建国神話・序「西風に誘われた旅人」

 フォルミカ人ならば、誰もが知る「建国王イスマエル」の物語。


 かつては吟遊詩人が街の広場で、あるいは集会所などで歌っていたものである。


 王統が絶たれた現在でも道ばたではギターを手に歌うものや、酒場の隅のピアノで弾き語りするものもいて、今なお国民にとっては馴染みの深い「建国神話」だ。


 物語はイスマエルの流浪から始まる。


◇ ◇ ◇


 故国なく、寄辺をなくしたイスマエル、旭日をその背に乗せて、西へ西へと旅をする。

 西風の果てにありしは、氷冠を纏う頂。

 かの山をエンデベルクと人は呼ぶ。

 こここそが地の果てなりと。

 さにあらず、世に限りなし。その証、我が立てんと、イスマエル、激して曰く。

 無謀だと心ある人諫めるも、聞く耳持たず、イスマエル、巍々としたエンデベルクへ挑みゆく。

 すべてを拒む山肌をただひたすらに登っていく。

 望みを捨てよ。凍えるおろし、耳元で嘲り笑う。

 奈落に落ちよ。傍を掠める落石が道連れ欲す。

 永遠に眠れよ眠れ。氷雪が旅人を惑わせる。

 誘惑を撥ね除けて、頂を目指しゆく。

 不撓なり、の心、不屈なり、彼の躰、さあれども、精根ともに尽き果てかけた。

 イスマエル、残る力を振り絞り、足を踏みしめ、登りゆく。

 かの山は小さきものの熱情に心打たれて、自ずから頭を垂れた。

 頂に立ちて見やれば、遙か彼方に到るまで、広がるはただ雲の海。

 イスマエル、声を限りに名乗りを上げる。


「我こそは根なき草のイスマエル! この先に四方よもの世界があるのなら、我が前に姿を見せよ!」


 彼の声に応えんと、雲は割れ、瞬く間に消え失せた。

 雲の下、地の底続く暗闇だけがそこにある。

 さあれども、そは淵ならず。

 眼下には葉も幹も黒き木の森が広がる。

 西風に揺れる木立のざわめきが彼の耳を打つ。

 疾く参れ。我らが王の下にまで。

 不可思議な声に誘われ、山を下り、黒き森へと分け入った。

 薄闇漂う森の中、今までに見たこともなき獣どもが惑う旅人取り囲む。

 黒き影、群れの中より悠然と歩み出でたり。

 外貌は犬に似れども、象よりも見上げるほどに大なりて、鉄甲纏いしその姿、豺狼の類にあらず。

 黒き犬、旅人乗せて、走り出す。

 走ること、飛電のごとし、駆けること、疾風はやてのごとし。

 黒犬が辿り着きしは天を衝く漆黒の大樹なり。

 朽ちかけし大樹の陰で佇むは人の形の巨影あり。

 伏して見よ。あれなるは黒鉄森の主なり。黒犬が声なき声でそう告げた。

 森の王、その姿、闇夜より深き黒にて、古の魔王のごとし。しわがれ声で語りくる。


「人の子よ、よくぞ来た。我こそがこの地を統べる王である」


「おお、王よ。大いなる御身の御名をお示したまえ」


 イスマエル、王の前にて跪き、請うて問う。

 森の王、応えて曰く。


「賜りし我が真名、■■■■■■」


◇ ◇ ◇


 森の王が名乗るところで、序章は幕を閉じる。


 王の名が正確に伝わってないのは、建国神話が今まで口伝でのみ語られてきたからであり、その上、人の声では極めて発音しづらいものだったからだ。

 

 強いて表記するのなら、「ン・ウィレジァ」、「ヌ・ヴィルティゥ」、「ウ・ウウエツァ」となり、口伝により、大きく異なる。ちなみに地方によっても異なるので、森の王の名をどう答えるかによって、どこの出身かも分かってしまうということもある。


 方言のような差異が生じたのは文書化することを国家が固く禁じていたからに他ならない。


 フォルミカ王国は比較的緩やかな統治を行ってきたが、他国から見れば、奇妙な法律も多い。地下開発もそうだが、口伝の文書化にも苛烈な罰を強いたのだ。その罪状は反逆罪に相当し、裁判なしで死刑を科せられた。


 当時の王国がここまでしたのは、建国神話と銘打ったこの物語が実際の「歴史」であったことと無関係ではないだろう。


 建国王イスマエルの出身が現在の隣国であるアイゼンレーヴェ帝国の東部ブラウフルト地方の領主バルカ子爵家の次男であったことが判明している。


 そこでお家騒動を起こし、身一つで追放されたという記録が残っていたのだ。ちなみにその騒動でバルカ子爵家は取り潰しの憂き目に遭い、所領はクラウスバッハ侯爵領へと編入された。


 その後、二年という流浪の期間、一部不明なところがあるにせよ、かなり正確にその足跡は残っている。


 これほどまでに明確な「歴史」があるにもかかわらず、「神話」という形で、しかも口伝のみで人々に膾炙した、いや、させたのか。


 理由はいくつか推測できる。太祖イスマエルを神格化することにより、王家の威信と正統性を高めようとしたのではないかというのが、学者間の定説となっている。


 しかし、あくまでも推測である。王統が途絶えた今となっては、その由を知るものはもうどこにもいないのだ。


 革命の名の下に多くのものが失われた。やがてはこの建国神話も人々の記憶から薄れ、消えていくのだろう。


 その後ろで新たな「神話」が忍び寄っていることも知らずに……。





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