日常
ラックがブームになり始めたのは俺が小学生の頃……十年近く前の話。その発端とも言えるスライプギアが生まれたのは、そこから更に五年ほど遡る。
当時の世の中は電子ゲーム一色の時代。子供が外で遊ばないなんて言われていたが、その実態は自由に遊べる場所が次々と減少していたため。今じゃとても信じられないが、ボール遊び禁止の公園なんて場所まであったらしい。
そんな声の大きいクレーマーや高齢者が優先されていた時代に終止符を打ったのが、スライプギアと呼ばれる電動インラインスケートの誕生だった。
『運動能力の格差を補えるスライプギアで、大人も子供も一緒に楽しめる!』
数あるキャッチコピーの内の一つ、誰でも遊べることを重点に置いた宣伝は、かつて一時代を築いたとされるファミリーコンピューターを模したものだそうだ。
運動によるダイエット効果や健康面のアピールをして、ユーザーを子供に絞らず大人も対象とした結果、情報化社会の影響もありスライプギアは一気に広まっていった。
利用者が増えていけば悪用や批判なども少なからず起きる。しかしメーカーの上手い対応と反対派を上回る人気により、スライプギアが廃れることはなかった。
『ただ滑るだけじゃ物足りない! 敵を捕まえ仲間を救う、熱いチームバトル爆誕!』
そして数年の時を経て、ラックという画期的なスポーツは生まれる。
電子ゲームと人気を二分していたスライプギアだが、ケイドロという屋外遊戯への発展は世間の注目を集めると共に一大ムーブメントを引き起こした。
「なあなあ! 昨日のワールドシリーズ、マジで熱かったよな!」
「アメリカ対ドイツだろ? 俺もあんなスキル一度は決めてみたいもんだぜ」
「ノーマルレベル2で苦戦してるお前にゃ無理無理!」
日本で起こった革新は、海外にも影響を及ぼす。
ラックに進化し銃を模した装具が生まれるとサバゲーユーザーも参入。やがて公式のスポーツとして認定され、試合のバリエーションも徐々に増えていった。
学校では部活として導入され、テレビではアニメやドラマが放送中。時にはアニメから逆輸入される形で、今でも新たな装具は生まれ続けている。
「甲斐君。ちょっといいかい?」
面倒な授業が終わった後で箒を片手に教室を掃除中、不意に声を掛けられ振り返る。そこには生真面目とか威風堂々といった単語が似合いそうな少女が立っていた。
流水のように綺麗な長髪に、やや釣り目気味の整った顔立ち。そこそこ凹凸のある身体のクラスメイト、
「明日、試合なんだってね」
「確かにあるけど、誰から聞いたんだ?」
「音羽ちゃんからだよ」
「成程な」
「甲斐君。バイトは休むのかい?」
「ああ。店長にはちゃんと電話しておいたから」
「別に電話しなくても、休むならボクに言ってくれれば伝えておくよ」
「悪い悪い」
裏真の家は個人経営のホビーショップ。当然ながらラック関係の装具も売られており、俺はそこでアルバイトとして世話になっていたりする。
試合のことは別に隠していた訳じゃないし知られようと構わないが、あまりラックのことを快く思っていない裏真には何となく伝えにくかった。
「また女の子を追い掛け回しに行くのかな?」
「誤解を招きかねない言い方するなよ」
「別に間違ってはいないと思うけれどね。ボクが聞いた話だと甲斐君はチームメイトの女の子を二人も手玉に取っている、随分な女たらしだそうじゃないか」
「いやちょっと待て。そんな根も葉もない噂、誰から聞いた?」
「音羽ちゃんからだよ」
「悪い。ちょっと用事ができた」
塵取りでゴミを回収し終えた裏真を残して、黒板を掃除している
「おいこら霧雨」
「……何?」
「天誅!」
毛先がウェーブがかったショートカットの頭目掛けて、持っていた箒の柄を軽く振り下ろす。しかしチョークを整理していた幼児体型の少女は素早く黒板消しを手に取るなり、プラスチック部分で箒の柄を受け止めてみせた。
「……偉い人は言いました。暴力変態と」
「それを言うなら暴力反対だろ」
「……エロい人は言いました」
「変態だった!」
単調で芯のない声は、いつも通り眠そうな雰囲気を醸し出している。
やる気がないというべきか、何を考えているかわからないというべきか……そんなトロンとした瞳がボーっとこっちを見つめる中で、俺は溜息を吐くと小声で囁いた。
「ったく、裏真に何吹き込んでやがる」
「……太腿太郎とか」
「何だその桃太郎のパチモンは」
「……第二話、犬の敵討ち」
「第一話で何があったっ?」
無表情のまま「……さあ?」と首を傾げる霧雨。一応幼馴染かつラックを共にするチームメイトではあるものの、コイツの思考はいつまで経ってもわかりそうにない。
黒板消しを戻した少女は、マイクを差し出す素振りで握り拳を俺に向ける。
「……用は?」
「一体いつから俺が女たらしになったんだ?」
「……毎日双子の幼女と遊びで付き合ってる」
「遊びに付き合ってるの間違いだろ」
「……似たようなもの」
「いや違うからな? アンパンマンとザンパンマンくらい違うからな?」
小学生二人との同居については、クラスメイトは勿論のこと先生にすら話していない。知っているのはチームメイトである霧雨と、親父の関係者くらいだ。
「ったく、裏真が本当に信じたらどうするつもりだよ?」
「……偉い人は言いました。どんな馬鹿でも真実を語ることはできるが、うまく嘘を吐くことはかなり頭の働く人間でなけでっ…………もういい」
「諦めんなよっ! そこまで言ったなら最後まで言えよっ!」
「……噛む所までが名言」
「んな訳あるかっ! ほら、ちゃんと説明しろっ!」
霧雨の手が届かない高い位置をさっと綺麗にした後で、少女を連れて裏真の元へ戻る。当の本人は反省の色もなく、ポケットから好物のねりねりを取り出しつつ応えた。
「……訂正。空也はチームメイトの幼女達と遊んであげる、面倒見のいいお兄さん」
「若干悪意が混じってる気はするが、まあ大体合ってるか」
「幼女というのが気になるね。甲斐君のチームメイトは子供なのかい?」
「ああ。近所の小学生だよ」
「……結論。空也はロリコン」
「き・り・う~?」
「……あうっ……空也、痛い」
霧雨の頭の上に握り拳を乗せ、全力でぐりぐりとねじ込む。
何だかんだいって上手い具合に誤魔化した形にはなったが、元はといえばコイツが撒いた種であるためこれくらいの罰は与えてもいいだろう。
一通り掃除も終わり、裏真がゴミをまとめ始めたのを見て箒を用具入れに戻す。
『ガチャ』
「は、入ってるっす」
『バタン』
うん、何か変な幻覚が見えた気がする。
一度目を擦った後で深呼吸をしてから、改めて掃除用具入れを開けた。
「…………ふむ、気のせいだったか」
遠くから見れば何の変哲もない掃除用具入れ。しかし近くで見ると奥行きが随分と浅くなっており、箒や塵取りを置くスペースが異常に狭くなっている。
そして何より隠れ蓑を持つ指先が見えているという致命的ミスによりバレバレだったが、わざとらしく恍けた後で持っていた箒を掃除用具入れに戻した。
『ぷにゅ』
スチール製である筈だが、手の甲には柔らかい感触が伝わる。
それでも一向に姿を現す気配はないため一体どこまで耐えられるのか興味を持った俺は、裏真と霧雨から箒や塵取りを受け取るなり次から次へムニムニ……じゃなくグイグイ押し込んだ。
「――――って、何するっすか!」
ドッタンバッタンけたたましい音を立てて、掃除用具入れの中から現れたのは外ハネの癖っ毛&頭頂部にはアホ毛の少女。空っぽの頭に回すべき栄養を吸われたのか、胸は肉まんのように大きく膨らんでいる。
「二つ隣のクラスの住人が、何でこんな所にいるんだよ?」
「この
「いや話を聞け。何しに来た?」
「しかし今回は運が良かっただけっす! 次は確実にぃーっ? 痛いっす! 痛いっす!」
「は・な・し・を・き・け!」
「……空也、暴力は可哀想。山田が痛がってる」
「ナチュラルに名前を間違えられる方が可哀想だと思うぞ?」
「……田中?」
一文字も合っていない件。つい数秒前に藤林って名乗ってただろ。
額を右手で掴み握力で締め上げていたが、裏真が何か言いたそうにジーッとこちらを眺めていたため解放する。藤林は若干涙目になりながらも、静かに笑いだした。
「ふ、ふっふっふ……これぞ忍法空蝉! 今攻撃を受けたのは偽物っす!」
「じゃあもう一発」
「ま、待つっす! 話せばわかるっす!」
「多分話してもわからないから、もう大人しく帰ってくれ」
「そうはいかないっす!」
「流石は女たらしだけあって人気者だね」
「勘弁してくれよ裏真」
藤林の奴が俺に付き纏うようになった原因は、バイト中にちょっとした一悶着があったため。逆に言えばただそれだけであり、こちらとしては最早過ぎた話である。
「今日こそは積年の恨みを――――」
「何をしている?」
「「っ!」」
不意に廊下から掛けられた威厳のある声に、俺と藤林が揃って動きを止める。
そこに立っていたのは眼鏡越しでも鋭い目つきをしており、黒スーツが一層怖さを増している数学教師。そしてRAC部顧問でもある
「藤林。何をしているのかと聞いたのだが?」
「ひ、ひゃい」
中指を眼鏡に押し当てながら様子を窺っている先生の方へ、まるでロボットのようにぎこちない動きをしながら振り返った藤林は、声を震わせながら答える。
「あ、明日のラックについて、甲斐空也……じゃなくて甲斐さんとお話を――――」
「それを今する必要はあるのか?」
「あ、ありません……」
「わかっているなら、さっさと教室に戻れ」
「はひっ!」
恫喝こそないが、噴火一歩手前にすら感じる静かな怒りが一層恐怖心を煽らせる。
藤林が速やかに教室を出ていくと、黒山はジロリと俺を凝視した。
「甲斐。試合は明日だ。今は掃除の時間だぞ」
「は、はい。すいません」
そう静かに告げると、黒山は教室を去っていく。
教師の中では若い上に顔立ちも良く、ラックでは全国ベスト4の実力者ということも相まってキツイ性格でありながらも女子からの人気は高かったりする。
「甲斐君。明日の相手は、うちのRAC部だったのかい?」
「ああ。たまには強い相手とも戦って勉強した方がいいって、マネージャーさんが話をまとめてくれてさ」
ただ正直に言うと、あんまり乗り気ではなかったりする。
黒山が苦手になったのは、部活動体験で霧雨と共にRAC部の見学に行った時だった。
覚えているのは飛び交う怒号。
先生に鍛えられたRAC部は昨年の高校総体で優勝という結果を残しているため、その指導は本物であり練習が厳しいのは当然かもしれない。現に見学に来ていた他の一年生の中には、これが一流の練習かと目を輝かせている生徒もいた。
「…………」
それでも、何かが違う。
そう思った俺は、一葉や双葉のことも考えて帰宅部を選んだ。
霧雨も中学時代までの部活と隔たりを感じたのか、RAC部には入部していない。まあそのお陰で今のチーム『甲斐空也と愉快な仲間達』を結成できたとも言える。
「試合するのはいいけれど、怪我だけは気を付けてもらいたいかな」
俺や霧雨に対して裏真はいつもその心配ばかりだ。勿論スポーツである以上は怪我をする場合だってあるし、電動インラインスケートによる事故は少なくない。
勿論それは重々承知しており、一葉と双葉の二人には私生活におけるスライプギアの使用は原則禁止。仮に練習(といっても二人の場合は遊び)で使う場合にも肘当てや膝当て、ヘルメット等の着用は指示済みだ。
万が一怪我をした場合も、直後の処置が一番大切であるということはマネージャーから耳にたこができそうになるほど言われていたりする。
「大丈夫だよ。心配すんなって」
「……死亡フラグ」
「やかましい!」
黒山が来るや否や、ねりねりを慌てて隠してた奴には言われたくない。
恰好良く決めたところを霧雨に台無しにされたものの、不安そうな顔をしていた裏真は俺達を見て呆れるように溜息を吐いた後で笑いかけてくれた。
「幸運を祈るよ」
「サンキュー」
明日の試合も、いつも通り楽しもう。
勝ち負けを気にせず自由にプレイする。それが俺達のチームなんだから。
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