第32話 懐疑心

「赤坂くん、昨日はありがとう」


 八尋が美凪を助けた翌日。

 昨日の雨とは打って変わって雲ひとつない晴天になり、八尋は汗だくになりながら教室にたどり着く。

 既に登校していたやなぎ優征ゆうせいと話していると、登校してきた美凪が八尋に話しかけた。


「ううん。ちょうど蘇芳さんを見かけたから。あのあと大丈夫だった?」

「心配してくれてありがとう。なんにもなかったし、傘もコンビニでちゃんと買ったよ」


 昨日のことを思い起こさせないような明るい笑みを浮かべ、美凪は女子生徒たちの会話に混ざっていった。

 あの時、自分が駆けつけなかったら美凪はどうなっていたか、八尋が美凪の背中を追いながら考えていると、柳に声をかけられる。


「お前、蘇芳となんかあったの?」


 ニヤニヤした顔で八尋と美凪を交互に見る柳に、これは勘違いしているな、と八尋はため息をつきながら答える。


「昨日偶然会っただけだよ。深川ふかがわが考えるようなことじゃないからな」

「深川、最近彼女できたから構って欲しいんだよ」


 にこやかに言う優征に、柳は「ち、ちげーし!」と分かりやすいくらいのリアクションを見せる。

 先日、柳は同じ部活の先輩に告白して、めでたく付き合うことになった。しかし、会話のたびに彼女との惚気を聞かされ、最初は楽しそうに聞いていた八尋と優征も、次第に聞き流すようになっていった。

 柳は気を取り直すようにわざとらしく咳払いをすると、声をひそめて八尋たちに言う。


「そういえばこの前、守護者が意識不明で倒れてる事件があったらしいぜ」


 そんな事件があったのか、と驚く八尋と優征に、俺も先輩に聞いただけだけど、と言って柳は続ける。


「先週だったかな。通学途中に警察が集まってたから、話を聞いてみたら夜中に襲われたらしい」

「通り魔? どっちにしろ良い話じゃないね」

「そうなんだよな。んで、犯人は最近噂の死神じゃないか、って先輩が言ってたんだよ」


 ここでも死神の噂が出るのか、と八尋は驚く。

 しかしそこで死神と断定するのは早いのでは、と考える八尋の横で、八尋と同じようなことを考えていたらしい優征が首を傾げた。


「それは考えすぎじゃない? 単純に誰かに恨まれてたって可能性もあるし」

「深夜に現れたし、ありえない話じゃないだろ。死神の正体を追いかけてて返り討ちにあったか、無差別に誰かを襲ってるとか……」


 話しながら柳は動きを止め、次の瞬間、ひらめいたように身を乗り出す。


「もしかしてその死神、パンドラのメンバーだったりして」


 パンドラ。

 それは異能力至上主義を掲げている、世界的に有名なテログループの名前だった。

 異能力を扱える人間こそが新しい時代を切り拓く、という名目のもとに、主に異能力反対派へ過激な活動を繰り返しているらしい。

 八尋もネットでその名前を見たことはあったが、自分には程遠いものだと思い、特に気に留めていなかった。


「もしパンドラだとして、そんな人たちが守護者を襲う理由になるか?」

「ほら、異能力によって優劣あるとか言ってるみたいだし、それがあって内部分裂とか! ニュースになってないってことは可能性ありそうだろ!」


 現実味のない話になってきたところで、呆れる八尋と優征を尻目に、柳は相変わらず楽しそうに話し続ける。

 武器・魔術・魔法の中で、どの異能力が最も優れているかという議論がされていることは、八尋も耳に挟んだことはあった。

 しかし、それはごく一部からの発言であり、八尋の周囲ではそんなことは全く聞かなかった。


「そもそも犯人が死神っていうのもただの予想だし、深川の理論だとその守護者がパンドラのメンバーってことになるよ。妄想にしても飛躍しすぎだって」

「うっ、確かにそうだけどさぁ。もしかしたらって考えるだけ良いだろ」


 優征に笑いながら正論をぶつけられ、何も言い返せない柳はふてくされたように机に突っ伏す。

 しかし、守護者が意識不明になるということは、襲った相手はふいをついたか、もしくは相当腕が立つ人物なんだろう、と八尋は犯人について考える。

 その時八尋はふと、昨日遭遇したフードの人物の姿を思い浮かべた。


(そういえば昨日の人、真っ黒い姿だったような……)


 雨と路地裏という暗い環境ではあったが、昨日八尋たちが遭遇したフードの人物は、全身黒い服装をしていたことを八尋は思い出す。

 そして、以前あかりから、死神は真っ黒い姿だと聞いていたため、噂になっている死神との容姿も一致した。

 つまり、死神の正体は黒金ではなく、昨日のフードの人物——貴一なのでは、と八尋は繋がったかもしれない答えに震える。

 そんなわけがないと頭を悩ませるが、そう思えば思うほど貴一にしか思えず、八尋はいやいやと考えを振り払うように頭を小さく振る。


「赤坂?」

「いや、なんでもない」


 柳に呼ばれて八尋が我に返ると同時に、始業を告げるチャイムが鳴り、八尋は席に戻る。

 照りつける日差しを避けるようにカーテンを閉め、隣の席で授業の準備を始めた美凪に話しかけた。


「蘇芳さん。昨日のことだけど、先輩には俺から聞いてみるね」


 なぜ美凪が狙われたのか、本当に貴一が犯人なのか、美凪に聞きたいことは山ほどあったが、まずは本人から話を聞こうと八尋は決めた。

 そして昼休み。

 恭平とあかりとの昼食を早めに切り上げ、八尋は三年生の教室に向かった。

 誠と貴一しか接点がない八尋は、なんとなく居づらい気がして廊下で立ち止まっていたが、ちょうど教室から出てきた誠と鉢合わせる。


「緑橋先輩! あの、青山先輩いませんか?」

「貴一? 今日は風邪で休みだけど、どうかしたか?」


 赤坂が貴一に用事なんて珍しいな、と誠は笑う。

 昨日の今日であまりにもタイミングが良すぎる気がしたが、もしや美凪に顔を見られたせいなのか、と八尋の頭の中で嫌な考えが駆け巡る。


「貴一に伝言なら、俺から伝えておこうか?」

「いえ、俺が直接話したいので大丈夫です」


 貴一の連絡先は知っているため、八尋はスマホから簡単に連絡は取ることはできる。

 しかし、そんな顔を合わせずに気軽に聞ける内容でもなく、直接確認するべきだと八尋はそのまま教室に戻っていった。


 放課後。

 実技棟の中にあるトレーニングルームで、八尋と恭平が定期的に行うトレーニングを終えて部屋を出ると、同じタイミングで隣の部屋の扉が開いた。

 その人物に気がついた恭平が、声をかけながら軽い足取りで近づく。


「緑橋先輩。お疲れっす!」


 恭平に声をかけられた誠がお疲れ、と言いながら流れてきた汗を拭う。

 流れで駅まで一緒に帰ることになり、八尋たちは実技棟を出て歩き出した。


「お前らもトレーニングか?」

「はい。もしかして、緑橋先輩もですか?」

「そうそう。模擬戦も終わったし、中間の成績も出たからな。ちょっと一から鍛え直そうと思って」


 八尋は模擬戦後の体調が優れない様子の誠を思い出し、トレーニングを続けて大丈夫なのか、と心配そうに誠を見る。

 そんな八尋の視線を察したかのように、魔力切れで倒れたことは数えるくらいしかないから大丈夫、と誠は軽く笑って答えた。

 それは一般的に大丈夫と言えないのでは、と八尋は焦るが、誠はふっと視線を落として言う。


「実は俺、魔力が極端に少ないんだよ。小出しにすれば多少は長く持つけど、全力でやったら二十分くらい持てば良いってレベル」


 個人の魔力は生まれた時点で上限が決まっており、体力作りや筋力トレーニングなどで増えるものではない。

 そのため、魔力が異能力を扱う素質そのものを指すこともあり、才能がないから守護者の道を諦める、というのは魔力で判断していることも多い。


「じゃあこの前の模擬戦って結構しんどかったんじゃ……」

「そうだな。凪斗相手だから最初から本気だったし、後半はいつ魔力切れになるか、内心ずっと心配してたよ」


 後半で刀が揺らいでいた原因は、魔力切れが起こっていたせいかと八尋は納得する。

 普通、魔力切れが起こり始めたら、異能力を使うことに多少なりとも躊躇するが、誠はあえてそれをせずに全力を出し切る、文字通り体を張ったスタイルなのだろうと八尋は考えた。


「いきなりこんな話してごめんな。会長なのに実技の成績も悪いし、頼りない先輩だと思っただろ」

「そんなことないっす!」


 八尋から見ても分かるくらい、わざと明るく振る舞う誠に、八尋より早く恭平が声を上げた。


「俺は魔術とか魔法に憧れるし、使えたらかっこいいって思うこともあります。でも今の話と、この前の模擬戦を見て、俺も先輩みたいに至近距離でかっこよく戦えるようになりたいって思いました!」


 恭平は立ち止まり、誠に言う。

 たとえ一番でないとしても、魔力が人より少なくても、誠のその姿勢に、八尋も恭平も尊敬の気持ちを抱かずにはいられなかった。


「俺がそうなんですけど、まだ自分の異能力を理解してないから全然動けてないんです。だから、自分の異能力をそれだけ理解してる先輩って凄いです」


 ぼやいただけのつもりが、そんなことを後輩から言われると思っていなかったのか、ありがとな、と誠は小さく笑う。

 そして駅が近づいた頃、誠は通りがかったコンビニの前で立ち止まる。


「二人とも、ちょっと待ってて」


 そう言ってコンビニに入って数分後、誠はコンビニの袋を提げて戻ってきた。


「頼りない先輩を元気づけてくれたお礼」


 誠は袋からアイスを取り出す。

 手に持っていたのは、二人で半分に分けて食べる形のアイスで、それを見た八尋と恭平は目を輝かせる。


「あざす!」

「いただきます!」


 恭平は誠からアイスを受け取り、半分に割って八尋に渡す。


「夏っすねぇ」

「やっぱ、夏と言えばアイスだよな」

「今日は特に暑かったですもんね」


 そんな他愛ない話をしながら、八尋たちは再び駅までの道を歩いていった。

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