第18話 赤信号

 ファッションショー当日の午前。

 八尋たちは昼前の集合だったため、いつもと遅い時間だが毎日の通学と同じように恭平と待ち合わせて会場に向かう。

 会場に向かう途中、恭平はピラピラと許可証を振りながら不満そうにつぶやいた。


「あーあ。これも使わずに終わりそう。せっかくの学外活動なのに」

「そりゃ簡単に事件とか起こるわけないし、使わずに終わった方がいいだろ」

「たしかにそうだけどさぁ」


 恭平はつまらさそうな顔をして許可証をかばんにしまう。

 八尋もなにか起こって欲しいとは思っていたが、それよりもあかりが出演するファッションショーだから、それが無事に終わって欲しい、という気持ちの方が強かった。


「何回も言うけど、昨日の桃園さんまじでかわいかったな」

「ドレスも可愛かったし、桃園さんに似合ってたね」

「八尋、担当が会場の中だから今日もまた観られるな。うらやましすぎ!」

「昨日みたいに観てるわけにはいかないって」


 桃園さんの時だけサボって見てんだろと恭平は八尋を小突く。

 絶対そんなことはしないと言いたかったが、あの姿のあかりをもう一度見たいと思ってしまった八尋は、完璧に否定できずに言葉を濁す。


「それに、今日が終わればようやく桃園さんとカフェ行けるからな。ようやく行けるから楽しみだな」

「元々約束してたのは俺なんだけど」


 そう話す八尋は、あかりと約束をしたのがだいぶ前のことのように思い起こされる。

 甘いものを我慢していると言っていたあかりが、カフェでうれしそうにケーキを食べている光景が八尋の頭に浮かぶ。


「桃園さんが今まで我慢してた甘いものを食べる。たぶん、いや、絶対うれしそうにしてるのが想像できる。そんな幸せそうな瞬間は誰もが見たいだろ」


 恭平と同じタイミングで同じようなことを考えていたのがしゃくだったのか、八尋は無言で恭平を少し強めに小突いた。

 ロビーに着くと、スタッフが慌ただしく走り回っており、何事かと思いながら八尋たちは控え室に向かう。

 既に控え室にいた誠たちは私服姿で、誠たちの私服姿を初めて見た八尋は少し新鮮な気持ちになっていた。


「おはようございますー。なんかトラブルっすかね?」

「機材トラブルって言ってたな。原因が分からないから調べてるんだろ」

「なんもしてない俺らが言える立場じゃないっすけど、スタッフさんって大変っすね」


 新橋や土屋から、開場までなにかあれば呼ぶと言われていたらしいが、八尋たちが特に手伝いに駆り出されることもなく、まもなく正午を過ぎようとしていた。

 涼香が差し入れの軽食を食べながら凌牙に話しかける。


「ねぇねぇ、桃姫モデルになったら絶対有名になれるよねっ」

「俺に聞くな」

「モデルになったらしづきん独り占めにできないもんね〜。あれ、ていうかしづきんは?」

「知らねぇよ」

「凌ちゃんならしづきんがどこにいるか把握してなきゃねぇ」


 涼香とのやりとりがめんどくさくなったのか、凌牙はそれを無視してスマホをいじっていた。


(結局、覚悟ってなんのことだろ……)


 エリナに言われたことを、八尋は昨日からずっと頭の片隅で考えていた。

 しかし、覚悟という決して身近ではない単語がなにをもってして覚悟になるのか、今の八尋には理解できていなかった。

 そんなことを考えているうちに、エリナが控え室に戻ってきた。


「おかえりー! どこ行ってたの?」

「そこらへん適当に」

「にゃるほど。普段こんなところ来ないからそわそわしちゃうよね〜」


 エリナの意思を汲み取っているのかいないのか、一人で楽しそうに納得する涼香を無視してエリナは窓際の椅子に座る。

 エリナが椅子に座るのとほぼ同時に、土屋が控え室に入ってきた。


「すみません。早いですが一般のお客さんが並び始めたので、青山くんと黄崎さん、灰谷くんは下に来てください」


 土屋にそう言われ、三人はあわただしく控え室を出ていった。

 人数が減った部屋はどこか広く感じたのか、誠が大きく伸びをして八尋たちに言う。


「俺らは開場前までここにいていいって言ってたから、もう少し休憩できるからな」

「そういえは新橋さんは?」

「土屋さんに聞いたら朝の機材トラブルの原因究明を手伝ってるって。それもあってギリギリでいいらしい」


 おそらくトラブルの再発防止のために動いているのだろう、と八尋は朝の会場の中を慌ただしさを思い出しながら考えていた。

 開場時間が近づいた頃、新橋が勢いよくドアを開けて控え室に入ってきた。


「すみません、お待たせしました! もうそろそろ開場なので、各自動けるようにしていてください」


 新橋の言葉で、八尋たちはそれぞれの持ち場につく。

 今頃本番に向けた最終準備をしているであろうあかりを思い、八尋は心の中でエールを送った。


   * * * * *


「ついに本番だね。緊張してる?」

「はい、少しだけ」


 会場内の楽屋では、あかりがヘアメイクの卯ノ花うのはなという女性と鏡の前で話をしていた。

 歳も近く、最近の流行りやおすすめのカフェを教えあい、昨日出会ったばかりだがそれなりに意気投合していた。

 卯ノ花は手際良くあかりのヘアセットをしながら、あかりに言い聞かせるように優しい言葉をかける。


「昨日みたいにやれば大丈夫。差し入れもあるから良かったら食べてね」

「ありがとうございます」


 ヘアスタイルも決まってあとは着替えるのみだったあかりは、かばんからオレンジジュースを取り出す。


「すみません、ちょっと緊張ほぐしてきます」


 他の出演者がヘアメイクをしている間なら大丈夫だろう、とあかりは楽屋から離れ、人気のない廊下までやってきた。

 大きく一つ深呼吸をして、緊張している自分を落ち着かせる。

 八尋と恭平からもらったオレンジジュースは朝から少しずつ大事に飲んでおり、残りはもうほとんどなくなっていた。

 あかりは昔から目立つのは得意な方ではなかったが、その恵まれた容姿と才能で嫌でも目立つことが多かった。

 今回の一件も最初は断ろうかとあかりは考えていたが、少しでも自分を成長させたいという向上心が今回の出演を決めた。

 約束は月末まで延ばしてほしいというあかりの一方的なわがままも、八尋と恭平は快く受け入れてくれた。

 そんな二人のためにも恥ずかしくないパフォーマンスをしようとあかりは心に決めていた。


(赤坂くんと橙野くん、今頃警備頑張ってるのかな)


 今日は忙しくて会えないだろうと思ったのか、八尋と恭平から今日の本番を応援するメッセージが朝に届いていた。

 その内容は二人の性格が分かりやすく表れており、先ほども準備をしながら、あかりはそのメッセージを何度も読み返していた。

 二人との約束があるから頑張れる、終わったら好きなだけ甘いものを食べよう。

 あかりは二人がくれたオレンジジュースの最後の一口を飲み、小さく息を吐く。


「よし、頑張ろ」


 自分を奮い立たせて楽屋に戻ろうとしたその瞬間、あかりの視界が真っ暗になる。

 それは会場内の停電によるものだった。

 周りには窓もなく、あかりの視界は完全に闇に閉ざされていた。


(どうしよう……でもまずは楽屋に戻らなきゃ)


 幸い楽屋の方から声が聞こえたため、あかりは落ち着いて声を頼りに来た道をたどろうと壁に手をつく。

 視界が慣れ始めた頃、楽屋方面からあかりに向かって歩いてくる人影がぼんやりと見えた。

 スタッフが見回りに来てくれたのかとあかりが声をかけようとすると、目の前でバチバチと電流が流れる音がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る