エリティーゼとの再会 その2


「心配はいらぬ。伯爵が捕らえられたことで、サディウム伯爵家は一時的に当主不在になってしまうが……。エリティーゼ嬢はわたしが身元保証人となったうえで、皇帝の名のもとに想う相手と婚姻させる。トリンティアが話していたが、婚約を結んでいる者がいるのだろう?」


 最後はエリティーゼを向いて発された問いに、エリティーゼの紫の瞳が、信じられないと言わんばかりに見開かれる。


「は、はい……っ。ですが、本当に……っ!?」


「無論だ」

 震え、かすれた声をこぼしたエリティーゼに、ウォルフレッドが力強く応じる。


「おぬしは、わたしの大切なトリンティアが大事に想う姉だからな。おぬしが幸せになってくれれば、トリンティアも喜ぶ」


「へ、陛下……っ!? あ、ありがとうございます……っ!」


 いったい、何とお礼を言えばこの感謝の気持ちが伝わるのか。

 どうしようもなく目頭が熱くなって、勝手に涙があふれ出してしまう。


「ほ、本当にありがとうございます……っ! なんとお礼を申しあげたらよいか……っ!」


 感激のあまり、うまく言葉が出てこない。それでも少しでも感謝の気持ちを伝えたくて、深々と頭を下げようとすると。


 大きな手に腕を掴まれ、ぐいと引き寄せられる。


 かと思うと、濡れた頬にちゅ、とくちづけられた。


「っ!?」


「お前は、本当に涙もろいのだな。……また、泣かせてしまったか?」


 長い指先で頬を伝う涙をぬぐいながら、ウォルフレッドが困ったように眉を下げる。


「いえ……っ! こ、これは嬉しくて……っ! で、ですから……っ」


 ぶんぶんと必死でかぶりを振ると、「そうか」と甘く微笑んだウォルフレッドの手に、顎を掴まれた。止める間もなく、くいと顔を持ち上げられ、ふたたび頬にくちづけられる。


「やはり、わたしの愛しい『花』の涙は、蜜よりも甘いな」


 蜂蜜よりよほど甘い笑みをこぼしたウォルフレッドが、トリンティアを抱き寄せようとする。


「へ、陛下……っ!?」


 たくましい腕に抗って腕を突っ張ろうとしたトリンティアの耳に流れ込んできたのは、かすかなすすり泣きだ。


「お姉様っ!?」


 緩んだウォルフレッドの腕から飛び出し、床にくずおれたエリティーゼに駆け寄る。


 ぺたりと床に座り込んだエリティーゼが、ぬぐうことも忘れたかのようにはらはらと涙をこぼしていた。


「なんと感謝を申し上げたらよいのか……っ。本当にありがとうございます……っ! まさかあの方と……っ」


 水晶のような涙がエリティーゼの瞳からあふれでる。


「お姉様……っ!」


 先ほどとは逆に、今度はトリンティアがエリティーゼの手を取り、喜びに震える華奢な身体を抱き締める。


 こんな風に泣くエリティーゼを見るのは、義妹のトリンティアも初めてだ。


 ウォルフレッドがいることすら頭から抜け落ちているのだろう。あふれる感情のままに涙をぬぐうことも忘れて泣くエリティーゼは、喜びに内側から光輝くようで……。


 大切な姉の想いが叶ってよかったと、心の底から嬉しくなる。


 こんなにもトリンティアの心まで震えるのはきっと、つい数刻前に自分自身の想いが実ったからに違いない。


 諦めねばならないのだと絶望の淵を彷徨っていた恋心が成就した喜びがいかほどのものなのか……。


 今のトリンティアは、誰よりも知っている。


 床に膝をつき、互いに抱きしめあって喜びを分かち合っていると、ふいに大きな手のひらに頭を撫でられた。


「トリンティア。わたしは先に部屋へ戻っている。久々に会ったのだ。積もる話もあるだろう。他のことは気にしないでよいから、姉妹水入らずで話すといい」


「へ、陛下……っ」


「も、申し訳ございません。お見苦しいところをお見せいたしまして……っ」


 二人同時に涙をぬぐって謝罪しようとするトリンティアとエリティーゼに、「仲が良いことだ」とウォルフレッドが穏やかに微笑む。


「エリティーゼ嬢も気にすることはない。ふたりとも、わたしがおらぬほうが余計な気を遣わずに済んでよいだろう。トリンティアも、大切な姉とともに過ごせば、少しは心が癒されよう」


 ウォルフレッドの言葉の端々に、恐ろしい目に遭ったトリンティアへのいたわりが感じられ、火が灯ったかのように、胸の奥があたたかくなる。


「陛下、本当にありがとうございます……っ」


 床に膝をついたまま深々と頭を下げると、撫でていたウォルフレッドの手が止まった。


「よい。お前が喜んでくれるなら、それがわたしの喜びだ。だから――」


 するりとほどかれたままの髪をすべった指先が、トリンティアの髪をひと房持ち上げ。


「わたしのもとへ戻ってきた時には、また愛らしい笑顔を見せてくれ」


 甘く微笑んだウォルフレッドが、ちゅ、と髪の先にくちづける。


「っ!?」


 息を飲み、返事も忘れてぴしりと固まる。驚きのあまり、涙も引っ込んでしまった。


「エリティーゼ嬢。トリンティアを頼んだ」


 最後に頭をひと撫でしたウォルフレッドが、トリンティアの返事も待たずに踵を返す。


 トリンティアは夢見心地で凛々しい後ろ姿を見送った。


 ぱたりとウォルフレッドが出て行った扉が閉まり。


「トリンティア……。本当に、皇帝陛下に大切にしていただいているのね……」


 絹のハンカチで涙をぬぐったエリティーゼが、感動したような呟きを洩らす。トリンティアはこくこくと頷いた。


「は、はい……っ。陛下は本当にお優しい御方なのです……っ!」


 大切な『天哮の儀』を目前にしながらもトリンティアを助けてくれたことだけではない。


 出逢った時から……。


 『冷酷皇帝』という恐ろしいあだ名とは裏腹に、ウォルフレッドはトリンティアを気遣い、武骨な優しさを見せてくれていた。


 初めて逢った日に、夜着を譲ってくれたことも、エリティーゼに贈ってもらったリボンを取りに行きたいとお願いした時に連れて行ってくれたことも、くじいた足に薬を塗ってくれたことも、サディウム伯爵の行状に怒ってくれたことも……。


「陛下は、お優しくて、本当に素晴らしい御方なんです!」


 力いっぱいエリティーゼに告げると、美しい面輪に柔らかな笑みが浮かんだ。


「そうなのね。……『お優しい』だけでは説明がつかないような気もするけれど……」


 くすり、と微笑んだエリティーゼがトリンティアの手を取って立ち上がらせる。


「ねぇ、トリンティア。サディウム領を出てから、王城に奉公している間にあなたにどんなことが起こったのか、じっくり聞いてみたいわ。教えてくれるかしら?」


「はいっ、もちろん……っ」


 エリティーゼに導かれるまま、長椅子に並んで腰かける。


 ずっと昔、まだサディウム伯爵の養女として育てられていた頃のようにエリティーゼと並んで座り、トリンティアは大好きな姉に問われるままに、自分の身に起こったことを話し始めた……。


                                おわり

 

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