セレウスの謝罪 その3


「何をおっしゃるのです!? わたしは……っ! 仇敵であるサディウム伯爵を追い落とすために、養女であるあなたを利用してしまったではありませんか……っ!」


 サディウム伯爵という言葉に、反射的に身体が震える。


 別邸でサディウム伯爵に罵声を浴びせられた時、膝が笑ってくずおれそうなほど恐ろしかった。もう二度とサディウム伯爵に会いたいとは思わない。けれど。


「確かに、サディウム伯爵は恐ろしかったですが……。陛下がすぐに助けてくださいましたから……。それに……」


 指先を掴むセレウスの手を、そっと握り返す。


「私ごときでは、政治のことはわかりませんが……。セレウス様が必要だと思われたからこそ、なされたことなのでしょう? であれば、私がセレウス様に罪を問うなど、とんでもないことでございます」


「トリンティア様……っ!」


 セレウス様がこぼれんばかりに薄青い瞳を見開く。洩れ出た声は、驚愕のあまりかすれていた。


「本当に……。本当にわたしに罪はないとおっしゃるのですか……っ!?」


 信じられないと言いたげなセレウスに、トリンティアは微笑んできっぱりと頷く。


「はい、もちろんです」


「ああ……っ!」


 声にならぬ呟きを洩らしたセレウスが、トリンティアが肩に置いていた手を握りしめる。


「なんと慈悲深い御方でしょう……っ!」


 感極まったように呟いたセレウスが、トリンティアの手を肩から外す。その手を、口元へ持っていこうとして。


「おいっ!? 何をする気だ!?」


 とげとげしい声と同時に、ウォルフレッドが、トリンティアの指先を握るセレウスの手ごと上から乱暴に掴む。


 ウォルフレッドがもぎとるようにセレウスの手を振り払ったかと思うと、次の瞬間、トリンティアは強引に横抱きに抱き上げられていた。


「トリンティアは罰を与える必要はないと言っていたが……。ならば、わたしから与えるか」


「へ、陛下っ!?」


 跪くセレウスを冷ややかに見下ろし、不機嫌極まりない声で告げたウォルフレッドにすっとんきょうな声を上げる。


 だが、対照的にセレウスは動じる様子もなく恭しくふたたびこうべを垂れた。


「覚悟はできております。どうぞ、陛下の望むままに」


「だ、だめですっ! 陛下、なにとぞ……っ!」


 ウォルフレッドがどんな罰を考えているのかなどわからないが、このまま放っておいていいはずがない。


 トリンティアはウォルフレッドを見上げて、必死に声を張り上げる。


「だが、お前がサディウム伯爵に手を上げられた直接の原因と、レイフェルドにさらわれた遠因は此奴こやつだぞ。……やはり、八つ裂き程度では気が済まんな……」


 不穏極まりないウォルフレッドの呟きに、度肝を抜かれる。


「へ、陛下っ!? 何ということをおっしゃるのですか!? や、八つ裂きだなんて、そんな……っ!」


 ふるふると震えながら、ぎゅっとウォルフレッドにすがりつく。


「冗談にしても、そのように恐ろしいことをおっしゃらないでくださいませ……っ」


 動揺のあまり、じわりと涙のにじむ目でウォルフレッドを見上げると、端正な面輪が困ったようにしかめられた。


「お前を傷つけようとした者は、八つ裂きにしても足りんのだが……。本当に、お前はセレウスに罰を与えずともよいというのか?」


「もちろんですっ! そのようなこと、夢にも思っておりませんっ!」


 はっきりきっぱり力強く頷くと、ウォルフレッドが諦めたように深い嘆息を吐き出した。


「まったく……。同僚達の時といい、お前は本当にお人好しすぎるな。心優しいところもお前の魅力のひとつではあるが……」


 はぁぁっ、とふたたび嘆息したウォルフレッドが、セレウスを見下ろす。


「セレウス。トリンティアがこう申しておるゆえ、今回だけは不問に処してやる。だが……。次はないことは、わかっておろうな?」


「もちろんでございます。もし次、陛下の意に背き、トリンティア様を危険に晒すようなことがあれば、いかようにもご処断ください」


 セレウスが迷いのない声で即答する。


 どうやら、罰を与えられずに済むようでほっとする。が、安堵したのはトリンティアだけではなかったらしい。


「いや~っ、よかったなぁ、セレウス。首の皮一枚でつながったじゃねぇか。嬢ちゃんに返せないほどの恩ができたな」


 三人のやりとりを見守っていたゲルヴィスが、「は――っ!」と大きな身体から絞り出すように息を吐く。


「しっかし……」


 ぶくくくくっ、とゲルヴィスがこらえきれないように笑い声を立てる。


「陛下とセレウスの両方に謝らせるなんて、やっぱり嬢ちゃんは只者ただものじゃねぇな。いやぁ、まさかこんな光景が見られるとは、夢にも思ってなかったぜ」


 太い腕を組みしみじみと頷くゲルヴィスに、跪いたままセレウスも同意の頷きを返す。


「確かに、トリンティア様は只者ではございません。であるならば!」


 きっ! とセレウスが厳しいまなざしでゲルヴィスを睨み上げる。


「『嬢ちゃん』呼びは不敬極まりないでしょう! あなたもちゃんと『トリンティア様』とお呼びしなさい!」


「えっ!? えぇぇっ!? あ、あの……っ!」


 ゲルヴィスが反応するより早く、トリンティアの口から悲鳴が飛び出す。


「で、ですからっ、どうして私などに急に敬称をつけられるのですかっ!? 『花の乙女』とはいえ、私などに様づけなんて……っ!?」


 戸惑いに満ちた声を上げると、「何をおっしゃいます?」とセレウスに不思議そうに見返された。


「トリンティア様は単なる『花の乙女』ではございません。ゆくゆくは、この銀狼国の皇妃となられる御方なのですから」


「っ!? こ、こここここ……っ!?」


 予想だにしない言葉に、がんっ! と頭を殴られたような衝撃を味わう。もしウォルフレッドに抱き上げられていなかったら、床にくずおれていたに違いない。


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