カルディス大図書館の魔導教室

低賃金

第1話「ノイル=ディア・フォーマルハウトという男」

 男の一日の始まりは、遠くから聞こえる喧騒から始まる。

 靴音、話し声、椅子の擦れる音、床の軋む音。はや二年が過ぎた今では、既に慣れきった音の数々だ。

 彼の歩く姿は当初よりも落ち着いており、かの日のような緊張はとうに解けている。ぞんざいに一纏めにした長髪を揺らしながら、男は目的の扉に近づいていく。

 キィ……と油の切れた蝶番が鈍い音を立てると、中から漏れていた話し声が途端に止んだ。見れば会話をしていた少年少女が、中には肩越しに振り返ってまでこちらを見ていた。

 男は黙って中央を歩き、床から飛び出した教壇へたどり着くと口を開く。


「――今日もよく来た。さあ、授業を始めよう」


 ***


 ノイル・シルバ、改めノイル=ディア・フォーマルハウトは、齢十九のごく普通の青年である――はずだった。

 ノイルは皇都セレスティリアからやや離れたマグノリアという町でその生を受けた。上流とは行かずとも中流貴族の生まれであったが故に教養を深く吸収し、また好奇心旺盛な気質もあってか最年少八歳にして地元の学園アカデミーに合格、四年の修学を経て首席合格を果たした。

 それでも満足出来なかった彼は、皇都の中心にあるカルディスへの入学を強く希望した。

 カルディス大図書館はその名の通りに書物を納めた施設であり、また国内でも有数の著名な魔導士を代々輩出してきた名門校という側面もある。

 魔導の髄へと至る書物、辺境の地よりも質の良い授業。己を高められるものはカルディス大図書館以外にないと考えたノイルは単身皇都へと赴こうとする――が、現実はトントン拍子に進んでいた彼の人生を容赦なく叩き落としていく。


 第一に、父であるダリウス・シルバが貴族としての仕事で支払うべき経費を着服、自身の懐にしまっていた事がバレる。これにより財産没収の上、貴族としての位を剥奪されてしまう事になる。

 そうして一平民と同等になってしまったノイルは、しかし楽観的な考えで独立していこうとした。


「皇都についたら冒険者として活動して、金を貯めてから大図書館へ行こう。数年かかるけど他の奴らの先を行ってた分余裕はあるさ」


 その考えは甘かった。ぜんざいに黒蜜をかけるが如く甘く、あるいは角砂糖もかくやと言うほどに甘かった。


 第二に、皇都に辿り着くまでに一年半の時間を要した事。貴族であったが故に畑仕事はおろか、教本より重いものはほぼ持ったことがないような子供の体が長旅についていけるはずもない。所謂いわゆるボンボンだったのが災いしたのか、道中で熱を出し倒れてしまったのだ。

 次いで治療費に食費にと出費が嵩み、道半ばで路銀が尽きてしまう。この時彼は才はあるが運は無いのだということを悟った。


 かといって泣き帰ることが出来るような距離はとうに過ぎ、ノイルは皇都に向かわざるを得ない状態になった。最早食べることにすら困った彼は雨水を飲み、辛うじて食用と判別できる草を食み、疲労困憊になりながらも皇都に辿り着いた。


 彼の苦難はその後も続いた。冒険者登録をしようと互助会ギルドに赴いた際にチンピラに絡まれて身ぐるみ剥がされるだの、宿に財布を置き忘れて空き巣被害に遭うだの、荷物の運搬依頼で対象のツボを割って賠償金を払わされるだの、兎に角金回りの災難が彼に降りかかった。


 無論魔導についての勉学はかかさず、また街の外に出て採取やら討伐やらなどの依頼をこなす事もあり、少年から青年の体になる事もあって基礎体力は幼い日のそれとは格段に変わっていき、独自に魔術に関する論文を書くなどして見聞を広めて行った。


 そうして苦節五年の時を経て、彼は念願のカルディス大図書館への編入を叶えた……はずだった。

 編入式の際、ノイルは学長室へと直接呼び出された。式典会場から担当の教師と思われる男性に声をかけられ、内心では何かしたかと首を傾げて言われるがままに連れてこられる。


 中で待っていたのは、若い女だった。

 白金プラチナブロンドの長髪をハーフアップにし、肩出しのシャツに七分ほどの丈のパンツ、やや長めのブーツといった、女性にしては少し露出の多い姿で、学長の机に腰かけていた。


「キミとは初めましてだね、ノイル君――あぁ、ええと、ノイル・シルバ君だったかな?」

「……シルバの名前は五年前に剥奪されました。今はただのノイルです」

「そうかい、これは失礼。私はここの学長代理、フォーマルハウト家次期当主、アイリス=ディア・フォーマルハウトだ」


 フォーマルハウト家。

 遥か四百年前に勃発した大陸全土を戦場とした戦争――魔導大戦において、ここエスティア王国が勝利を収めたことに対し最も貢献が大きかった王家を除く四つの家のひとつ。

 魔導を修める家系の中でも優秀な血筋に与えられる宝石位、その最上位とされる金剛石ディアの名を継ぐ家。


「その、国のお偉いさんが僕に何の用ですか」

「つれないなぁ、君にとっては良い話……悪い話かもしれないけど、私にとっては良い話を持ってきたんだがね」

「それ結局僕にとっては悪い話なんですが」

「まぁまぁひとつ聞いてくれたまえよ。私はね、君が編入試験の際に提出した論文がいたく気に入ったのさ」

「はぁ」


 編入試験に際して心象を良くするために自分の考えを書き記したもの。およそ論文と言えるような筋の通った話では無いはずだが、どのような手違いでこんな大物の手に渡ってしまったのだろうかとノイルは思った。


「君にとっては何気なく書いて出してみた、程度なのかもしれないけれど、あれは間違いなく魔導の界隈が騒ぎだす代物だ。仮説が実証されれば文字通りに世界がひっくり返りかねない」

「はは……そんな馬鹿な。まだ二十にも満たないひよっこの書いた悪戯書きですよ?そんなものに目を通すはずが」

「――悪いが、そう思っているのは君だけなんだよ。ノイル少年」


 すっ、と周りの温度が心なしか低下したような、薄気味の悪さすら感じられるほどの冷気を帯びた言葉。先程までのおちゃらけた態度は吹き飛び、真面目な眼光でもってノイルの双眸を突き刺す。


「私から見てもアレは現実味の無い、絵空事の夢物語ではないと断言出来る。断言できてしまうほどに実証性が高く、そしてそれが危険な試みであることに周りのお偉い連中は分かってない」

「分かるかい?君は思いつきであの論文を書いたのだろうけど、君より魔導を知る者たちは、いや知っていたつもりだった者たちはあの日大騒ぎだったんだよ。魔導界がひっくり返るってね」

「先に目を通した教師には私から他言無用としてある。真っ先に次に見たのが私だったのが幸いしてね。君には悪いが私の所見として議会に提出させてもらった。予想通り会場は大わらわだったがね」

「もしも書いたのが君だと知られたら、正直かばいきれる自信がない。アレを独占したいと思う魔導士は山ほどいるだろうからね。中には手段を問わずに情報を奪い取ろうとする輩もいるだろう。欲しいのは情報であって君ではないのだから」


 一方的にまくし立てる彼女の目には戯れも遊びも含まれていない、真っ直ぐに真実のみを伝えている目だった。

 その迫力に充てられて、半ば脅しとも取れるような台詞に口の筋肉が固まる。乾いて張り付いた舌を湿らせて、なんとか続きを促そうとするが上手くいかない。


「それで……僕に、何を、どうしろって、言うんですか」


 そう、やっとの思いで絞り出すと、彼女は先程までの氷のような表情を引っ込めた。


「それが聞きたかったんだよ。うんうん、素直でよろしい。さっきも言ったように私はあの論文が気に入ってね。聞けば新しく編入してくる子が書いたって言うじゃないか。しかも没落貴族と来た」

「没落貴族は関係ない気が……あ、いえ、続けてください」


 横槍を入れようとするとにっこりと、しかしゴゴゴゴと擬音が浮かび出そうなほどの迫力をした笑みで見つめられてゴニョる。


「私はあの論文が、ひいてはアレを書いた本人が気に入った。しかしアレは表沙汰にすれば大問題になるような爆弾であり、それを書いたのが君だとすれば君の身に何かが起こる……のも不思議じゃないなーと私は思ったのだよ」

「そこで提案があるんだ。君にとっても私にとっても上手い話だと思うんだがね」


「――聞いてみないことには首は縦にも横にも振れませんね」


「そうかい、じゃあ提案、もとい取引だ。君には二つ条件を提示する。それを飲んでくれればここの施設は学長代理、もといフォーマルハウト家の権限のもと全ての利用を許可する。勿論一般の人には見せられないような書庫の立ち入りも含めよう」


「それは……条件というのは?」


「何、どれも簡単な事さ。一つ、ここカルディス大図書館の非常勤講師として勤めること。二つ、我がフォーマルハウト家に養子入りし、次期当主となること」


 ……………。


 ………。


 ……。



「――――はい?」


「聞こえなかったかい?ならもう一度言おう。一つ、ここカルディス大図書館の非常勤講師として勤めること。第二に――」


「いや、聞こえました。聞こえたけど理解が出来なくて聞き返したんです。非常勤講師?僕は生徒として編入試験を受けたんですが?何がどうしてどうなって生徒じゃなくて講師になるんですか?!」


「どうしてってそりゃあ、君ほど魔導に関して造詣が深い者が他にいないからに決まっているだろう」


 唖然とした。


「例えば属性混合のプロセス。あの論文の一端に過ぎないが、他の者はでやってみせて感覚で物を覚えさせるのが通例だ。だが君はそれを論理的に、それも反論の一つも思い浮かべられないほどに完璧に説明して見せた。他の者が説明できないものが説明出来る、それで十分だろう?」

「なに、いきなり生徒にものを教えるつもりもない。その為の非常勤講師、さらに君に持たせる授業は単位に関係の無い、あくまで魔導に興味のある者のみが受ければいいという自由なスタンスを持たせてある。君がやりたいようにやらせてみればいいさ」


「そんな無責任な……」


「ある程度将来性を見込んだ試みではあるのだがね?属性混合の件もそうだが、君には他人が説明できないものを説明できる引き出しがある。それを他の生徒に広めてくれればいいと言うだけさ。正直、ここでの授業で得られるものは少ないと思うがね」


「はぁ……確かに魔導の研究についてはあくまで自分の力で、とは思ってましたけど……それについてはまあいいです、何事も経験ですから。それで第二のフォーマルハウト家当主になれとは?」


「それもそのまま、君に養子に入って貰いたいのさ。我がフォーマルハウト家は男子を優先的に当主とするしきたりがあってね、君が我が家系に入れば私は次期当主の座から外れることが出来るのさ」


「当主の座から外れたい、その心は?」


「色々面倒なのだよ。当主らしくあれとか、当主としての自覚がどうのとか、現当主である父は私が女として生まれたことを今でも引きずってるみたいでね、いやいや座らされてる地位になんて私も着きたくない」


 ため息混じりに話す彼女を見てしばし瞠目する。少年期の何も分からない時期は、貴族内のドロドロは理解できなかったが、今となってはそれも強くわかるくらいには成長してしまっていた。


「僕が養子になったところでそんな簡単に当主の座を譲れるものなんですかね?」


「問題ないだろうよ。父も男子で、かつそれなりの血筋であれば形だけでも良いだろうと思うさ。あの人はしきたりや伝統ばかりを好む堅物だからね。最悪、君を名ばかりの当主に据えた上で私が身篭ったりでもした際にその子を次期当主するとも言いかねない」


 まだ嫁入りをするつもりもないが、とアイリスは笑う。

 似合わないな、と思った。家に縛られ、正しく家系も継げず、自分が養子入りしたらしたで今度は子を産むためだけの存在になりかねない彼女。見た目は自信と同じか少し上くらいの少女なのだから、余計にその諦めたような笑顔が胸を締め付けた。


「――養子入りしたとして、僕が名実ともに当主になる可能性は」


「ん?……そうだね、我が家系に連なる魔術を身につけ、かつ父をも認めるほどの才覚があればあるじゃないかな。それでも砂の中に落した針を探し当てるほどの可能性だがね。しかし――やる気があるのかい?」


「あるかないかで言えば、半々ですよ……でも断ったら断ったであとが怖いですし、やらなきゃ後々面倒なんだろうなとは目に見えてますから。それに」


「それに?」


「――難しいと言われたら俄然やってみたくなるのが男の子ですから」


――貴女の寂しそうな笑顔に何故か惹かれたから。とはさすがに言えなかった。

 それでも言い訳じみた一言には変わりなく、多少恥ずかしさを堪えながら返事を待つ。少女のぽかんと空いた口は次第に閉じていき、やがて弓なりに曲がっていく。


「……ふふっ」


 堪えきれなくなったように吐息が漏れ出す。そして嬉しそうに、歓迎するかのように、言った。


「ノイル=ディア・フォーマルハウト」


「―― 」


「口にしてみれば、結構様になっているじゃないか」



――その日、一人の教師が生まれた。

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