カーテンの向こうで、がくすぶっている。


 うす暗い部屋。あちこちにほこりが積もっている。文庫本は乱雑に散らばっている。ビールの缶が、背の低い机のうえに倒れている。……


 安彦は目を覚ました。なにやら、懐かしい記憶が夢になっていたようである。目の奥底に涙がたまっているのは、たしかだった。


 携帯を見ると、昼の二時である。ふとんのなかで伸びをひとつすると、関節がポキッと鳴った。


 安彦は、かけ布団をはぐと、それを片付けもせずに、のそのそと部屋を出て、階段を降りていった。――




「安彦……起きたのか?」


 茶の間から父の声がした。昼を過ぎたのに、今日の朝刊を読んでいる。松葉杖が足もとに横たわっている。灰色の湯のみの横に、痛み止めの抜けがらが転がっている。


 安彦は台所へと入っていき、冷蔵庫から麦茶を取り出した。透明のコップに半分そそいで、口をつけた。


 父はくだんの話を持ちだした。


「採用は決まったのか?」


 まだコップの底に、ほんの少し麦茶が残っていた。が、安彦は、それを流し台に置いてしまった。


「四時くらいに連絡がくるかもしれない」


「そうか……受かるといいな」


「まあ……」


 安彦は台所の横の八畳の部屋に入った。そして、仏壇に線香をそなえた。先ほど見た夢が、少しだけ頭の中によみがえった。――




「四時までどうしてる?」


 流し台の下からカップ麺を取り出すと、安彦はヤカンでお湯をかしはじめた。


「どうしてるって……待つしかないよ」


「そうか……なら悪いが、このお金を組長さんに持って行ってくれないか。神輿みこしの修理費。担ぎ手もほとんどいないんだがなあ……」


 安彦は、封筒を受けとった。


「本当に受かるといいなあ……」


 父の声は、あきらめを抱えた悲しみを、そこにうるませていた。――




 いつものように海は、どこか落ち着かない青色をしていた。


 なまぬるい風がたびたび吹いてくる。


 海岸線に沿って歩いていく。相変わらず、車の行き来はほとんどない。海の上には船さえない。人々の営みの影さえない。が、「ない」はたがいに繋がりあって、ひとつの「ある」を形づくっていた。


 向こうに、密集した家々が見えてきた。まるで山からはえてきたかのように、ずっしりとこの村の自然に根を下ろしている。


 その中のひとつ、古い木造作りの家が、組長のつい住処すみかである。安彦は、ガタガタと音がするガラス戸を開けた。


 組長は、床の上に寝ころんでいた。


「両の窓を開けると涼しい風が入るから、ここで昼寝をしてるんだよ」


 そう、組長は言った。


「今年いっぱい、大変な役をもらってしまった」


 組長は、この村の全世帯が神輿の修理代を持ってくるまで、えんえんと待っているしかないのだ。


「さっき米子さんが来て、ちょっと話してたんだけど、来年からは、村の外から神輿の担ぎ手を集めようかと思ってるんだけど……安坊はどう思うよ?」


 安彦は答えられなかった。


 組長は、寝ころんだまま、あくびをした。


「安坊のところは修理費はいらないから、持って帰りな」

「え?」


「マサさん、骨折して仕事に行けないだろう。安坊は働いてないし……稼ぎ手がいないのに、修理代を貰うわけにはいかないからさ」

「でも……」


「内緒だぞ」


 組長は、「電気を消して」と安彦に命じた。「米子さんがけていったんだな」――その後も組長は、かたくなに修理代を受け取らなかった。


 安彦は、修理代をポケットの奥につめこんで、組長の家を出た。


 小道に出ると、片山とばったり会ってしまった。けだるそうな表情をしていた。


「安坊、爺さんいる?」

「はい。玄関で寝ていますよ」


「神輿の修理代を持ってったの?」

「そうです」


「まったく、一万円なんて高いよなあ。さっさと置いて帰るか。じゃあな」


 片山は、安彦の肩をポンと叩いて、いってしまった。自分の家だけ修理代を免除してもらったことが、うしろめたかった。


 このはね返された修理代を見て、父はなにを思うだろうか。


 安彦は、もときた道を歩きだした。――




 海沿いを歩いていると、ぽとりと、雨のしずくが、安彦の頭に落ちてきた。どうせ、採用にはいたらないだろう。安彦は、ほとんどあきらめていた。


 そのとき、赤色の車が、安彦の横を通り抜けた。

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砂の城の城下町で 紫鳥コウ @Smilitary

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