第5話 名探偵はここにもいた!



 翌日。遅番だった吉田はお腹をさすりながら出勤した。昨日、水野谷にごちそうになった中華料理がおいしくて食べ過ぎたのだ。


 ——昨日は嫌なこともあったけど、結果的にいいことだらけだったな~。


 そんなことを考えながら事務室に顔を出す。と、すぐに後輩であるあおが駆け寄ってきた。


「吉田さん! 大丈夫でしたか?」


「え?」


 一瞬、なんのことだったか失念し首を傾げる。それから主のいない課長席を見てからはっとした。


 ——そうだった……。 表情が緩み過ぎだった。


「い、いやさ……課長は?」


「また会議で本庁ですよ。——それよりも……」


 蒼は心配しているのだろう。吉田をじっと見つめている。


 ——やばい。ばれないようにしなくちゃ。


「もうさ~。大変だったんだよ。課長の怒り様ったらなくて」


「え! そんなに——やっぱりですね」


 二人の会話に、他の職員たちも席を立って寄って来る。


「お前、殴られなかった?」


「減給されない?」


 高田と氏家も心配気だ。ここは少し話を盛っておこう。吉田はそう決めて、眉間に皺を寄せた。


「すっごく怖かったです。あんな課長は初めてですよ。終始むっとしていて。弁償しろっては言われなかったですけど、もうお前のおっちょこちょいは病気レベルだ。治療が必要だって言われました」


 もちろんそんなことは一切ないが、少し盛り過ぎただろうか? と後悔しても後の祭りだ。それを聞いて尾形は怒り出した。


「ひどいねえ。それ! おれ文句言ってやる」


「あ、いや。あの尾形さん」


「本当ですよ! 吉田さんの人格を傷つけるようなことを言うだなんて。幻滅です! おれも抗議します」


 蒼も真面目な顔で怒っていた。吉田は『これはまずい』と思った。尾形や蒼が水野谷に余計なことを言わないかとハラハラしたのだ。


「あの! でも。大丈夫でした。最後にはちゃんと、『以後気を付けるように』って言われましたから」


  吉田の言葉に事務所の中が安堵の雰囲気に包まれた。


「ならいいけど」


「お前、本当に大変だったな。悪いな」


「昼飯おごるからさ」


 氏家や高田、尾形がそう言ってくれるとほっとした。うまくやり切ったと思ったのだ。吉田は微妙な笑みを浮かべてから事務室から出る。なんだかこの場にいるには居たたまれない気持ちになったからだ。


「おい。吉田」


 しかし。ふと名前を呼ばれて振り向くと、そこには星野が立っていた。


「ちょっと」


 彼に呼び出されるような覚えはない。昨日のことだと直感した。吉田は緊張しながら星野の後をくっついて行く。彼はいつもサボる時に利用している中庭が一望できる椅子に腰を下ろした。


「なんですか。星野さん」


「お前さ。課長に?」


「へ?」


「取引したんだろう?」


 彼は意地の悪そうな視線を吉田に向けてきた。


 ――バレている……。


「昨日よお、帰ってから考えたんだけど。どうにも腑に落ちねえ。あの干からびた植物。たった数時間であんな風にはならねえ。多分、最初から枯れていたんだ。それに、あのスペースに入り込めるのは課長しかいねーだろ。犯人は課長なんじゃないかって思ったんだよ。あの時、相当慌てて出かけて行ったからな。あの人さ、なんだかんだ言っておっちょこちょいだろう?」


 星野は「はあ」と息を吐いてから、言葉を続けた。


「今朝、課長が出勤してきた時さ。いつもと大して変わりなかった。壊れた器もあっさり袋に入れて不燃物のゴミ箱行きだ。おかしいと思ったんだよ。——で、ピンときたわけだ。お前が犯人に仕立て上げられたってこと。課長はお見通しだったんじゃねーか?」


 星野という男は昼行燈みたいなところがあるのだが本質は鋭い。よく人のことを観察しているのだ。吉田がよそよそしい態度をとっていることと、今朝の水野谷の様子から導き出したらしい。


「星野さん……そんなこと。あるわけないじゃないですか」


 吉田は震える声で反論するが、まったくもって説得力はない。もともと小心者で、人から突かれるとつい本当のことが全身に出てしまう男だ。


 星野は「ふふ」と笑った。


「課長も誤ったな。共犯にするならお前では不適格なのにな。——まあ、仕方ないだろう? あみだくじで決まったんだしな」


「星野さん——それを指摘して、どうするつもりですか?」


 吉田は「ごくり」とつばを飲み込んだ。ハンターに狙われた獲物の心境だ。しかし星野はあっけらかんと笑った。


「おれはさ。課長の名誉を傷つけようなんて毛頭、思ってねーよ。ただ知りたかっただけだ。まあ、お前が昼飯おごりの権利をおれにも分けてくれるっていうなら許してやるか。どうせ、昨日は課長にうまいものでもごちそうになったんだろう? 腹の調子悪そうだもんな」


 よく見ているものだと吉田は思った。これだから、自分のプライベートのことまで彼は、いつの間にか掌握しているのだ。


 ——だから嫌なんだよ。星野さんには隠しても隠しきれないから……。


「仲良くしようぜ。吉田~」


「……」


 返す言葉もないが、そもそもがなんだったのかもよくわからない。結局は水野谷が自分で自分の盆栽の器を割っただけの話。嘘を重ねた結果、自分だけが振り回された感は拭えない。嘘は嘘でしかごまかせないのか——。


「嘘なんてつくものではないですね」


「はあ? お前ねえ。大人になれば嘘も方便ってことがあるわけだ。今回はそれで丸く収まったんだ。これはこれでベストな対応だった。おれはそう思うけどね」


 ——果たしてそうなのだろうか?


「星野さん」


「来週、誰に昼飯おごってもらうかリストでも作ろうぜ。おれも楽しみだ」


 星野は腰を上げて、鼻歌を歌いながら事務室に戻って行く。その後ろ姿を見つめて吉田はため息を吐いた。


 ——結局はなんだったんだ? この騒動は……?




— 嘘は嘘でしかごまかされない 了 —

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地方公務員になってみたら、配属されたのは流刑地と呼ばれる音楽ホールでした。【完結】 雪うさこ @yuki_usako

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