新しい生活様式の提言

天野蒼空

新しい生活様式の提言

 目が覚めたら、そこに知らない天井があった。布団の感触も自分の部屋にあるものよりもふかふかな気がする。カーテンの隙間から溢れてきた太陽の光が顔の上にかかって、なんだかムズムズする。

 まだ夢の中なのだろうか、などと思いながら起き上がる。

 眠っていたベッドはどうやらダブルサイズだったらしくて、床に足をつけるために少し移動しなくてはならなかった。ベッド脇にはサイドテーブルがあり、その上に卓上ランプと八時を指した時計が置かれていた。

 カーテンを開けると、窓いっぱいの青が広がって、部屋の中がぱっと明るくなった。でも窓の外には他に何も見当たらない。一体ここはどこなのだろう。

 ふと、着ている服に見覚えがない事に気がついた。いつも寝ているときに使っているパジャマではなく、見覚えのない、ゆったりとしたクリーム色のワンピース。いつ着替えたのだろう。

 緊張感が頭の天辺からつま先まで走り、心臓の裏側から不安が顔を覗かせた。

 ──キーン

 ハウリングが起きたときのような甲高い音が耳元でした。思わず耳をふさぐ。

「聞こえているようですね」

 聞き覚えのない若い女性の声がした。どこから声がしたのか分かたなくてあたりを見回すが、前にも後ろにも横にも上にも誰もいない。

「こちらは見えないかもしれませんが、こちらからは見えているのでご安心ください、安住あずみ凛花りんかさん」

 機械的な、抑揚のない声に自分の名前を呼ばれて、どきりとする。

「私のこと、知っているんですか」

「被験者のサーチは十分に行われています」

「被験者……?」

 なにかの実験に応募した覚えはないのだけれど、一体どういうことなのだろうか。

「厳正な抽選の結果、安住凛花さんは被験者に選ばれました。私達の✕✕✕✕✕✕で開発された技術を地球の住人であるあなた達に提供することが決定しました。より沢山の地球の住民にこの技術を使ってもらうために、まずは地球の住民であるあなた達のデータを採取します」

「はあ、そうですか」

 あまり理解ができないまま、私は気の抜けたような返事をした。

「詳しい説明を行いますので、リビングへどうぞ」

 ドアの前によくゲームで次の行き先を示すときに出てくるような、赤い矢印が出てきた。どこから投影されているのかわからない。手で触れてもその矢印が手の形に沿って歪んだりするわけではなく、透明の矢印がそこに存在しているようだ。

 これが違う星の技術なのだろうか、と思いながら私は矢印が示すドアを開けた。


 リビングにはテレビやソファー、テーブルなどのリビングにあるような家具が置かれていた。きれいに整えられているけれど生活感のないその空間は、まるでモデルルームのようだ。

 ──ガチャリ

 私が入ってきたドアと同じドアから誰かが入ってきた。

「凛花、なんでいるの?」

拓海たくみ……、拓海も一緒なのね!」

 目の前に現れたのは私の彼氏である拓海だ。一人きりではなかったという安心感と、大好きな人に会えたという喜びから思わず抱きつこうとした。

 しかし、私の体は拓海の体をすり抜けてしまったので、拓海に触れることは出来なかった。

「なん……で?」

 転んで床に手をついている私を引き上げようと、拓海が私に手を伸ばす。でも、その手を取ることも出来なかった。そこに拓海はいるのに、手は空気しかつかめず誰もいないかのようだ。

「俺、幽霊にでもなったのかな」

 暗い口調で拓海はそういった。拓海のことを抱きしめたかったけれど、抱きしめることの出来ない私はただそこに棒立ちになっていた。

「✕✕✕✕✕✕の実験への参加、ありがとうございます。これより、概要について説明します」

 天井から声が降ってきて、何も触っていないのにテレビがついた。

「とにかく、座るか」

 拓海の言葉に頷き、テレビの前に置かれているソファーに座る。

「まず、実験スペースについての説明です」

 画面上に1(ワン)LDK(エルディーケー)の部屋の見取り図が二枚表示される。

「画面右側が安住凛花さんの部屋です。画面左側が斎藤拓海さんの部屋です。お二人は現在同じ間取りの別々の部屋でこの画面を見ています」

「ええ、じゃあ、ここにいるのは?」

 隣にいるのは確かに拓海だ。そっくりな別の人なんてことはないだろうし。

「✕✕✕✕✕✕を行うことで、実際に離れた場所にいる人同士が一緒に暮らすことできるのです。オンライン同棲という言葉があるようですが、現在地球上の一部の地域で使われている言語の示すこの言葉は、音声データを離れた場所にいる人に届けることによって同棲をしているような感覚を味わうことが出来るという意味があります」

 肝心な部分はなんて言っているのか聞き取ることが出来ない。きっとこの実験の主催者たちの星の言葉なのだろう。

「しかし、私達の✕✕✕✕✕✕では音声データだけでなく、立体の映像データを部屋のどの場所から発生しているものなのかというデータを付けて送ることが出来ます。更に、機械のオン、オフや物の移動も可能なので、相手側だけの画面がついたり、自分側だけものが移動したりすることがなくなり、認識のズレを抑えるサポートもあります」

 拓海が立ち上がり、テレビのリモコンを私に渡してきた。

「つかめる。ちゃんと本物だ」

 拓海には触れられない、拓海が渡してきたものには触れられる。

「魔法みたい」

 そうつぶやく私に声が応える。

「✕✕✕✕✕✕は現在の地球よりも科学が発展しています。例えば、立体映像の投影は地球上ではホログラムなどという言葉で表現されていますが、それとこの✕✕✕✕✕✕は少し違うシステムを使っています。これは現在の地球上では不可能な技術です」

 なるほど、これが文明の違いっていうやつか。

「私達はこの✕✕✕✕✕✕を新しい生活様式の提言として地球にこのシステムを売ってもいいと考えています。これが地球上での困難を乗り越えるためにあるべきだからです」

 感情のないその声に説得されても、ピンとこなかった。

「あなたの星の人たちは、みんなこうやって一人で生活しているのですか?」

 そう尋ねたのは拓海だった。

「はい。基本的にはこのような生活様式で暮らしています。このようにすることによって、あらゆる感染症から肉体を守ることが出来ます」

「それって、寂しくないですか?」

 口からほろりと溢れた。一度溢れたら止まらなくて、すうっと流れ始めた。

「私は、そういうのはなんだか寂しいなって思います。だって、隣にいるはずなのに体温も匂いも感じられなくて、悲しんでいるときに手をにぎることすら出来ない。そんなの、寂しすぎますよ。大切な人の存在は声と姿だけじゃないって、私は思うんです」

「俺も、同じように思います」

 そう言って拓海の重ならない手が私の手と重なるように同じ位置に置かれる。

「彼女の涙を拭うことが出来ない同棲なんて、嫌じゃないですか」

 そういって拓海は私の顔を覗き込んだ。

「実験には参加しません。俺は今、凛花に会いたいんです」


 気がついたら家の近くにある公園のベンチに座っていた。

「凛花、起きた?」

 空気の振動とともに拓海の声がした。私の左肩にもたれかかり、手をギュッと握っている拓海のことがいつもよりも愛おしく感じられた。

「うん。ねえ、拓海」

「なあに?」

 指と指をしっかり絡めて温もりを逃さないように握りしめる。

「私はこうやって隣にいるほうがいいな」

「俺もだよ。ずっと、ずっと、こうやって隣にいたい」


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新しい生活様式の提言 天野蒼空 @soranoiro-777

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