慨嘆のアスモデウス

リペア(純文学)

慨嘆のアスモデウス


<目標発見。接触を試みます。>


 ようやく辿り着いた地下の一室。コンクリートの壁に、窓は無い。唯一の光である白熱電球に照らされているのは目標の女。褪せた木の椅子に手錠をかけられ、目標ターゲットは首を垂れて床に膝まづいていた。

近づいても目標は微とも動かない。まるで私に気づいていない。

 顎を支え、顔を上げさせる。朧に目は細く、口が少々開いて、息は薄い。


「おはようございます」


 挨拶で私の存在を気づかせてみる。目標の反応はただの呻きであった。


「貴女を保護しに来ました」


 仕事上、目標には何より先に目的と保護の保障を伝えなければならない。


「これから貴女には一緒についてきてもらいます」


 捜査開始以来10年、ようやく突き止めた監禁室に一人囚われていた女。保護施設や更生、社会復帰の手配も既にできている。


「あの……」


「どうかしましたか」



「……助け…って何ですか…」


 私は言葉が出なかった。今まで着実と為してきたことが覆された感じがした。



「何って…貴女をここから出すってことです」


「……ここから、出るのですか………」


「だって、そりゃ貴女ここを出たいでしょう」


───いや…、嫌。ここを出たくありません。



どうして


……ここが、私の家族だから


そんな訳。貴女が学生の頃に親から行方不明届けを出されています。ここは貴女の家ではありません。こんな監獄まがいの建物に貴女は居てはいけない。


……親、ですか……


はい、覚えていませんか?


…いや、覚えてはいます……私を食べさせてくれていた人、世話をしてくれた人、そして、私を売った人だということを…



 胸の落ちる感覚がした。息を吐く度に私はどこか奈落へおちていく。墜落し、落ち付いた底は冷たくて硬いコンクリート。私の心はその冷たいコンクリートとくっついて、その冷たさに細かく震えている。そんな気分だった。

 次は持ってきた資料を元に本来の素性を伝えてみる。



…いいですか、今からお伝えする事は貴女が行方不明になる前の貴女の事です。

まず、貴女の名前は「アマミヤ ナミ」です。


いや、私の名前は「ニバン」です。



 資料を持つ手はやがて握る力が入っていき、紙にはハッキリとした跡がつけられた。



…貴女の好きな食べ物は「林檎」です。


いえ、「脱脂粉乳」「乾パン」です。


…貴女は行方不明になる前、「シュウト」という愛人がいました。


違います、私は神様しか信仰しません。



ゴッ!!


 この時私は感情を抑えきれなかった。叩いたコンクリートの壁はヒビも付かず、私の手の骨はヒビを負った。しかし、痛くはなかった。目の前に、私よりも痛かった女性がいるから。



…失礼。今手錠を壊すから、待っててください。



 今度は手錠を切るために、作業カバンからボルトクリッパーを取り出した。

 すると突然目標は叫び、悶絶しだした。身体をくねらせ、激しく痙攣し、手錠で繋がれた椅子をも倒した。

 私は呆然とする他、目の前の惨事に為す術は無かった。今までに聞いたことの無い叫びがコンクリートの密室に跳ね返って冷たい残響と化していた。



痛イ……イタイ…、、、



 そう言ってやがて目標は気を失って停止した。これは後から分かったことだが、目標はこれまでにハサミで皮膚に切り傷を負わされる拷問を受けていたらしい。

 目標が気を失っていたうちに手錠を切ってやった。

 やがて目標は目を覚ました。



…ッアアア!!!



 目標は絶叫して起き上がった。私は目標を落ち着かせ、荒い息が静まるのを待った。



…手錠を切ったので、ここを出ます。ついてきてください。


……出たくない…。



 私はこの時目標の両肩を掴んだ。そして、薄く青白いその面に私の心の内を諭した。



貴女は犯罪に利用されていたんですよ?貴女はこのままあの男に拷問をされ続けても言いって言うんですか!?…ねぇ!!


…違うの!!!私はあの方は好きです!!!



 犯罪者、まして極悪、陰湿で目標を生き地獄に鎖で繋いだあのサカグチという男が…「好き」…。



私は貧しい家に生まれて、育てられ、誰も愛してくれない、誰も世話をしてくれない、見窄らしい私を誰も見向きしてくれない。私にはアイデンティティなんて無かった。でも、あの御方は…サカグチ様は私を愛してくれた!私に意味を与えてくれた!そして…アイデンティティを、与えてくれた…。



 私はおもむろにトランシーバーを手に取った。そして、こう言ったのを鮮明に覚えている。



<本部に告ぐ。目標は洗脳状態にあり。故、第11条を行使、それに基づき今から強制連行します。


──今回も救えませんでした。すみません、アイザワさん。>


<…ご苦労。まぁ、帰ってきなさい。目標を処置してから、ゆっくり話でもしよう。今回は誰にやらせたところで救えなかったよ。ただただ、仕方がない。>



 交信を終えたあと、私は目標の手を無理やり引いて、引きずりながらも運んだ。目標が捕らえられていた監禁室から外までは長い廊下があり、5mおきに電灯が蛍のようにともっていた。

 私に引きずられる目標は「嫌!!」「やめて!!」と何度も叫んだ。長い、長い廊下に、その叫びは響いていた。



私はここでしか生きれないの!!生きようと思わないの!!だってここが、家だから、私の生きる価値だから、私の唯一の居場所だから!!

私を外界に…私を捨てた地上の世界に戻さないで!!!─────……。

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