第3話 雪の山3

 目の前に雪の降り積もった地面が迫る。トウカが思い切り目をつぶると、次の瞬間には全身を冷たさと衝撃が襲った。そのまま、雪にまみれて山の斜面を転がっていく。あまりにも突然のことで抗う術もなかった。ただただ、腕の中にいるヨシノが傷つかないよう抱きしめる。

 わけもわからぬまま落ちて――、すこしのあとに静止した。


「いたっ――」


 幸いにも傾斜は緩く、高さもなかったようだ。わずかに転がり落ちただけで済んだ。もし仮に長い距離を落ちたのであれば、と考えるとぞっとする。

 トウカは唸りながら身を起こす。


「ヨシノ、ポチ! 大丈夫?」

「ヨシノは大丈夫なの」


 トウカに抱きしめられながら、ヨシノが頷く。近くの雪が盛り上がったと思うと、ポチも顔を出した。恨めし気な目をして雪から這い出ると、小さな体を震わせる。


「よかった。ごめんね、私が足元見ていなかったみたいで。――でもこんな斜面、来た時にあったかな」


 そう言いながらポチをすくい上げた。そのトウカの後ろで――、何者かが雪を踏み分ける音がした。

 トウカは勢いよく振り向く。次から次へと、せわしない。理性のないあやかしや、獣であれば逃げなくては、とそんな焦りが心を満たした。まじない道具も持っていないし、今ここにいるのはトウカとポチとヨシノだけだ。戦う術はない。緊張に身を固くした。

 だが。


「――トウカ?」


 トウカの耳に届いたのは獣の呻きではなく、懐かしい声だった。優しくて温かくて、すこし埃の匂いをにじませた声。え、とトウカは目を丸めた。

 白い世界に立っていたのは――、一人の老婦だった。

 小さな体に行儀よく着物と羽織を纏い、すっかり白くなった髪を後ろにまとめた老婦。目元に細かな皺が刻まれた顔は、今、驚きに染まっている。トウカも同じような顔をして呆然とした。


 老婦は一歩一歩、ゆっくりとトウカに近寄って目の前までくると、手を伸ばしてトウカの頬に触れる。その手は寒さで冷えているはずなのに、どこか温かかった。


「トウカ――。トウカね」


 その存在を確かめるように頬を撫でて、そのあとで、トウカを強く抱きしめた。よかった、と小さな声が耳元でする。温かく懐かしい匂いに包まれて、トウカは唇を震わせた。


「おばあ、ちゃん――?」


 トウカを抱きしめる腕の力が強まった。


 これは、祖母の声だ。祖母の匂いだ。祖母の温かさだ。

 あ、とトウカは気づく。

 抱きしめる祖母の姿越し、木々の合間に集落が見えた。雪に押しつぶされそうな民家がまばらに散らばっている。それはトウカにとって馴染みのある風景だった。懐かしくて、温かくて、苦しい時間が詰まっている場所。


「私――、人の世に、帰ってきたの?」


 トウカは呆けたように動くことができなかった。


(第3話「雪の山」 了)

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