桜は散ってしまったが、春の陽気はまだ心地良い時期。

 窓から差し込む日差しに目を擦りつつ、ベッドからゆっくりと身体を起こす。時計の針はまだ六時半と、セットしていた時間より三十分も早い。


「すー……すー……」


 高校入学と同時に暮らし始めた、小さな1Kのアパート。特に飾り気もない洋室に住んでいるのは俺だけじゃなく、床に敷かれた布団で静かに寝息を立てる二人の少女がいる。

 冬野一葉ふゆのかずは冬野双葉ふゆのふたば

 髪を解いていると鏡に映したかの如くそっくりな双子だが、一ヶ月半も生活を共にしているとようやく寝顔でも見分けがつくようになってきた。


「すー……んにゅ…………そこ掘ったら……あったかゴリラ……」

(あったかゴリラっ?)

「…………ゴリ……分けて運ばないと…………120円で○△×☆~……」


 一体どんな夢を見ているのか、珍妙な寝言を呟く一葉。あったかゴリラがいるならひえひえゴリラもいるのかと思いつつ、少女が蹴飛ばしていた布団を掛け直す。

 二人を起こさないよう慎重に歩きながら、制服を片手に部屋を出て洗面所へ。洗顔や着替えといった身支度を済ませてから、狭いキッチンで朝食の準備を始めた。


「…………参ったな」


 ここ数日買い物に行ってなかったため、中身がスカスカな冷蔵庫と対面し溜息を一つ。万能食材である卵が三つ残っていたことが、唯一とも言える救いか。

 タイマー設定した炊飯器によって御飯が炊けているのを確認後、ひとまず味噌汁を製作開始。料理は得意じゃなかったが、炊事するようになって少しは慣れてきた。


「ふぁ~……はよ~、お兄ちゃん……」


 それなりの包丁捌きでネギを切っていると、少女が眠そうに目を擦りながら現れる。


「おはよう一葉。今日は珍しく早いな」

「なんか起きちゃった…………トイレでシャワー浴びてくるね……」

「どうやってだよっ? ほら、風呂場はこっち!」


 寝惚け気味の一葉は水玉模様の入った可愛いパジャマをもぞもぞと脱ぎながら、フラフラと覚束ない足取りで洗面所の奥にある風呂場へと向かう。

 開けっ放しにされた扉をそっと閉めた後で具材と水を入れた鍋を沸かすと、徐々に目覚めてきたらしくシャワーを浴びる音と共にノリの良い鼻歌が聞こえ始めた。


「ふんふんふんふ~ん、ふふふふん、とぅるる一葉は~、さいきょ~なの~♪」


 …………歌の内容は、完全に親父の悪影響だな。

 どこかで聞き覚えのある曲を耳にしながら、沸騰したお湯に味噌を溶かす。その後でフライパンを準備すると、扉の向こうで鳥の鳴き声を模した目覚ましが鳴り出した。

 五秒ほど経過したところで、徐々に大きくなっていったアラームが止められる。少しして目を覚ましたもう一人の少女が、部屋から顔を出し礼儀正しく頭を下げた。


「おはようございますの、お兄様」

「おはよう双葉」

「お布団は上げて、食卓の準備もできましたの」

「おう。いつもありがとな」


 既に服装は一葉と同じパジャマから、私立小学校の制服へと着替え終えている双葉。赤いスカーフを身に付けた紺色のセーラー服姿は、実によく似合っていた。

 そんなしっかり者の少女が洗面所へ向かうと、鼻歌交じりでシャワーを浴びていた一葉が入れ替わるようにタイミング良く飛び出す。


「ぱにゃにゃんぱ~っ! おっはよ~双葉~っ!」

「おはようござい……あ、こら一葉っ! ちゃんと服を着ますのっ!」

「お兄ちゃん、朝御飯何~っ? 一葉、もうお腹ぺこぺこり~ぬだよ~」

「先に着替えないと風邪引くぞ。それと身体をよく拭いてから出てくるように」

「オケオッケ~」


 脱いだパジャマを抱えたまま俺の横を走り抜けて部屋へと戻るすっぽんぽんの少女だが、その背中には痛々しい火傷の跡が残っていた。

 同様の傷跡は双葉にもあるが、その詳細について俺は何一つ知らない。


「やっておきますの」

「ん、サンキュー」


 一葉の歩いた後にくっきりと残った水滴の足跡。その後始末をしようとする俺を見て、雑巾を手に取った双葉が床を拭いておいてくれた。

 濡らした張本人はと言えば、あっという間に双葉と同じ制服へ着替え再登場。タオルで髪を拭きつつキラキラと瞳を輝かせながら、フライパンに油を引く俺を見つめる。


「何作るのっ?」

「今日の朝御飯はサニーサイドアップだ」

「何それっ? 強そうっ!」

「まず卵を用意します。フライパンに卵を落としてから蓋をして、少し待てば出来上がり」

「それ目玉焼きやないか~いっ!」


 テレビで見たお笑い芸人の真似なのか、指先をピンと伸ばした手の裏側で俺の脇腹へズビシと一発。うん、良い突っ込みだ。

 髪をボサボサにした忙しない少女は、タオルをブンブンと回しながら双葉のいる洗面所へと向かった。


「双葉~っ! 一葉にもドライヤー貸して~」

「今はわたくしが使ってま……きゃっ? ちょっ! 一葉っ! くすぐった……ひゃっ」

「うりうり~、貸してくれなきゃ止めないぞ~?」


 仲の良い姉妹のやり取りに、自然と頬が緩んでしまう。

 一葉と双葉は双子の小学四年生。姉は一葉だが本人達が気にしている様子もなく、礼節をわきまえている双葉の方がお姉さんっぽく振舞うことの方が多かった。

 苗字からもわかる通り、俺と彼女達に血の繋がりはない。だからといって義理の兄妹という訳でもなく、兄というのはただ単に二人が俺を呼んでいる呼称なだけだ。

 彼女達双子は、俗に言う孤児である。

 そんな二人と一緒に暮らし始めることになったのは、本当に突然の話だった。


『今日からここで三人仲良く暮らせ』


 出会いのきっかけなんて特になく、受験を終えて春休みに入るなり親父が二人を連れてきてこの一言。誘拐でもしたのかと尋ねたら、全力でドロップキックされた。

 家賃や光熱費、食費に至るまで生活費全ては負担するという話だったため、俺も経緯については一切聞かずに黙って引き受けた結果、こうして今に至る訳だ。


「お兄様、何かお手伝いしますの」

「しますのますの~」


 身支度を済ませ、トレードマークの短いツインテール(本人曰くツーサイドアップというらしい)姿になった双葉が洗面所から現れる。

 その後ろでは馴染みのショートポニーテールに髪を縛り、割と気に入っているのか部屋の中だというのにベレー帽っぽい制帽までかぶっている一葉がいた。


「じゃあ御飯が炊けてるから、双葉は盛っておいてくれ。一葉には運んでもらおうかな」

「わかりましたの」

「あっ! ハムだ~っ! ハムハムハ~♪ ハムハムハ~♪」


 ハムを乗せた目玉焼きや味噌汁、その他に漬物などのおかずが運ばれていく。

 一通り朝食の準備が終わり、卓袱台を囲んだ俺達三人は両手を合わせた。


「「「いただきます」」」


 今日も平和な一日の始まり。兄(仮)として二人の悪い手本にならないよう、早寝早起きや挨拶を基本とした規則正しい生活を送っている…………と思う。


「う~、美味いっ! そうだお兄ちゃん! 一葉のスライプギアの調整終わった?」

「焦るなって。帰ったらちゃんとやるから」

「え~? 終わってないの~?」

「昨日の夜に言われたばっかりだぞ? 試合は明日なんだから大丈夫だって」

「なんですと~っ?」


 両手を頬に当て、ムンクの叫びのポーズを取る一葉。最近こればかりやっている気がするが、小学校で流行っているんだろうか。


「じゃあ帰ったらすぐだよっ? 絶対だからねっ?」

「その前に今日はミーティングだけどな。それと調整するのは、一葉がちゃんと宿題を終わらせてからだ。双葉は何か気になるところとかあるか?」

「今のところは大丈夫ですわ」

「ごっちそうさま~っ! そして自分で食器を片づける一葉! う~ん、偉いっ!」

「わたくしはいつもやってますの」

「うんうん。二人とも偉い偉い」


 普段ならドタバタしている頃だが、今日は一葉が早起きしたこともあり時間に余裕を残したまま朝食を終えると、後片付けまで一通り済ませておく。


「「「行ってきます!」」」


 その後で俺達は、それぞれが向かうべき学校へと出発するのだった。

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