訃報 6
葬儀場から逃げ出してきた日の夜。佐知川は私を家に送り届けると、会社によって後処理をすると言って出かけていった。
夜間のうちに佐知川から私や甲斐あてに半月から1か月ほど会社は休業にするから出社しなくてよいとのメールが届いていた。金がないと言っていたわりに、経理の佐藤には私たち全員の二か月分の給与をインターネットバンキングから振り込むようにとのメールが送られており、佐藤は佐知川の指示通り、翌日昼に私たちの給与口座に賃金を振り込んだ。
突然の休暇と給与の前払い。旅行中の甲斐は、会社にトラブルがあったと気が付いて、その日の夜、私に何があったのかと電話をかけてきた。
もっとも、私には甲斐に説明できることは何一つ存在しなかった。
“上土方下下”。葬儀場の従業員がおびえていた芳名帳の記載の意味も、参列者の正体も全くわからなかったのだから。ただ、彼女からの電話の直前、葬儀場から姿を消したアルバイト、尾呑高志がアパートにて一酸化炭素中毒により死亡したというニュースを見て、私は甲斐にしばらく家に帰らず旅行をすることを勧めた。
電話を終えて尾呑のニュースを見直してみると、彼は救急車で運ばれた翌日昼には命を落としていた。それはつまり、葬儀場のカメラに写っていた尾呑は尾呑ではないということになる。カメラにだけ妙なものが映っていたのか、実際に葬儀場に妙なものが来ていたのかはわからないが。
意見を聞きたくなって佐治川の携帯に電話を入れてみたが、留守電になっていた。尾呑の死亡に関するニュース記事をメールし、佐知川の指示に従い荷物をまとめて街を出た。
その後、佐知川から連絡がくることはなかった。彼の所在を知ったのは、1か月後、会社を再開するはずだった日の前日のことだ。一足早くT市内に戻っていた佐知川は会社前の道路で交通事故に遭った。即死だったという。
会社へ復帰する予定だったその日。私は佐知川の葬儀のためにT市を訪れ、そして例の葬儀場に出向くことになった。
葬儀場の人員はすべて入れ替わっていたらしく、事務長も受付も、上土方下下のことを熱弁していた谷泉という若者もいない。アイ・カメラが過去に仕事を受けたことを知る人がいないので、佐知川のことも私のことも話題にならない。
葬儀は何事もなく終わったし、芳名帳に上土方下下の名前はなかった。私は一連の奇妙な出来事から解放されたということか。佐知川が死んだというのに、少し安心してしまう自分に罪悪感があった。
葬儀をすべて終えて、会社に戻ると、私たち二人はアイ・カメラを閉業することを決めた。私たちには佐治川のような人脈はなかったし、彼のいない社屋で仕事を続ける気にはならなかったのだ。幸いにも私は知人の映像制作会社から誘いを受けていたし、甲斐もまた親友の旦那から仕事のオファーを受けていた。
そこから二週間、私たちは佐治川との思い出をぽつぽつと語りながら遺品整理と社屋の整理を始めた。ほとんどの物品の整理がついてきたとき、私は気を緩め、甲斐に“上土方下下”の話をしてしまった。
「上土方下下? 何それ。初めて聞いた」
「あれ、甲斐ってこの町の出身じゃなかったっけ?」
「一応生まれはここだけれど、両親はG県出身だからね。市の歴史的な話については疎いのよ。それで、その上土方下下っていうのは何」
「私にもわからない。ただ、そういう名前で葬儀にやってくる何かがいると信じられているらしいよ。聞いたことない?」
「ないな……ああ、でも」
甲斐は何かを思い出したように整理の手を止め、私をみた。
「社長の葬儀のとき、大学生の二人組が来ていたんだよね。たしか尾呑君と、浜田君。大学生の知り合いなんているんだと思って少し話をしたのだけれど、彼らが似たような怪談話をしていたような気がするな。なんか、近所で死んだ人が葬儀に出てくるのをみたとかなんとか……不謹慎だと思ったけれど、注意しそびれてね」
「オノとハマダって、どういう字を書くの?」
「え? 普通に。あ、オノ君のほうはちょっと変わった漢字だったね。尾びれの尾に、丸呑みの呑で尾呑。珍しい苗字だなと思っていたんだよ」
佐治川の交通事故は不運な事故ではなかった。葬儀場での体験はまだ続いている。
「ねえ、それで上土方下下のことなんだけれど」
興味をもったのか、甲斐が上土方下下の話をせがんできたが、私はそれ以降、彼女とどんな話をしたのかよく覚えていない。
ただ、会社の整理を終わらせたと同時に、引っ越しを決め、その後は甲斐との連絡を絶った。甲斐が死んだと聞いたのは、佐治川のときと同じニュースでだ。彼女もまたあの体験に巻き込まれたのかと思うと怖くて仕方なかった。
佐治川の葬儀に上土方下下は参列しなかったが死んだはずの大学生はやってきた。私は彼らに遭遇しなかったが、甲斐は大学生たちに遭遇した。それが、死の原因なのだろうか。
それとも、私が甲斐に上土方下下の話をしたからか? だが、それなら私が先に死ななかった理由がわからない。いずれにせよ、ルールを確かめる方法が私にはなかった。
それはつまり、私は今後いずれやってくるかもしれない「そのとき」に怯えて暮らさなくてはならないということだ。
その日から、あの雑誌の投稿欄を見るまで私の毎日は怒りと恐怖で塗りつぶされていた。怪談噺の投稿雑誌なんて程度が低いと思っていたが、今は感謝しなければならない。私はあの雑誌があったからこそ恐怖から解き放たれて生活ができるのだ。
私が彼らに上土方下下の話をしてから1か月が経過したが、雑誌社に訃報はない。私に異常がないのと同様に、T市に近づかなければあの怪談は私たちを襲わないのあろう。では、何が引き金になってアレは私たちを死に向かわせるのか。
次に考えられるのは場所だ。雑誌の編集担当からのメールによれば、彼らは今日にでもT市に向かい、葬儀場跡を取材してくる手はずになっている。T市を取材した担当者たちが近いうちに死亡したとすれば、私の仮説は確定するだろう。
名前と場所。その二つを避けていれば、私は「そのとき」を迎えずに済む。
パソコンの前で続報を待つ私を、玄関のチャイムが現実に引き戻した。来客の予定はないし、通販をした覚えもない。インターホンをみても玄関には誰もいなかった。
玄関ポストを確認すると、一通の手紙が投函されている。どうやら郵便のしらせだったらしい。
私は投函された手紙を開封し、そして。
――――――――――
島津春香 儀
長らく◇◇◇でございましたが私島津春香は、来たる〇月▲日に永眠いたします。
ここに生前のご厚誼を感謝し謹んでご通知申し上げます
なお 葬儀告別式は左記の通り執り行います
一、日時 通夜式 〇月▲日 午後8時から
葬儀告別式 〇月▲日 午前11時から
一、式場 T市 N葬場
喪主 上土方下下
――――――――――
訃報 若草八雲 @yakumo_p
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