ミーティング

 学校を後にした俺と霧雨が向かったのは、三階建てのオフィスビルだった。

 用があるのは二階の事務所で、一階のコンビニを利用する客は見向きもしない場所。ちなみに俺の住んでいる1Kのアパートは、丁度この裏側にあたる。


「る~るるるる~~暇~~る~るるるる~~暇暇♪」


 ガラス扉を開けて中に入るなり、目の前の酷い光景に思わず頭を抱えた。

 力の抜けそうな歌を歌っているのは三十代半ばの男。あろうことか甚平姿で受付カウンターに座り、宴会道具の鼻眼鏡を掛けて延々と回転している。

 初めて来た人間なら即座に回れ右をするレベルだが、一番の問題はそこではない。


「……空也も同じ血が流れてる」

「それを言うな霧雨。頭が痛くなってくる」


 誰もが冗談だろと言いたくなる事実。

 それはこの変態がラック界において伝説と呼ばれていたチームのリーダーだったこと……そして何よりもその男が俺の父親、甲斐丈二かいじょうじであるということだった。


「おう、帰ってきたな。幼馴染と一緒に下校なんて、テメエも随分青春してんなおい」

「ミーティングがあるからだよ」

「……お邪魔します」

「お疲れ様です空也さん。音羽さんも御一緒ですね」

「こんにちは、チサトさん」


 擦りガラスで仕切られた奥へ荷物を置きに向かうと、埃取りを片手に棚の掃除をしていたショートボブの女性が礼儀正しく深々と頭を下げた。

 眼鏡をかけカジュアルスーツに身を包んだ、見るからに仕事のできそうなキャリアウーマン。彼女もまた伝説のチームの一員であり、今は俺達のチームのマネージャーだ。

 誰もが正式名称では呼ばない(一葉と双葉に至っては正式名称と勘違いしている)通称チサトさんは、俺にとって年の離れた姉のような存在でもあったりする。


「あれ? 一葉と双葉はまだですか?」

「本日はラックラブの日でしたので、つい先程戻られるのが見えましたよ」

「わかりました。ありがとうございます」


 ラックラブというのは一葉と双葉の通っている小学校のクラブ活動。ラックを愛するという意味も込められたダブルミーニングな名前はセンス抜群だ。

 そして噂をすれば影が差したのか、壊れんばかりに勢い良くガラス扉が開かれた。


「ゴ~~~ルっ! いっちば~~んっ!」

「おう、来やがったな一号!」

「ぱにゃにゃんぱ~っ! ヤッホ~おじさん……って何その眼鏡っ? ダサッ!」

「変装だ変装!」

「お兄ちゃんにキリウお姉ちゃんも、もう来てたんだ~。ぱにゃにゃんぱ~っ!」

「……ぱにゃにゃんぱー」

「お帰り一葉。双葉はどうしたんだ?」

「こ、ここにいますの……」


 閉まりかけたガラス扉に手を掛ける双葉。額に汗を浮かべて息を切らしているが、挨拶を心がけている少女は呼吸を整えた後で丁寧にお辞儀をした。


「ご無沙汰しておりますのチサトお姉様、霧雨お姉様……と……ジョージおじ様……?」

「おう、俺様だぜ二号!」

「一葉さんも双葉さんも元気で何よりですが、事務所の扉は優しく開けてくださいね」

「は~い! じゃ~双葉、後で約束通り罰ゲームね」

「一葉! 先程の競争は無効ですわ! 明らかにフライングしてましたの!」

「フライングじゃなくてロケットスタートだもんね~」

「違いますの! 『位置にドン』なんて合図、聞いたことがありませんの!」


 成程、それは流石にずるい。

 事務所内でギャーギャーと騒ぐ二人の肩へ、チサトさんがそっと手を置いた。


「まあまあ。一葉さんも双葉さんもミーティングルームにお菓子を用意してありますので、まずは手を洗ってきてください」

「ほんとっ? わ~い!」

「あっ! こら一葉! 独り占めは許しませんの!」


 履いていた靴を脱ぎ散らかし、二人は洗面所へと駆けていく。

 それを見届けたチサトさんは微笑みながら、散らかった靴を靴箱へと入れた。


「流石は一流ナビゲーター。標的の誘導に関しちゃピカイチじゃねえか」

「今はマネージャー業務中であって、別に誘導したつもりはありません。それよりもジョージ。楽しそうで何よりですが、お客様にその姿を見られたら退かれますよ?」

「確かに俺様は一級品だからな。誰もが惹かれちまうカリスマは隠せねえか」

「ひくの漢字が違います。全く、いい歳して何やってるんですか」

「いい歳って、まだサーティーフォーのアラサープラスだぜ?」


 まるでどこぞのアイスクリーム屋もしくは美少女ゲームみたいな言い方だが、誰がどう考えても34歳は充分いい大人だろう。


「そもそも鼻眼鏡は変装ではなく仮装です。変装するならサングラスにしてください」

「あんな黒眼鏡を掛けるくらいなら、こっちの方が百倍マシだぜ。第一パソコンでちょちょいの蝶々な時代に、アポなしの客なんて滅多に来やしねえだろ」

「先程一人、いらっしゃいましたよね?」

「ありゃ客じゃねえ。ただの道場破りだ」


 親父達はこの事務所で、ラックのフィールド運営業務をしている。

 仕事の詳細はよく知らないが不動産のようなものらしく、宣伝や貸与の仲介に始まり、各種機材の貸し出し、後始末などの管理や斡旋をやっているらしい。


「るるるる~~暇暇~~るるるる~~暇暇っと」

「そんなに暇だと仰るなら、皆さんに指導の一つでもしては如何でしょうか?」

「やなこった。指導した後で負け試合なんてされた日にゃ、まるで俺様が負けたみたいじゃねえか。鷹の爪を煎じて飲もうが、鶏は空を飛べねえんだよ」

「それではミーティングに顔を出すというのはどうでしょうか。今回の相手は初心者・初級者の類ではありませんし、多少なりアドバイスをしてあげては?」

「却下だが、暇潰しにはなりそうだな。暇だ~暇だ~る~る~る~る~る~っと」


 一体どんな三半規管をしているのか、あれだけずっと回転し続けていた後にも拘わらず、親父は急停止した後で難なく立ち上がると鼻眼鏡を外す。

 そしてそのまま一切よろけることなく平衡感覚を保ったまま、相変わらずの鼻歌交じりでミーティングルームへ真っ直ぐに歩いていった。


「資料は既に御用意してあります。ムサシも間もなく戻ってくる筈ですので」

「ムサシさん、いないんですか?」

「はい。只今チームメイト志願者のテスト中で――――」

「志願者っ?」

「落ち着いてください空也さん。申し上げにくいのですが、残念ながら今回もお帰り頂くことになると思われます。志願理由が今までの方と同じでしたので」

「そ、そうですか……」


 何となくそんな気はしていたが、大きく溜息を吐いた後で肩を落とす。

 手洗いを済ませた俺と霧雨は、三人が待つ事務所奥の部屋へと向かった。

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