鶏がら侍女と冷酷皇帝達の夕餉 その2


「も、申し訳ございません!」


 あわあわとおなかを押さえたトリンティアに、ゲルヴィスが豪快に笑う。


「よし、食べる気は十分みたいだな。ほれ、遠慮せずに食べな。足りなかったら、もっと盛ってやるから」


「い、いえっ! これだけでもう、十分すぎるほどですので……っ!」


 あわててふるふるとかぶりを振る。


 王城へ奉公に来てから、劇的に食生活が改善されたが、それでもこんな大きなお肉を口にした記憶はない。


「誰も気にしねぇから、手掴みでがぶっといっていいんだぜ」


 自分も手掴みで鶏肉にかぶりついたゲルヴィスがトリンティアににかっと笑う。


 トリンティアが食べやすいようにだろう。ゲルヴィスが皿に盛ってくれたのは、脚の部分だ。


 ゲルヴィスが大ぶりのナイフで切り分けた鶏肉はそれぞれの皿に盛られており、ウォルフレッドとセレウスは上品にナイフとフォークで食べている。


 一時期、サディウム伯爵の養女として過ごした経験があるため、トリンティアもナイフとフォークを扱えないことはない。


 だが、トリンティアがナイフやフォークの扱いに慣れていないに違いないと気遣ってくれたゲルヴィスの優しさを無駄にしたくない。


「い、いただきます……」


 どきどきしながら、そっと鶏の香草焼きに手を伸ばす。

 まだあたたかさが残る骨を持ち、こんがり焼けた皮に思い切ってかぶりつく。


「っ!?」


 途端、ぱりっとした皮の食感と同時に、口の中に広がった鶏肉のうまみに、息を飲んで驚いた。


 おいしい。こんなにおいしいものは初めて食べた。


 弾力のある肉には香草の風味が利いていて、肉のうまみをさらに引き立てている。ぱりっと焼けた皮の下には、とろけるような脂肪が隠れていて、もぎゅもぎゅと咀嚼そしゃくしていくと、心に喜びがあふれていく。


 おいしさに我を忘れ、夢中で食べていると、「ぶはっ」と吹き出すゲルヴィスの声が聞こえた。


「嬢ちゃん、そんなに無心で食べてるとは、ずいぶん気に入ったみてぇだな」


「も、申し訳ございません! あまりにおいしくて、つい我を忘れてしまいまして……っ」


 笑いながら告げられた言葉に、身を縮めて謝罪する。が、鶏肉の骨はぎゅっと握りしめたままだ。


 これはどうしても手放す気になれない。手放したら最後、もう二度と食べられなくなるのではないかと、不安になる。


「それほど旨いのか?」


 意外そうに尋ねたウォルフレッドに、こくこくこくっ! と首が千切れんばかりに勢いよく頷く。


「はいっ! もちろんですっ! こんなにおいしくてたくさんのお肉をいただいたことなんて、初めてで……っ!」


 相手が『冷酷皇帝』だということも忘れて思わず熱弁を振るってしまい、はっと我に返る。


「も、申し訳ございません……っ。お見苦しいところを……っ」


 サディウム伯爵のように「口を開くな! 鬱陶うっとうしい!」と怒鳴られるだろうか。


 びくびくと震えながら詫びると、


「いや、謝る必要などない」

 とウォルフレッドがかぶりを振った。


「今朝、言っただろう? もっと肉をつけろと。好きなだけ食べるといい」


「……っ!? あ、ありがとうございます……っ」


 予想だにしていない言葉に息を飲み、あわてて礼を述べる。


 確かに、「鶏がら」と呼ばれた今朝、もっと肉をつけるようにと命じられた。だが、まさかそのために本当にこんなにおいしいお肉を食べさせてもらえるなんて。


 思わずまじまじとウォルフレッドを見つめていると、端正な面輪にいぶかしげな表情が浮かんだ。


「どうした? もう食べぬのか?」


「いえっ! いただきます!」


 こんなにおいしいものを食べないなんて、とんでもない。

 即答し、ふたたび鶏肉にかじりつく。


 やっぱり、天にも昇るほどおいしい。我知らず頬が緩んでいくのを感じる。


 と、ゲルヴィスがもう一度吹き出した。


「しっかし……。『鶏がら』と呼ばれてる嬢ちゃんが鶏肉を食ってるなんて、共食い……っ」


 自分の言葉に自分でうけたのか、ゲルヴィスがぶははっ、と大笑いする。


 呆れ交じりに冷ややかな声を上げたのはセレウスだ。


「何を馬鹿なことを言っているんですか? 人間と鶏で共食いになるわけがないでしょう?」


「いやだから、比喩ひゆっていうか……。ほんっと、冗談が通じねえ奴だなぁ、お前」


「冗談など、何の価値もないものでしょう? 理解できずとも支障はありません」


「いや、価値はあるだろ? なんつーか、多少は気がまぎれるってゆーか……。ですよね、陛下?」


 ゲルヴィスに話を振られたウォルフレッドが、端正な面輪をしかめる。


「知らん。お前達のくだらん話題にわたしを巻き込むな」


 冷ややかに告げたウォルフレッドがが、むぐむぐと鶏肉をほおばるトリンティアにちらりと視線を向ける。


「……まあ、確かに言いえて妙ではあるがな」


 呟いたウォルフレッドがふいと視線と逸らす。広い肩が一瞬、揺れたように見えたのは……。


 もしかして、吹き出したのだろうか。トリンティアの位置からはわからない。


「無駄話をしている暇があるのなら、口を動かせ。夕食の後も、書類仕事が立て込んでいるのだろう?」


「もちろんでございます。『天哮の儀』まで、あと半月ほどでございますから」


 ウォルフレッドの言葉に、セレウスが即座に応じる。


 昼間だって山のような書類をさばいていたのに、まだ残っているとは、とトリンティアはセレウスの言葉に驚く。


 しかも、こんなにおいしいものを急いで食べないといけないなんて、もったいないことこの上ない。


 そう思いながらも、口に出すことはできず、せめて鶏肉だけは思う存分味わおうと、トリンティアは無言でひたすら口を動かし続けた。



                                   おわり


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