「ふう、これで良し……と」

「できたっ?」

「ああ。ちょっと滑ってみるか?」

「うんっ!」


 食後にバラエティー番組を見ながら今か今かと待ち侘びていた一葉は、調整を終えたスライプギアを受け取るなり一目散に外へ出ていく。俺も後へ続くと、駐車場に出た少女は素早く脚に装着するなり軽快に滑り出した。


「ぱにゃにゃんぱ~っ!」


 スライプギアの基本操作は普通のローラースケートと大して変わらない。走り出しは脚力が重要かつ、重心や蹴り出す力にモーターとバッテリーが反応し速さを調節する。

 ただ速度を上げれば上げる程バランスを取るのが難しく、その点では一葉や双葉のように体重が軽い小学生の方が若干有利であるため慣れるまでの時間も短い。


「うん、バッチリ! ありがとお兄ちゃん!」

「これくらい、お安い御用だ」


 試運転を終えた少女は、ニコニコと満面の笑顔を見せつつ帰ってくる。

 本来メンテナンスはあまり必要ない代物だが、昔から暇さえあれば弄っていた俺にとって調整は楽しいひと時だったりする……が、今日は少し時間を掛け過ぎたかもしれない。

 ミーティング後は買い物へ行く予定だったが、朝に一葉と約束していたスライプギアの整備を優先。気付けばお腹が鳴り始める時間になっていたため、結局冷蔵庫の中身の補充はできないまま夕飯はレトルトカレーで済ませた。


「お風呂掃除だ~っ! 双葉~、先行ってるよ~」


 スライプギアを脱いだ一葉は、言うが速いか脱衣所へと消えていく。俺も後片付けをしに部屋へ戻ると、先程までテレビを見ていた双葉が使った工具類を戻してくれていた。


「お、ありがとうな双葉」

「これくらい、お安い御用ですわ」


 先程の会話は聞いていない筈なのに、俺の言葉を真似るように応える少女。自分では気付かなかったが、ひょっとして普段から割と口にしていたんだろうか?

 無い胸を張りつつ片付け終えた双葉が着替えの用意を始めると、風呂場からは掃除をしているシャワー音に加えて盛大に歌い始める一葉の声が聞こえてきた。


「それにしても、一葉は本当に風呂好きだよな」

「お風呂というよりも、潜るのが好きなだけですわ」


 確かに潜った時というのは集中できる気がする。

 人は母親の胎内で羊水に浮かんで成長すると言うが、あの言葉に表現しにくい独特の感覚に何とも言えない落ち着きを感じるのも関係あるんだろうか。

 双葉が脱衣所へ向かった後で台所へ向かい、相変わらず仲の良い二人の喚き声を聞きながら皿洗いを済ませると、タイミング良く風呂場から声を掛けられた。


「お兄ちゃ~ん! お風呂沸いたよ~。早く来ないとお湯がなくなっちゃうよ~」

「はいはいっと」


 初めて一緒に入ろうと言われた時には若干戸惑ったが今では慣れたもの。一応チサトさんにも確認は取ってあり「まだ子供ですし空也さんなら問題ないでしょう」との旨だ。

 服を脱ぎ風呂場の扉を開けると二人は浴槽の中に沈んでおり、湯船には髪の毛だけが浮いているという、ホラーにしか見えないような光景が広がっていた。


「ぶはっ!」


 少ししてから、ざばんと勢い良く音を立てて双葉が顔を出す。

 その直後に一葉が顔を上げ、息を切らしながらガッツポーズ。風呂場で髪留めを外しているため、ポニーテールとツーサイドアップの区別がない二人を一瞬見間違う。


「ぷぁっ! はー、はー、一葉の、はー、勝ち~」

「ま、負けましたの」


 見ているだけで肺活量が鍛えられそうな戦いだが、勝率は6:4くらいで一葉の勝ち。どちらかというと身体能力的には、若干ではあるが姉の方が勝っているらしい。

 やがて肩で息をしていた一葉が俺に気付くなり、大きく両手を広げた。


「あ! お兄ちゃん! ジャジャ~ン、今日は緑のお風呂で~す」

「泡風呂の間違いじゃないか?」

「なんですと~っ?」


 どうやら入浴剤を入れたらしいが、二人が潜ったことで至る所に泡が立っている。

 浴槽の大きさは三人がギリギリ入れるかどうか程度であるため、俺は風呂椅子に座ると石鹸を片手にタオルを泡立て身体を洗い始めた。


「あ! お兄様、お背中流しますの」

「だめ~。お兄ちゃんの背中は一葉が洗うんだもん!」

「一葉は昨日洗いましたの! 今日はわたくしの番ですわ!」

「へっへ~ん。双葉は今日、一葉に競争で負けたから洗えませ~ん」

「あれは一葉がズルをしたからですわ!」

「でもさっきの息止め競争は一葉の勝ちだったもんね!」

「う…………仕方ありませんの」


 どうやら勝敗は決したのか、一葉が浴槽から飛び出した。

 飛沫と共に、少女のあどけない裸体が露わになる。火傷の痕さえ除けば何一つ膨らみのない平らな胸に、肉付きの少ない細目の脚とまだまだ子供の身体だ。


「じゃあ頼んでもいいか?」

「はいは~い」

「お兄様。明日こそわたくしが洗いますの」

「ああ、ありがとな」


 手にしていたタオルを渡すと、一葉が懸命に力を込めて擦り始める。浴槽では双葉がムッとした表情を浮かべつつジーっと眺めていた。

 何故かは知らないが、背中を洗うことに関してだけ妙に固執する二人。食事とか洗濯といった手伝いを取り合うなら俺も助かるんだけどな。


「お兄ちゃんの~背中は~大きいな~♪」

「二人とも、そのうち大きくなるさ」

「一葉が大きくなったら、お兄ちゃんと結婚してあげるね」

「抜け駆けは許しませんの!」

「じゃあお兄ちゃんに聞いてみる? 一葉と双葉、どっちがいい?」

「さあ、どっちだろうな」


 小学生ならではの安易な考えに、苦笑いを浮かべつつ答える。

 そんな解答に不服だったのか、一葉は不満を露わにするような唸り声を上げた。


「む~……そんなお兄ちゃんには滝修行の刑だ~っ!」

「滝修行って……うぉっ? 冷たっ!」

「しゅわっち!」

「きゃっ?」


 背中を洗い終えた一葉が蛇口を捻るとシャワーが出るが、流れてきたのは冷水。しかもそのことを知っていたのか、当の本人はすぐさま湯船へとダイブし避難していた。

 慌ててシャワーを手に取り、逃走した犯人にノズルを向ける。


「やったな一葉! うらーっ、お返しじゃーっ!」

「冷たいのがくるぞ~っ! 逃げろ双葉~っ!」

「お、お兄様、こっちにもかかってますの! わたくしは何もしていませんのーっ!」


 …………何だかんだ言って、やっぱり俺にも親父と同じ血が流れてるらしい。

 今日もアパートからは、賑やかな声が響き渡るのだった。

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