60.賢者のラブコメ
以下は余談だ。
♡
虚実共に色々と巻き込んだ途方もなく長い自慰行為を終え、賢者タイムに入った俺は、何事もなかったかのように日常へと舞い戻った。いやまあ、事実として何事もなかったのだから、戻るもなにもないのだが。意識と心構えの問題である。
俺が
俺としては、大学入学からずっと夢みたいなもんだったんだから、4月からやり直させてくれてもいいじゃん、なんて思ったりもしたけど、どうやら俺が見ていたのは白昼夢だったようだ。時間はきっかり9月も半ばまで進んでいた。
ここまでくれば、居直るほかない。清濁併せ呑んで楽しめれば俺の勝ちである。
そいうい心意気で、後期の始まりと同時に、俺は色々なところへ顔を出した。
まず手始めに『観研』だ。
最初の方に数回しか顔を見せずにひっそりと消えた俺の再登場に、皆どよめいていたが、今となってはそれなりに受け入れてもらえている。
『観研』といえば、言わずもがな島林先輩である。己の内でとはいえ、勝手に彼女にして有らん限りの欲望をぶつけ続けた彼女に、俺はマトモに顔を合わせることができるのだろうかと内心戦々恐々としていたが、果たしてそれは杞憂であった。
なんたってこちとら賢者タイムだ。普通に仲良くなれた。
俺の観察眼は我ながら大したもので、 数回の顔合わせしかしていないにも関わらず、妄想の世界の中の島林先輩と現実の彼女のあいだにはそれほどギャップは感じなかった。美人だし、優しいし、テキトーだし、ほぼほぼ留年が確定していた。いやこれ妄想よりひどくないか。
隙あらば部室でチャラ夫と盛り始めるのが玉にキズであるが……当のチャラ夫──いや、稲田先輩か。彼も、ひょろひょろなクセにお兄系のセンス丸出しな服装であることを除けば、良識と行動力と茶目っ気を兼ね備えたいい人だった。ちなみに学業の成績はすこぶるいいらしい。
最近は、島林先輩の愚痴もとい惚気を肴に、二人、あるいは三人四人くらいで昼間っから部室で酒盛りするのが専らの日課になりつつある。んなことしてるから留年するんだよなぁ……。
「佐倉君。最大のリスクは、リスクをとらないことにあるんだよ」
島林先輩はキメ顔でパイポを蒸かしながら(人生5度目くらいの禁煙中らしい)そんなことを言った。
「いやぁ……? 先輩はザッカーバーグ気取るには、致命的におつむが足りないかと……」
「……すぐそういうこと言う。だからモテない」
いやはや、おっしゃる通りで。
♡
ギャンブルやら夜遊びやらから多少距離を置くにしても、キャンパスライフを充実させようと目論むならば、当然それ相応の資金がいる。そんなワケで俺は、鄙びた駅の喫茶店チェーンで、相変わらずそんなに来ない客を捌き続けている。
大宮はバイトリーダーの相模さんにゾッコンで、そんな2人の仲を知ってか知らずか新人の高校生が大宮にメロメロと……こちらはこちらで、甘酸っぱい恋の火花が散っていた。
大宮からはノロケられ、大宮が俺と話して楽しそうにしていると相模さんが少し機嫌を悪くし、
「しっかし、あれだよねー。佐倉、なんか雰囲気変わった?」
「そういうの本人に訊いても意味なくない?」
「なんか……輪をかけてキモくなったというか」
「そういうの本人に言う?」
「ま、私は今の佐倉のほうが好きだけどね」
そう言うと大宮はウインク一つ。……いや自分で笑っちゃダメだろそこは。
「ていうかほんっとそういうこと言うのやめろ相模さんに怒られんの俺なんだから」
「あっはっは」
大宮もなんというか、大宮だった。
とすると、現実の俺も、美少女とのエンカウント率それ自体は高いようだ。違いがあるとすれば一点、誰も俺のことなんて歯牙にもかけていないことだろうか。むなしいといえばむなしいものだが、これはこれで気楽である。
……ああ、違いならもう一つあるか。それもとびきり致命的なやつが。
別に、忘れていたわけではないんだ。これを語るには、俺にも覚悟というか、準備というか……いや。きっと、イニシエーションの一種だったと、忘れてしまうべきなのだろう。
でも、俺にとっては、忘れようもなく、忘れてはいけない……一人の、女の子のことだ。
♡
語るまでもないが、この世界に桃原はいない。
再三にわたって語ってきたが、俺の貧相な頭の中からあれだけの美少女をゼロベースから生み出せるはずがない。どこかにオリジナルとなる存在が居るはずだと、現実に戻ってからというものこれまで見たアニメやらギャルゲーやらを掘り起こしてみたが、該当するキャラクターは見当たらなかった。
であれば、現実だ。観研でもバイト先でもなく、高校生以前の俺と地続きな、なにごともない日々の、そのどこか。
しかし、ハカセを筆頭とした麻雀仲間達と猥談に耽り卓を囲み、『JOY』の先輩達と居酒屋をはしごする……そんな日々に桃原はおろか、女性の影すら踏むことはなかった。
ならばきっと、彼女は確かに……あの世界に、"存在"していた。
きっと俺の妄想として成り立っていたあの世界を俺が棄却したということは、彼女もそこに置き去りになってしまったに違いない。これを殺人といわずして何と言おうか。
月並みな言葉ではあるが、人は二度死ぬのだと言う。一回目は、その身が滅びたその時。二回目は、その名が呼ばれることがなくなった、その時。
記録としては荒唐無稽に過ぎ、酒の肴の失敗談にしては笑えない。だからこれは、物語でしかあり得ない。
たとえ俺が作家でも詩人でもないにしても、彼女の生きた証として。
この物語を楽しんでくれた読者がいたならば、幸いだ。〈了〉
☽
「星見に行くって……これ、お月見じゃんよ」
「仕方ないじゃないですか、雲量がすごくて、他にまともに見える星がないんですよ。……そこ、組み立て方違います。ああもう無理やり差し込もうとしないでください、高いんですよそれ」
「つか、なんで俺が組み立ててんのさ。ぜんっぜん知らないのに」
「これくらいしかできることもないから、なんて言って勝手に組み立てはじめたのは佐倉くんだったと記憶していますが」
「訂正するよ。俺はこれくらいのこともできない無能だ」
「いじけないでください」
「……だいたい、肉眼でも見えるじゃん。もういいよ、月見で一杯としゃれこもうぜ」
「…………」
「いじけないでよ」
「あきれてるんです…………はぁ」
「……」
「…………」
「…………」
「……綺麗ですね、月」
「……死ぬには早い気もするけどね」
「そういう意味でいったわけではないです」
「あ、そッスか……」
…………でも、本当に。月が綺麗な、そんな夜だった。
「…………コーヒー。飲みますか?」
賢者のラブコメ 手島トシハル @tejitoshi
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