葬儀屋へ

 地下は人ならざるものの世界だという。


 建国神話にも地底の住人ノームという種族の王と相互不可侵の誓約を結んだことを記す一節がある。


 その誓約故に前王政では地下開発を禁じていたが、時代を経るにつれ、死文化され、ついには新刑法にそれらが書かれることはなくなってしまった。


 むしろ、新国家は地下開発を奨励したほどだ。それにはのっぴきならない住宅事情がある。


 人口増加により、もはや一家が一戸を持つことはできず、近代建築で建てられた集合住宅へと遷移しているが、それでも空室率はマイナスへとなっているのだ。

 つまり一室に複数世帯が住んでいるというわけである。それ故、建造物は垂直方面へと伸びることになる。


 不可侵条約を一方的に破棄されたノームたちが猛り狂って、地上に這い出てくることもなかったので、人はますます調子に乗って、穴を掘っていく。


 その一方で、地下は住環境として、あまり適しているとは言えず、深く掘ったとしても、せいぜい地下二階くらいなので、ノームも目くじらを立てないのかもしれない。


 どちらにしたところで、人が住まうには適さない地下に戦史編纂部が追いやられていることに考えを巡らせば、統合参謀本部における待遇のほども知れるというものである。


 シモンは階段を一つ降りる度にため息をつきかけては堪えるを繰り返し、それが三十六回目を数えたとき、ようやく最下層に辿り着いた。


 地下には優先的に電力を供給していると言うが、この薄暗さを見るに、どうもそちらのほうもあまり期待はできないらしい。おまけに空気も淀んでいて、換気機能もよく働いていないようだ。


 今度こそ、シモンは盛大にため息をついた。シモンが起こした人工の風は宙を漂っていた埃を辺りに散らし、蛍光灯の黄色い光を乱反射して、砂金のようにきらめく。幻想的と言うには情緒に欠けていたので、シモンの心は微塵も動かない。


 視線を動かすと、階段から左手に向かって、通路が延びている。その先は深淵が口を開けたかのように黒く、先を見通せない。


 幸いと言うべきか、戦史編纂部第一課は階段のほぼ目の前にあった。その奥はどうやら戦史資料室と空室らしい。


 シモンは戦史編纂部第一課の扉の前に立ち、大きく深呼吸した。


 どんな経緯であれ、転属願いが出せるようになる半年までは戦史編纂部に身を置かざるを得ない。来年になれば、自動的に中尉に昇進するので、それを待ってもいい。中尉になれば、立場上、さらに選択肢の幅が広がるからだ。


 今は雌伏の時であると言い聞かせ、シモンは扉をノックし、人の気配のない室内に向かって声を張り上げた。


「失礼します! 本日付で配属となりましたシモン・バレンスエラ少尉であります!」


 内部から返答はなかった。


 予想していたことだったので、シモンは腹を立てることもない。誰とも会いたくなかったから、こうやって嫌がらせのように早朝から出てきたのだ。


 中に誰もいないことは明白であるがために、わざわざ声も張り上げてみせたのだ。


 しかし、シモンの予想は悪い意味で大きく外れた。


 中から返答がなかったので、勝手に入室したところ、廊下よりもさらに淀んだ空気の中、課員のほぼ全員が机の上に突っ伏していたのだ。兵站が途切れた最前線で敵軍に包囲されている兵士ですら、もう少し生気に満ちていたかもしれない。


 シモンに最も近い課員は椅子の背もたれを枕にして、浅く座っていたが、疲労で濁った目を天井から闖入者へと向け、嗄れた声をかけてきた。


「あー、どこのどなたかは存じませんがね、本日の戦史編纂部第一課の業務はすべて終了しましたよ。またのご利用をお願いします」


「馬鹿なの、あんた? 今日、一人来るって、課長が言ってたでしょうが。人の話、聞いてなさいよ」


 隣に座っていた伍長の女性課員が苛立たしげな声をぶつけるも、ぞんざいな男性課員は痛痒すら感じない様子で、近過去の記憶を探り、ようやく記憶の引き出しから該当する情報を得たようだ。


「そういや、そんなこと言ってたなあ……あー、少尉殿、申し訳ありませんが、おれら……じゃなくて、小官では対応できかねますので、どうか奥の課長のほうへと行ってくださいや」


 軍曹の肩章を持つ課員は恭しさを装った敬礼をした後、部屋の奥へと手を差し伸ばした。


 いかにシモンが若輩で、新参者であろうと、一応は上官に対し、軍曹の態度は度が過ぎて、ぞんざいだ。蔑ろにされたシモンだったが、心中に苛立ちや呆れを覚える前に、まず唖然とした。


 左遷部署とはいえ、こうまで弛緩し、頽廃した部署が他にあるだろうか。同じような立ち位置である海軍のほうがまだ活気があるに違いない。


 そう考えてから、シモンは心の中で頭を振った。第一印象だけで判断するのはあまりにも早計、かつ、狭量と言わざるを得ない。


 何かきっと事情があるのだ。参謀本部は戦地と同じく三交代制ではあるが、戦争には直接関係のない部署、総務部やこの戦史編纂部などは一般企業と同じく昼勤態勢であるからには、こんなにも朝早く出勤する必要はない。


 そうであるにもかかわらず、彼らがこのように疲弊しているのは徹夜したからだろう。


 徹夜しなければならなかった事情は直接課長に問えばよい。シモンは生ける屍と化した課員を避け、足早に課長席の前まで辿り着く。課長は軍帽を顔の上に乗せ、椅子に深くもたれて、寝ているようだったが、シモンは構わず敬礼し、声をかけた。


「シモン・バレンスエラ少尉、現時刻をもって、統合参謀本部戦史編纂部第一課に着任したことをご報告します」



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