第3話 雪の山2

 そのとき、ポチが小さな体に見合わない大きなくしゃみをした。それは妙な抑揚をもって周囲に響いて、張り詰めた空気を揺らす。トウカが驚いて目を開くと、ポチが恥ずかしそうに目を逸らす。それで、トウカは思わず笑ってしまった。


「寒いね、ポチ。もう帰ろうか。ウツギも家で待っているし」


 早く帰って、ウツギと一緒にお茶の準備をしよう。こんな寒い日には熱々のお茶が飲みたい。そう思っていると。


「トウカ」

「ヨシノ? どうしてここに。カグノは?」


 急に名を呼ばれたかと思うと、瑠璃色の髪をした少女のヨシノがすぐ近くに立っていた。いつも一緒にいるカグノの姿はない。


「ウツギが、トウカの帰りが遅いって心配してたの。でも、ヨシノとカグノが部屋を漁っているのを見つけて、追いかけっこが始まった。ウツギ、追いかけっこで忙しそうだったから、ヨシノがトウカを迎えにきたの」

「また二人はいたずらしたんだね。いい加減にしないと、ウツギも本気で怒るよ。というより、ヨシノだけ逃げてきたのね」

「逃げたんじゃない。トウカの迎えにきたの」

「そっか、ありがとう」


 きっと今ごろカグノを相手にウツギのお説教が始まっているのだろう。ヨシノと一緒に帰れば、今度はヨシノへのお説教が始まるはずだ。


「なんか、ちょっと帰りにくいな――。でも心配させているなら、帰らなきゃね。行こう」

「うん」


 ヨシノは小さな手を差し出した。トウカは笑って、その手を握り返す。

 そうして歩き始めたときだった。

 ふと、遠くの空気が震えるのを感じた。刀をすり合わせたような甲高い音がする。山全体の空気がきりきりと震えていた。胸がざわつく。それを聞いた刹那――。


「うわっ!」


 それまで静かだった山に、突如として風が吹いた。雪を舞い上げ、トウカの髪を巻き上げて、風が山道を駆け抜けていく。

 舞い上がった雪はたちまち白い壁のように行く手を阻み、一寸先も見えなくなった。肌が切れそうなほどの冷たさが襲ってくる。体が後ろに押し返される。下手をすればトウカ一人なんて紙のように吹かれてしまうと思った。トウカはヨシノを抱きしめながら足を踏ん張って、なんとか風に耐えた。


 木々がうるさく揺れていた。

 時間にしてみればわずかなことだったのだが、トウカにはとても長い間その風に耐えていたように思えた。風が落ち着くと、やっと息をつく。


「びっくりした――。変な風」


 山は再びしん、としていた。風はやんで、ただ静かな雪の世界が広がる。先ほどまでのざわめきが嘘のようだ。


「さっきの――、ただの風じゃない。でも、あやかしの気配もまじないの気配もしなかった」


 木々の揺れは終わったのに、トウカの胸はまだ言いようのない不安にざわめいていた。ただの風ではない。では、なんなのだろう。


「よく分からないけど、とにかく、早く帰った方がよさそう」


 そう言いながら、トウカは前に進もうと足を踏み出した。


「えっ」


 踏み出した足が深く沈んだ。まるで雪の下に地面がないように。予想外の感覚に情けない声がもれる。しかしすでに沈んでいく足には体重をかけていて、取り返しはつかなかった。トウカの体が傾く。そのまま、倒れていく――。

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