第4話 謎は全て解けた!
彼の長身の背中を見つめながらついていくと、そこは
「あら! カチョさん。どうしたの? 今日は早いのね」
朱色のチャイナ服をまとっている女性は美しいと思った。濡れたような唇は妖艶で、吉田はドキドキした。
「悪いね。今日はいつものメンバーじゃないんだけど」
「いいワヨ」
水野谷の慣れた様子をぼんやりと眺めていて、我に返った。「そうだった。怒られるのだ」と思い出したからだ。吉田は口元をきゅっとしめてから、水野谷に促されるまま、指定された椅子に座った。
自分の目の前に座った水野谷を直視することができない。ただじっとおしぼりの置かれたテーブルを見つめていた。ガサガサとビニールを破る音がして、水野谷がおしぼりで手を拭いているということが想像できる。そしてふと視線を上にやると、彼は眼鏡を外してそれで顔を拭いていたのだ。
——嘘でしょう? おしぼりで顔拭いちゃうの?
「吉田はおしぼりで顔拭かないのか?」
「ふ、拭きません、けど……」
「そう。あのね。高田さんがよくやっていてね。僕も最初にね、『え~、嘘だろう?』なんて思ったんだけどね。このドラゴン・ファイヤーのおしぼりってなんだかいい匂いがすんだよね。嗅いでごらん」
「は、はあ……」
吉田はもぞもぞとおしぼりをビニールから取り出して、そっとそれを鼻にあてがった。おしぼりからはかび臭い匂いではなく、フローラルの爽やかな香りがした。
「本当だ」
「でしょう? 高田さんはこの匂いが好きなんだなって思ったらね。どうだろう。なんだか気分がいいんだよね」
「は、はあ」
しかし、匂いがいいと言われても、それで顔を拭くという行為に発展する理由がわからない。吉田はただ、そのおしぼりで手を拭いて沈んでいた。
と——。
「ふふ」
水野谷が笑い声を洩らした。吉田は驚いて視線を上げる。彼はおしぼりをテーブルに置くと眼鏡をかけながら笑いをこらえるようにしていた。
「な? え? 課長? あの……」
「いやいや。悪いねえ。吉田。お前さ、本当にくじ運が悪いねえ」
「え!」
水野谷は愉快そうにしていた。その間に、先ほど着座する前に注文しておいた料理が運ばれてきた。おかみさんのしなやかな白い腕を眺めながらそれを見送って、そして水野谷に視線を戻した。
「課長……?」
「盆栽の件でしょう? あれ。壊したのは僕ですよ」
彼はあっけらかんと言い放った。
「え!」
「午後の会議に遅れそうになってね。慌てて出た時に蹴飛ばしたんです。鈍い音がした気がしたんだけどね。遅刻しそうだったからね」
「え? ——ええ?」
吉田は開いた口が塞がらない。ぽかんとしている。その様子がおかしいのか、水野谷は更に笑った。
「きっと割れただろうなって。まあ、あの盆栽はちょっと失敗してね。もう枯れてしまったから処分しようかと思っていたし、器もそう高いものではないからね。別にいっか、なんて思っていたんだけど——なに。帰ってきたらみんな神妙じゃない? しかも
「ばれていたんですか?」
「僕がいない間に、盆栽が壊れている。誰が壊したんだの押し問答。さしずめ器を修復したのは星野かな? で。結局は犯人は見つからない。それはそうだ。犯人は僕自身だからね。で、怒られるならだれか一人を生贄にしようって魂胆。あみだくじを実施してお前が犯人役を仰せつかった——ということかな?」
——バレている。
水野谷は全てお見通しの様子だ。更に彼は言った。
「どうだろうか。吉田。僕と取引をしようじゃない?」
「と、取引、ですか?」
「そうです。盆栽を壊したのが僕だということを黙っていてくれるなら、今晩ここでごちそうします。その上、きっと他の職員からもなにかしてもらうことになっているんでしょう?」
「——お昼ご飯、おごってくれるって言われました」
「ならいいじゃない。僕が犯人だったってことが明るみに出たら、キミは犯人役をやらされた精神的な苦痛だけを味わい、昼ご飯おごってもらえる権利がなくなってしまうということになる。そんなのは不合理的だと思わないか?」
彼の言いたいことはわかる。つまりは「黙っていろ」ということだ。
「おれが黙っていればいいんですよね?」
「そうだね。明日は神妙な顔つきで『課長にすっごく絞られました』とでも言っておくといい。余計に昼ご飯上乗せしてもらえるかも知れないよ」
「なるほど!」
吉田はなんだか嬉しくなった。そして水野谷を見つめた。
「わかりました。この件は伏せておきます。忘れます」
「お前は素直でいいね。助かるよ」
——褒められた!
純粋に褒めているだけではない言葉も、吉田にとったら嬉しい言葉にしか捉えられない。彼はそれだけ素直なのだ。
「しかし、あの器は高価なものですよね? 課長、何万もするって……」
「ああ、あれ? あれは二千円だったよ」
「へ?」
豆苗炒めを突きながら水野谷は笑う。
「だってね。高価だって言っておかないとさ。お前たちは勝手にいじるじゃない? 釘を刺しておけばね、あのスペースに近づく者はいないからね。僕の読み通りでしょう?」
なにからなにまで水野谷のほうが上手。自分たちのことをよく理解しているものだと吉田は思った。そして、水野谷に倣って豆苗炒めを頬張った。
「美味しい!」
「でしょう? 僕はこれが一番好きなんだよねえ」
二人は視線を合わせてにこっと笑みを浮かべた。取引成立の瞬間だった。
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