無月

「うがーっ! このチョコは俺様のじゃーっ!」

「おじさんずるいよ~っ! 一葉だってそれ食べたい~っ!」


 部屋の真ん中にはガラステーブルが置かれ、その両脇にはふわふわのソファ。一葉と双葉が座っているのは横に広い一脚で、親父側には一人掛けのものが二脚ある。

 棚の中には資料の入ったファイルで埋め尽くされたミーティングルーム兼応接室では、いい歳をした大人が子供相手に菓子を取り合うという醜い争いが繰り広げられていた。


「だーっし、わかった。じゃあ公平にジャンケンすっぞ!」

「オケオッケ~。やるよ双葉っ!」

「わかりましたの!」

「せーの、最初はグーっ! …………あ~~~~、おじさんずる~っ!」

「馬鹿め! いつから最初はグーだと錯覚してやがった! 元ネタも知らない世代が使うなんて百年速ぇんだよ! がぁーっはっはっはっは!」


 子ども相手に卑劣な真似をして、どうしてこんなに楽しそうなのか。

 最初にパーを出し勝ち誇った親父が、チョコの入った菓子袋を占領する。見た目は大人でも中身は子供、精神年齢が小学生レベルの父親を前に深々と溜息を吐いた。


「チサ姉~っ! おじさんが最初にパー出して一葉達のチョコ取った~っ!」

「テメッ、一号! チサトに言いつけるのは卑怯だぞ!」

「どっちが卑怯ですか! これはお二人の分であって、ジョージの分はありません!」


 チサトさんは親父から菓子袋を奪い取ると、二人へチョコを手渡す。

 双葉の隣に座った霧雨は、迷うことなくテーブルに置かれていたねりねりを開封。四人で座るには少し窮屈なので、俺は資料を手に取ると肘掛け部分に腰を下ろした。


「ったく、始めるならさっさと…………おう、帰ったか」


 唇を尖らせながら不満を垂れていた親父だが、やや遅れて部屋に入ってきた大柄な人影を見るなり今までの大人げなさから一転、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。


「あ! ムサシンだ~。ムッサシン♪ ムッサシン♪」

「ご無沙汰ですわ。ムサシおじ様」

「…………」


 西部劇のガンマンの如くテンガロンハットをかぶり、茶色のマントに身を包んだ男。スカーフ代わりの赤いマフラーで口元を覆っており、素肌はほとんど晒していない。

 革手袋を外したムサシさんは黙ったまま、よく来たとばかりに一葉と双葉の頭上にポンと手を置いた後で、経過報告を待つ親父に向けて右手の親指を立てた。


「だろうな。お疲れさん」


 一見バッチリと言わんばかりのポーズだが、答えは全くの反対。その実はテストによる評価点数であり、10点満点の採点で今日来た志願者は1点という意味だ。

 やっぱりという表情を僅かに見せたチサトさんが玄関へと引き返す。ムサシさんは空いている一人掛けソファに腰を下ろさず、壁に寄りかかり腕を組んだ。


「ふぉふぃーふぁん、ふぉーふぃふぁふぉ?」

「一葉。口に物を入れながら話さない」

「お兄様、どうか致しましたの?」

「いや、何でもないよ」


 戦利品のチョコをハムスターみたいに頬へ詰め込んだ一葉の通訳がてら、双葉が首を傾げつつ尋ねてくる。俺は志願者のことを隠したまま、改めて向かいにいる二人を見た。


 チーターのジョージ。

 守護神ムサシ。


 何を隠そうこの二人こそ、かつてラック界において最強と呼ばれていながら唐突に姿を眩ました伝説のチーム『無月(ムゲツ)』の一員である。

 彼らが電撃引退したのは、俺が小学校を卒業した頃の話。あれから三年近く経っているにも拘わらず、その名前は未だ耳にすることが多い。


「お待たせ致しました」


 そしてその無月を裏で支えていたのが、他でもないチサトさんだ。

 志願者に口止めを兼ねたアフターフォローをしてきたであろう敏腕マネージャーは、親父の隣にある一人掛けソファへ腰を下ろすと膝の上でノートパソコンを開く。


「皆さん、お手元に今回のフィールドマップと相手の資料はございますか?」

「は~い!」

「準備完了ですわ」

「……いただきます」

「ではいつも通り、何か質問があればどうぞ」


 俺と霧雨には外付けメモリが渡されており、一葉と双葉の前には紙の資料が置かれている。携帯にメモリを繋ぐと、今回戦う相手のチーム名が目に入った。


『スナイプストーカー』


 RAC部はA~Dまでの四段階に部員がランク分けされるらしいが、明日試合をする相手は下から二番目であるCランク。相手が名門であることに加えて俺達の強さを考えれば、一番下のDランクでも良かった気がしないでもない。

 登録できるメンバー十五人分の枠は当然のように全て埋まっており、下限ギリギリである五人しかいない俺達とは完全に対称的だった。


「お兄様と霧雨お姉様は、この方々全員を知っていますの?」

「いや、知ってるのは1番と7番の二人だけだな」


 体験の際に聞いた話だと基本的に一年はランク外スタートで、ランク内争いは激しくDランクに入るのも一苦労。現にCランクは三年と二年の先輩が半々くらいだ。

 そんな選ばれし十五人にメンバー入りしている一年が二人。一人は今日の掃除の時間に付き纏ってきた藤林で、意外にもラックの腕はそこそこあるらしい。


「1番1番……わっ? この人凄っ?」


 ただもう一人の知り合いに関してはBランク……いや、Aランクにいてもおかしくない。一葉と双葉が驚く中で、霧雨はねりねりを食べつつ淡々と話を進めた。


「……狙撃主体?」

「確かにエイマーが多いな」


 普通のケイドロと異なり、ラックは単純な身体能力で勝負が決まらない。

 その理由はスライプギアを始めとして、銃を象ったツールであるバインドアームズや電流で駆動する人工筋肉を利用したブーツであるエレクトログリーヴなど様々な装具があるためだが、そうした装具を扱う役割には名称が決められている。



・一葉や双葉のように、スライプギアを使ってフィールドを駆け回るスライパー。


・霧雨のように、バインドアームズを用いて中・遠距離から相手を狙い撃つエイマー。


・エレクトログリーヴを履いて、高低差に強く救出と奇襲が得意なトリッカー。


・そして俺やムサシさんのように、特に装具を使わず臨機応変に対応するバランサー。



 他にもスライプギアを身につけたエイマー、通称チェイサーなどもいるが、一般的な型分けはこんな感じ。そしてチームによっては、チサトさんのように裏で状況報告するナビゲーターもいたりする。

 プレイヤーレベルや装具の性能によっては例外もあるが、基本的にスライパーは平面に強いが高低差には弱く、エイマーは遠距離に強いが機動力に欠ける。

 それなりに体力が必要なトリッカーは、スライパーやエイマーに比べると人口比率が少ないが、段差や障害物の多いフィールドでは独壇場だ。


「チサトさん、フィールドの写真をお願いできますか?」


 横には左から順にA~H、縦には下から順に1~8で分割された、チェス盤のような簡易マップへ目を通しつつ尋ねる。

 障害物や高低差も表記されてはいるが、やはり実際に見ないとイメージができない。特に一葉はこの簡易マップが苦手で、試合中も時折方向を間違えることがあった。


「はい。今回のフィールドは岸壁にある消波ブロック置き場となっております」


 チサトさんがノートパソコンに端子を繋ぐと前方のスクリーンに写真が映し出され、マップビューアー機能を使うと臨場感溢れる視点でフィールド内を移動し始める。


「ふぇ? 何このテト○スみたいなの」

「……消波ブロック」


 スクリーンに映っているのは、まきびしのような形をした無数のコンクリートブロック。それがフィールドの中心から広範囲に渡り、規則正しく並べられている。


「何に使いますの?」

「波の衝撃を消すためのブロックだよ。海岸に積まれてるけど、見たことないか?」


 一葉と双葉が揃って首を横に振った。俺もあまり行く方ではないが、ひょっとすると二人は海や山へ遊びに行く機会すらなかったのかもしれない。


「……遠そう」

「いえ。海の傍ではありますが、車で一時間とかかりませんよ」

「海っ? 見たい行きたい遊びた~い!」

「そうですね。それなら余裕がありましたら試合後に海岸へ寄って、実際に消波ブロックがどう使われているのか見学に行きましょうか?」

「やった~っ!」

「チサトお姉様、ありがとうございますの」


 完全に社会科見学気分の二人が満面の笑みを浮かべる。こうした遠征における車での移動も含めて、チサトさんには本当にお世話になってばかりだ。


「……空也も喜ぶべき」

「ん? 何でだ?」

「……水着の幼女を取っ替え引っ替え」

「おい」

「えっ? 水着いるのっ? 一葉ちょっと用意してくるっ!」

「ちょっと待て一葉!」

「ふぇっ?」


 勢い良く立ち上がり飛び出そうとした一葉の手首を慌てて捕まえる。

 どうやら双葉も一葉に続く気だったらしく身を乗り出していたが、俺が止めたのを見てそんなつもりはなかったと取り繕うようにサッと腰を下ろした。


「海の話は後にしような。とりあえずは試合の話だ」

「お、お兄様の言う通り、今はミーティング中ですわ」

「む~……試合が終わったら、絶対に海だかんねっ?」

「ああ。約束だ」

「……空也の約束は当てにならない」

「なんですと~っ?」

「そんなことないっての。ちゃんと行くさ」

「絶対だよ? 嘘吐いたらハリセンだかんねっ!」


 針千本じゃなくてハリセンとは、何とも優しい世界だ。

 一葉は納得してくれたのか、身軽にジャンプすると再びソファに腰を下ろした。


「何だか今までに比べると、随分と綺麗な場所に見えますの」

「今も普通に使われている場所ですからね。責任者の方からは思う存分使ってくれとのことでしたのでご安心ください」

「それはまた随分と太っ腹な人ですね」


 ラックのフィールドは基本的に挑戦を申し込まれた側が指定するケースが多く、今回は俺達から試合を申請したため場所は黒山が決めていた。

 基本的に選ばれるのは広さと高さを兼ね揃えつつ、安全で迷惑のかからない場所……障害物なんかがあれば尚良かったりする。

 アマやプロの試合用に作られたラック専用のフィールドもあるが、人気故に予約必須なことが多いため俺達みたいな一般の練習試合で使われることはあまりない。


「置かれたブロックの隙間って、どれくらいですか?」

「脚は50センチから1メートル、ブロックの上部同士は約2メートルとなります」

「……A8周辺が気になる」

「その区画は消波ブロックが積まれていまして……こちらですね」


 スクリーンに映っている視点が移動すると、乱雑に積まれた消波ブロックが現れる。

 続けて表示されたのはその上から見た光景で、下に並べられたブロック地帯を見渡すには絶好の位置だった。


「相手のエイマーは、最低でも一人がこの場所で俺達の動きを監視してくるだろうな。逃げる時はブロックの死角を使って移動しないと、簡単に拘束されそうだ」

「……今回のフィールドは辛い」

「ふぇ? そうなの?」

「でも相手チームは、霧雨お姉様と同じエイマーだらけですわ」

「複数人いる場合は例え狙撃位置がバレても、何方向かを警戒し続ける必要があるだろ? でも俺達みたいにエイマーが一人の場合、居場所がバレたらその一点だけを警戒するだけで済むから注意を逸らすのが難しいんだよ」

「……泥棒の時の隠れ場所も、H1くらいしかない」

「そこはプレハブ小屋ですね。部屋が二つ、このようになっています」


 積まれたブロックとは対角の位置……マップ右下の建物に入ると短い廊下があり、手前には畳を縦に二、三枚並べたような細長い部屋、奥には学校の教室くらい広い部屋がある。

 どちらにも窓が一つあるだけで物の類は一切置かれておらず、一時的に身を隠すならまだしも隠れ続けるにしては少し心もとないシンプルな空間だ。


「牢屋指定は奥の部屋かな。警察での動きは一葉と双葉と俺の三人で相手をブロック地帯の外へ誘導。そこを霧雨が狙ってくれ。このプレハブに追い込むのもありだ」

「オケオッケ~。走り回るよ~」

「泥棒はいつも通りムサシさんと霧雨には隠れてもらって、俺達はエイマーに狙われないようブロックの間を逃げる。誰かが捕まった場合は早目に救出を狙うぞ」

「が、頑張りますの」

「……ごちそうさまでした」


 相手が牢屋をどこに指定してくるかにもよるが、現段階の作戦としてはこれくらいか。

 他に何か確認することがないか考えていると、クッキーを延々と積み上げて遊んでいた親父が顔を上げる。


「…………ん? 終わったか? ふぁああああ……話が長ぇんだよ」

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