかった。


 慈愛の女神の生まれ変わりを自分の妻とする事は、幼い頃から親である国王に言われ続けていた事だった。


 その事にはじめは訳も分からずに、ただ受け入れるだけだったのだが……


 初めて会ったのは、フューリズが4歳の頃だったか。その頃から我儘で周りの者達は幼い子供相手に右往左往していたのを覚えている。


 まだ善悪も分からない状態の4歳児。呆気なく笑うその姿は殆どの者が愛らしいと思うものだったのかも知れない。


 けれどルーファスがそう思う事は一度も無かったのだ。自分に何かされた訳ではないし、その頃の我儘は可愛いものだったが、それでもルーファスの目にはフューリズが何か異質なモノに見えてしまったのだ。


 この娘と自分が結婚する事になるのかと思うと、何とかそれを回避出来ないかとその時から考え始めていた。

 

 そんな様子のルーファスを見て、ルーファスが生まれてからずっとついてくれていた執事がフューリズの邸に行くと言い出したのだ。


 フューリズの元で働く者は辞めていく者があとを立たなかった。それにより常に人員を募集していて、けれど誰でも良いわけではなく、やっと探しだして送り込んでも短期間で辞めたり働けなくなってしまう者ばかりだったので、教育庁のフューリズ担当の者も、この執事の申し出が有り難かったのだ。


 そんな経緯から、ルーファスはフューリズに対して不信感を持っていたし、その残虐さを勿論認めたくはなかった。


 だけど父である国王の意向は揺るぎなかった。それはこの国の為なのだと、何度も説き伏せるようにルーファス話して聞かせていて、国王もまたルーファスがフューリズに好意を抱けない事を知っていたのだと分かった。

 

 それでもこの婚姻は覆らない。自分はフューリズと結婚するしかないのか。その事を思うと自分の未来に何の希望も持てそうにない。恐らく側室を持つことさえ躊躇われるだろう。あの性格では許される事ではないように思われる。第一にフューリズが幸せを感じなければならないのだ。他の女にうつつを抜かしている夫を持って、幸せ等普通は考えられないだろうから。


 ふと頭によぎる存在に想いを馳せる。


 それは森の小さな小屋で週に一度会うだけの少女、ウルスラの存在だ。


 それは小さく、痩せていてボロボロの服を身に纏い、見える所にはアザや生傷が絶えずあって、言葉もちゃんと話せないのかたどたどしい、フューリズと同い年位の幼い少女。


 だけどその声は優しく耳に馴染んで、いつまでも聴いていたいと思えるものであったし、そしてその笑顔は心にあった嫌な思い出とか辛かった事とか、そういうのを全て無かった事にしてくれるような感覚になる程、心に大きく影響を及ぼした。


 そんな存在に出会った事は今まで無かったし、これからそれ以上の存在に会えるとも思えなかった。


 自分にとってウルスラはかけがえのない存在へとなっていくのに、そう時間は掛からなかった。


 時々約束の日以外でもあの小屋に赴く事はあった。だけど約束の日以外でウルスラに会える事は無かった。それでもあの朽ちた小屋にはウルスラとの僅かな思い出があって、その空間にいられるだけで心が洗われるようにも思えたのだ。


 あの小屋にウルスラの勉強になると思い、王城にある図書館から書物を持ち出し置いている。本当は持ち出し禁止なのだが、それよりもウルスラに多くを学ばせてやりたくて、もし自分が来れない時でもここで勉強が出来るようにしてやりたかったのだ。


 ウルスラは文字も書けるようになり、簡単な計算なら問題なく出来るようになり、歴史やこの国や近隣国の事も話せば何でもすぐ吸収してしまう頭の良い子だった。

 薬草学に興味を示したので、その本を手渡すととても喜んでくれたのを思い出す。


 その姿が可愛くて、思わず胸に抱きしめてしまった時の感覚が今でも忘れられない。


 少し力を入れるとすぐに折れてしまいそうな程に、ウルスラの体は痩せていた。見て分かっていたつもりだったが、抱きしめてよりそれが分かったといった感じで、こんなに細くて生きていけるのかと心配になってしまった程だった。


 それでも胸に抱けた時は嬉しくて、ずっと離さないでこのままでいたいと思った。


 ウルスラが慈愛の女神の生まれ変わりであれば良かったのに。


 その時は心からそう思ってしまったのだ。


 この少女と……ウルスラと共にありたい。守りたい。そうは思っても、勝手に城へ連れていく訳にもいかない。孤児ならまだしも、虐待の傾向は見られているが親はいるのだ。


 一度、

「僕と一緒にこないかい?」

と聞いてみた事があったが、ウルスラは驚いたようにルーファスを見つめ、それから頭を左右に振ったのだ。

 こんな事をされていも、まだ幼いウルスラには母親の存在は大きかったのだろう。


 だからこの状態を続け、ウルスラの気持ちが変わるのを待とうと思っていた。会える時はフォローに徹しようと考えていて、食事は毎回持参し、傷薬を渡したりもした。流石に衣服は断られたけれど、何とかウルスラの力になりたいと思ったのだ。


 そんな事を考えている時だった。


 扉がノックされて、執事に連れてこられたのはフューリズだった。


 フューリズも思うところがあるのだろう。自分を見る表情は、眉間にシワを寄せ怒っているようにも見えた。


 執事が退室し、二人きりになった。なんの用があるのか。フューリズもこの婚約に不満を持っているのだろう。それの抗議か。しかし自分にそれを言われても今はなにも出来ない。

 それとも婚約者となる自分と仲良くなろうと思ったか? 機嫌をとれとでも言いにきたか?

 今さら交流を持つとか、そんな事も考えられないし、したくもなかったが婚約者となる相手を無下にできる訳もなかった。


 ルーファスはまたため息をついてしまった。


 それは無意識であって、わざとそうしようとした訳ではない。だけどその行為はフューリズには耐えられない事だった。


 フューリズはギロリとルーファスを睨み付け、それから何故かフッと笑った。その笑みは人をバカにするような、蔑むような笑みだった。


 

「お前なんてこっちから願い下げだ……!」



 フューリズがそう言った次の瞬間、いきなり目の前が真っ暗になった。


 さっきまで窓から入る陽射しで部屋の中は明るかったのに、何一つ見えない状態となってしまったのだ。


 それに驚き困惑し、何度も辺りをキョロキョロ見渡す。部屋が真っ暗になったのか、何処かに放り込まれたのか……

 そう思って助けを呼ぼうにも声は出なかった。


 何故だ?! 何故こうなった?!


 狼狽えるルーファスを見て、フューリズは笑いが込み上げてきた。



「アハハハハハっ! お前ごときが私を蔑むからだ! 思い知るが良い! アハハハハハっ!」



 その笑い声はいつまでもルーファスに響いているように感じられた。


 そうやってルーファスから光と思いを伝える術をフューリズは奪ったのだった。





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