第30話 向日葵

「じゃあ、今日はこれで解散」


 誠がホワイトボードのペンをくるくると回しながら言う。

 夏休みに入る前に一回くらい全員集まっておきたいという誠の意向により、八尋は生徒会室の会議に参加していた。

 会議と言っても堅いものではなく、各自報告や後期の行事に向けた動きなどを、時折雑談を混じえた簡単なものだった。

 誠や涼香の雑談で話題が逸れるたびに、貴一が軌道修正を行ったおかげで、一時間ほどで会議は終わった。


「んじゃ、俺バイトなんでお先っす!」

「あたしも部活に顔出してきまーすっ」


 終わるや否や、恭平と涼香が鞄を持って足早に生徒会室を出て行く。

 八尋は会議の前に、体調は大丈夫なのかと誠に尋ねたが、「ただの貧血と寝不足だった」と笑って返されてしまった。

 誠がそう言うなら信じるしかないか、と八尋は普段通りに振る舞う誠を見ながら思う。

 会議も終わり、駅まで一緒に帰ろうと八尋はあかりを誘おうとするが、同じタイミングでエリナに声をかけられた。


「赤坂、このあと暇?」

「は、はい。特に用事はないですけど……」

「凌牙とトレーニングルーム借りてるから、もし暇なら来る?」


 頭の片隅でずっとエリナとの臨時模擬戦のことを考えていたために、今の八尋には願ってもないことだった。

 八尋が是非、と返事をすると、エリナは鞄を持ちながらあかりに視線を向ける。


「桃園もどう?」

「私もいて良ければ、是非ご一緒させてください」


 そして八尋は、あかり、エリナ、凌牙とともにトレーニングルームに向かった。

 トレーニングルームに行くと、凌牙が異能力を使ってエリナがそれを防ぐ、といったトレーニングを始め、八尋とあかりは部屋の端でその様子を見学していた。

 凌牙は自身の異能力である『鉤爪』を具現化し、エリナに切りかかる。

 そしてエリナは魔術を鍛えるためか、本来の異能力である弓矢は具現化せずに魔術のみで凌牙の攻撃を防ぐ。

 凌牙の身のこなしは同じ近距離武器を扱う恭平や誠以上に軽く、エリナは元から魔術を生まれ持っていたかのように扱いが手慣れていた。

 トレーニングとはいえ、レベルの高い二人の動きに八尋もあかりもすっかり魅入っていた。

 しばらくするとエリナに呼ばれ、八尋とあかりはエリナたちの元に向かう。


「赤坂、相手に距離を詰められたらどうする?」


 突然エリナに聞かれ、八尋はそのシチュエーションを想像した。

 銃で狙いを定めるには近くでは安定しない、今までの数少ない経験や授業で習ったことも思い出しつつ、八尋は恐らく正解だと思う答えをエリナに言う。


「えっと……距離を取る、ですかね」

「半分正解。授業ではそう習うことも多いけど、実戦だとそんなことは言ってられない」


 エリナは鞄から水を取り出し、それを一口飲んでから続ける。


「凌牙の動きを見てたら分かると思うけど、近距離武器を使う奴は大半が体が使えるから、距離を取っても必ず向かって来る」

「確かに、恭平とトレーニングしてると意地でも追いかけてきます」

「しかも、遠距離武器は遠くから攻撃することが多いせいで、近くに来られた時が一番弱い。だから、近くで戦う術を身につけるのもあたしは良いと思ってる」


 基本は射撃訓練がメインで、近距離武器のような授業はあまり受けてないな、と八尋は実技授業を思い出す。

 異能力を伸ばすのにはそれに適した授業を行うのが良いはずだが、確かにエリナの言うことも一理ある、と八尋はうんうんと頷いた。


「別に素手で戦えとは言わないけど、なにかあった方が有利になるのは間違いない」

「紫筑先輩、私も一緒に勉強させてください」

「もちろん。魔法は使える幅が広いから、それを応用した方が良いかもね」


 そこからエリナと凌牙がアドバイスをしつつ、八尋たちは小一時間ほど近距離でどう動くべきか、というトレーニングを行なった。

 エリナたちが教える内容はまさに実戦に向けたもので、異能力自体を鍛える普段の授業との違いに、八尋は終始驚いていた。

 トレーニングを終えて実技棟を出ると、あたりは暗くなり始めており、そこに聞き慣れた軽快な声が八尋たちに投げかけられる。


「しづきんお疲れ〜!」


 スポーツタオルを首にかけた、部活を終えたであろう涼香が走ってきた。

 エリナと凌牙と一緒に八尋とあかりがいることに涼香は首を傾げるが、すぐになにかを悟ったようにニヤリと笑う。

 エリナに視線を向けたあとにニコニコと微笑ましい笑みを浮かべながら、八尋とあかりに話しかける。


「実は今日、しづきんの家でご飯食べる約束してたんだよね! せっかくだし、やっぴーたちも行こーよっ!」

「え、流石に迷惑じゃ……」

「別に。元々そのつもりだったし」


 まさかトレーニングルームに行こうと誘ったのもこのためなのかと八尋は思いつつも、せっかく誘ってくれたのを無碍にしてはならないと八尋とあかりはエリナの家に行くことにした。


 それから学校を出てエリナについていき、和風な平屋建ての家の前で立ち止まる。そこは塀に囲われた古き良き古民家、といった外観だった。

 まさかお金持ちだったとは、と八尋は入る前から圧倒されていたが、その横で涼香は慣れた様子で門をくぐり、八尋とあかりは慌ててついていく。


「凌牙、あんたの部屋に赤坂たちの荷物置かせて」

「はいはい」


 玄関でエリナと凌牙は別れ、八尋たちは凌牙についていく。

 なにか言いたげな八尋の雰囲気に気がついたのか、先を歩く凌牙は横目でチラリと八尋を見る。


「居候。色々あって面倒見てもらってんだよ」


 仲が良いのは分かっていたが、まさか一つ屋根の下で暮らしていたとは、と八尋とあかりは驚く。

しかし、凌牙の言う色々は聞かない方が良いだろう、と疑問は胸にしまい、黙って凌牙についていった。

 凌牙の部屋に荷物を置いてリビングに向かうと、夕食前独特の良い香りが八尋の鼻を抜ける。

 そこではエリナの母親らしき女性が、キッチンで夕食の用意をしていた。


「しづきんママ、お邪魔してます!」

「いらっしゃい。あら、さっき言ってた後輩の子たち?」

「そう、赤坂と桃園」


 夕食の用意を手伝っていたエリナは、八尋とあかりを紹介する。エリナの母・室恵むろえは料理の手を止め、八尋たちに向き直る。


「はじめまして。赤坂八尋です」

「桃園あかりです。突然お邪魔してすみません」

「はじめまして、紫筑室恵です。もうすぐご飯できるから、ゆっくりしててね」


 室恵は優しい笑みを浮かべ、夕食を作る手を再開させる。

 リビングの隣にある和室で八尋たちがくつろいでいると、エリナの祖父であるみやこがリビングに現れた。


「おや、今日は随分とにぎやかだね」

「しづきんのおじいちゃん、お久しぶりです!」

「涼香ちゃん、久しぶりだね。そっちの子たちはエリナのお友達かな?」

「うん、生徒会の後輩」


 エリナに紹介され、八尋とあかりは先ほどと同じように京に名乗る。

 着流しを着た京は穏やかな口調だが、どこか威厳のある雰囲気だった。


「はじめまして、祖父の京です。こんなに若い子がたくさんいて、孫が増えた気分だよ」


 京はにっこりと穏やかな笑みを浮かべ、ダイニングテーブルに腰掛ける。

 来客といえど突然来たから、と八尋たちは配膳を手伝い、ご飯、味噌汁、漬け物、冷奴、茄子の煮浸し、焼き魚といった料理が続々とテーブルに並んでいった。

 全て揃ったところで夕食を食べ始め、母の味、と形容するのがぴったりな料理たちを、八尋は一口一口味わっていく。


「んん〜! やっぱりしづきんママのご飯美味しいです〜!」

「ありがとう。おかわりはたくさんあるから、いっぱい食べてね」


 この居心地の良さを八尋は小学生の時、恭平の家に遊びに行った時にも感じていた。

 普段は透と二人で、それか時々一人で食べる夕食が八尋には当たり前だった。

 しかし、こうして大勢で食卓を囲むのも良いな、と八尋は箸を進めながらしみじみと感じた。


「お邪魔しました〜!」

「遅くまでありがとうございました」

「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」

「いえいえ。みんな気をつけて帰ってね」


 エリナたちに門まで見送ってもらい、八尋たちは駅までの道のりをのんびりと歩く。

 夏本番も近づいて夜でも蒸し暑さが残り始める中、涼香は満足そうな顔をして八尋に話しかけた。


「いやぁ、しづきんがやっぴーと仲良くなりたそうで、実に微笑ましいねぇ」

「紫筑先輩が俺なんかと仲良くなりたいんですかね……」

「あのしづきんが、仲良くなりたくない人を家に誘うわけないじゃ〜ん!」


 涼香がうりうり、と肘で八尋をつついていると、突然思い出したように「あーーーっ!」と大声をあげる。


「そういえば涼香ちゃん、大事な用があるんだったー! やっぴーたち、駅までは道分かるよね! ほんじゃまた明日〜」


 わざとらしく声を上げ、涼香は夜の住宅街を走り去る。

 あっけに取られる八尋とあかりだったが、涼香の様子から、意図的に二人きりになる状況を作ったのだと八尋はすぐに悟った。

 二人きりになった途端に八尋は急にあかりを意識し始めるが、あかりはそれを全く気にしない素振りで八尋に話しかける。


「そうだ、この前教えてくれたコンビニのチョコタルト買ってみたんだけど、赤坂くんの言う通り美味しかったよ!」


 八尋とあかりは甘党仲間ということもあり、よくこうして情報交換をしていた。

 二種類のチョコがね、と楽しそうに話すあかりを見ながら、八尋はある決心をする。

 それは、先日あかりが何気なく言っていたことで、せっかく涼香が二人きりにしてくれたのだ、このチャンスを無駄にしてはいけない、と八尋はその場に立ち止まる。


「あ、あの!」


 街灯が照らす中、八尋は意を決してあかりに言う。


「どうしたの?」

「来月に近くで花火大会あるんだけど、二人で一緒に行かない!?」


 それはつまり、デートに行かないかということだった。

 しかし、デートなんて直接的な言葉は言えず、二人で、と言うのが今の八尋には精一杯だった。

 途端に暑くなったのは夏のせいだ、と八尋は自分に言い聞かせ、前にいるあかりの返事を待った。

 突然のことにあかりは大きく瞬きをするが、八尋の言葉を理解したのか、向き直って八尋に微笑みかける。


「うん。私も花火大会行きたかったから、予定空けておくね」


 その言葉に、八尋は今すぐに飛び跳ねて喜びたい気持ちになった。

 テストで凡ミスをして減点されただとか、最近あった些細な出来事たちが全てどうでも良くなるくらいのものだった。

 いつもなら恭平と三人で行こう、と言われるはずだったが、二人でいこうと言ったのが効果があったのか、とにかく八尋は嬉しさを抑えきれなかった。


「花火大会、今から楽しみだね」

「俺も、今からすごく楽しみ!」


 あかりと別れるまで、誰から見ても分かるくらいに八尋は終始テンションが上がっていた。

 そして家に着いた後も、八尋はあかりを誘えたことを思い出すたびにニヤニヤとして、透に心配されるくらい浮かれていた。

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