エピローグ
◆◆◆
「カトリーナ奥様、シャーロットお嬢様がお越しです」
ウィスタリア侯爵夫人としての執務をおこなっていたカトリーナは、側仕えの報告を受けて、義理の娘であるシャーロットを部屋に通すようにと言付けた。
同時に、お茶菓子についても最上級の物を用意するようにと指示を出す。
そうしてペンを止め、シャーロットが屋敷に来た頃へと想いを馳せた。
ノエルには言わなかったことだが、当時のノエルはまだまだ未熟だった。
シャーロットが有能なら、カトリーナとは無論、当主であるロバートとも血の繋がらぬ彼女が当主、もしくは当主となる婿を取る可能性もあった。
カトリーナは侯爵家の乗っ取りをなにより警戒していたのだ。
だが――ノエルはあの日から人が変わったかのように努力を始めた。
息子の成長は喜ばしいが、シャーロットも非常に優秀だった。ノエルの成長に伴い、シャーロットも成長していくため、家が乗っ取られる可能性を否定できないでいた。
そんなある日、シャーロットがカトリーナのもとを訪ねてきて――
「お義母様、シャーロットです」
回顧の記憶と同じように、けれどあの頃よりもずいぶんと大人びた声が扉の外より聞こえてきた。その声で我に返ったカトリーヌはシャーロットを部屋に招き入れた。
執務机から立ち上がり、ローテーブルを挟んだソファで顔を付き合わせる。
「よく来ましたね。あなたがくれた香水、とても評判が良いですよ」
「お義母様のお役に立てたのなら嬉しいです」
無邪気に微笑む義理の娘が可愛らしい。夫や息子が溺愛するのも無理はない――と、自分自身も義理の娘を可愛がっているカトリーナは微笑み返す。
ただし、義理の娘が見た目通りの無邪気な娘ではないことにカトリーナは気付いている。その上で、そういう部分も含めて可愛がっているのである。
ずいぶんと絆(ほだ)されたものだと思うが、可愛いのだから仕方ない。
娘を欲していたカトリーナにとっては悪くない状況だ。
――と、不意にシャーロットが小さな溜め息をついた。
「どうかしたのですか?」
「実は――お義父様を通じて、婚約の打診があったのです」
「……あら? ロバート様は、ノエルの補佐役を認めてくださらなかったのですか?」
「いえ、それは認めてくれたのですが……」
前置きを一つ、アッシュフィールド侯爵家の跡取りがノエルに突っかかり、叱りつけたシャーロットが気に入られたという、ずいぶんと面白い馴れ初めを聞かされた。
「それでは、ロバート様が進めるのも無理はありませんね」
「……どういうことですか?」
「貴族の妻は夫の行動に口を出さないのが一般的ですからね」
シャーロットは非常に優秀だが、それゆえに殿方からは煙たがられる可能性がある。にもかかわらず、彼女の性格に惚れ込んだという存在は貴重だ。
それが政略結婚として釣り合う相手ならなおさらである。
「……わたくしはどこにも嫁ぎたくありません」
「それはもう知っています。今回も、婚約を強制された訳ではないのでしょう?」
「はい、それは大丈夫です」
「ならばかまいません。もし困ったことがあれば相談なさい」
婚約阻止の手伝いをするという意味だ。
言葉の裏に伏せたこちらの意図に気付いたシャーロットが目を瞬いた。
「驚くことはないでしょう? あなたはロバート様を救ってくれた恩人です。いまや、香水という手札も持っています。あなたを切り捨てるようなことはありません」
「では……」
「わたくしも、あなたのことを認めましょう。覚悟を見せてもらいましたからね」
ロバートがシャーロットに課題を与えたように、カトリーナもまた、シャーロットにある課題を与えていた。それについて合格だと告げたのだ。
「ありがとう、お義母様、とっても嬉しいです!」
シャーロットは本当に無邪気な顔で微笑んだ。
その後、軽い世間話の後にシャーロットを部屋から送り出した。
その背中を見送り、再び過去に想いを馳せる。
――あの日、カトリーナの部屋を訪ねてきたシャーロットはこう口にした。
『お父様と自分に血の繋がりがないことを知っています』
恐れていたことが現実のものとなった。それを理解した瞬間、カトリーナの頭の中を埋め尽くしたのは、どうやってシャーロットの口を封じるかということだ。
だが、その考えが纏まるよりも早く、彼女はこう付け加えた。
『わたくしの望みはお兄様の側にいることです。それ以外にはなにも望みません。だから、絶対に秘密を漏らさないとお義母様に証明してみせます』
シャーロットがノエルを慕っているのは誰の目にも明らかだった。
いくら腹違いの兄妹だと聞かされていても実際には血の繋がりはないし、別々に育ったのだから兄妹という感覚は薄かったはずだ。そこにあれだけ優しくされれば無理もない。
気付いていなかったのはノエル本人くらいだろう。
だが、血の繋がりのある兄妹であれば結ばれることは許されない。彼女が兄と結ばれるためには、二人が血縁関係にないとロバートに明かす必要がある。
それゆえに、血の繋がらぬ兄妹であるという事実をシャーロットが知ることをことさら警戒していた。事実を知った彼女が、絶対に秘密を漏らさないと言っても信用できるはずがない。
そんな予想に反し、シャーロットがその言葉を証明したのはそれからすぐのことだ。縁談を押し付けられそうになった彼女は、無邪気な顔でお父様と結婚すると言い出した。
その意図を理解した瞬間、カトリーナは鳥肌が立つのを自覚した。
実の娘の言葉であれば、ただ微笑ましいと見守ることが出来た。だが、二人のあいだに血縁関係はない。貴族社会において、父親が養女を嫁や愛人にすることも珍しくない。
ましてや、ロバートは娘を溺愛している。血縁関係にないという事実があきらかになれば、シャーロットの願い通りに第二夫人に迎える可能性は決して低くない。
もし、シャーロットの目的がロバートと関係を持つことであれば、それが決め手とも言えただろう。けれど、シャーロットは最初にこういった。
『わたくしの望みはお兄様の側にいることです』――と。
自分と父親のあいだに血縁関係がないと明らかになればその想いは潰える。彼女がノエルの側に居続けるためには、自分の秘密を明かす訳にはいかなくなった。
いや、自らその状況に誘導したのだ。
彼女はそうやって自分を追い込むことで、秘密を守ると証明してみせた。たったの一言で自分の縁談を阻止し、なおかつカトリーナの信頼を勝ち取ったのだ。
それに、シャーロットは様々な流行を生みだしている。
香水や茶葉、それにハンドクリームやリップクリームといった品々。それらを真っ先に受け取れるという立場を今更捨てられるはずがない。カトリーナは乾燥肌なのである。
シャーロットがどこまで計算しているのかは分からない。
だがこれだけは言える。
シャーロットはノエルの側にいるためなら手段を選ばない少女だ。
愛らしいだけでなく、知謀に優れ、なおかつ思いっきりが良い。どこを取っても、十代半ばにさしかかったばかりの娘とはとても思えない。
そんな彼女のことを、カトリーナはいまではだいぶ気に入っている。
だから、幸せになって欲しいとは思うのだが――
「ノエルはシャーロットが望む相手と嫁がせる――と言ってましたが、血筋のことは明かせない。あの発言の責任をどう取るつもりでしょう?」
あのときのノエルは、シャーロットの好意の種類に気付いていなかった。だがカトリーナだって、こんな風になるとは思っていなかった。どのような落とし所に行き着くのか想像できない。そんな風に考え、それが根本的な間違いだと気が付いた。
ただしくは――こうだ。
「ノエルは、あの可愛くもしたたかな義妹からどこまで逃げられるのかしらね?」
◆◆◆
中庭のテーブル席に座って中庭の景色を眺めていると、父上からの伝言が届いた。どうやら、父上は新たな養女を迎えようと考えているそうで、候補を相談したいとあった。
おそらく、予想外に増えた縁談に、養女を増やして対応するつもりなのだろう。貴族の家では珍しくない話だが、シャロがどういう反応をするか想像すると頭が痛い。
もっとも、実際に増えるかどうかもまだ分からない。いまのところ、シャルに教える必要はないだろう。そんなことを考えていると、おもむろに背後から目隠しをされた。
「お兄様が大好きなわたくしはだーれだ?」
「……シャロ、なにをやってるんだ?」
答えた瞬間、両目を塞いでいたシャロの両手が俺の首へと回された。
「まぁっ! お兄様はわたくしが大好きだったんですね!」
「……いや、まあ、妹としては愛してるけどな?」
俺がさきほど答えたのは、俺のことを好きなシャロであって、俺が好きなシャロではない。
さり気なく既成事実を作ろうとするところが微妙に油断ならない。なんて思っていたら俺に抱きついているシャロが「えへへ、わたくしもです、お兄様~」と頬を擦り付けてくる。
今日はなにやら、小悪魔可愛いシャロが暴走している。
「……母上になにか言われたのか?」
「あら、どうしてそう思うのですか?」
俺の首に抱きついたままのシャロが、こてりと首を傾げるような素振りをする。
「いつもと様子が違う気がしたんだが……気のせいか?」
「ん~、お義母様に言われたことはありますが、悪いことじゃないですよ? どちらかと言えば、嬉しいことです。だから、少し浮ついてるのかもしれませんね」
「なら良いけど、困ったら俺に相談するんだぞ?」
「わたくしはいま、優しいお兄様が素敵すぎて困っていますっ!」
「はいはい」
なんだかよく分からないが、今日のシャロはトニカク可愛い。そんな可愛い可愛い義妹が、ギューッとしがみつき、俺の耳に唇を寄せた。
「お兄様、ぜぇったい逃がしませんからねっ」
俺が7年育てた悪役令嬢(義妹)はトニカク可愛い 緋色の雨 @tsukigase_rain
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