おまけ2 どうすれば、お前に信じてもらえる?


 『冷酷皇帝』という呼び名にふさわしい苛烈な怒気を宿した声に、一瞬にして身体の熱が冷める。


 何か、ウォルフレッドを怒らせる粗相をしてしまったのだろうか。


 身を起こしたウォルフレッドが、そっとトリンティアの首筋に指をわせる。


「髪で隠れていて気づかなかったが、この赤黒い跡……。手形か、これは?」


 告げられた瞬間、レイフェルドに馬車の中で首を絞められた時の恐怖を思い出し、無意識に身体が震える。


 自分では見えないので気づかなかったが、どうやら首に跡が残っているらしい。


「こ、これは、その……っ」


「レイフェルドの仕業か?」


 碧い瞳が激情に燃える。地を這うような低い声は、聞くだけで身も凍えそうだ。

 恐ろしくて目を開けていられず、トリンティアは固く目をつむって、小さくこくりと頷いた。


 途端、ウォルフレッドが、鋭く舌打ちをする。


「レイフェルドめ……っ! ひと思いに殺してやるのではなかったな……っ」


 煮えたぎる怒りをかろうじて抑えつけているような声。


 と、不意に濃く麝香じゃこうの香りが薫った。

 かと思うと、強くウォルフレッドに抱きしめられる。


「今さら、嘆いても詮無いとわかっている……っ。それでも、サディウム伯爵の屋敷で、なぜいっときでもお前から目を離してしまったのか……っ! 己の愚かさを、悔やんでも悔やみきれん!」


 聞いているトリンティアのほうが身を斬られそうな深い悔恨の声。


 トリンティアはおずおずと手を伸ばすと、引き締まった広い背中をそっと撫でた。

 愛しい人の痛みが、少しでも和らぐようにと願いながら。


「どうか、ご自分を責めないでくださいませ……。陛下が御自ら助けに来てくださっただけで、お礼の言いようもないくらい、嬉しかったのですから……」


「当たり前だろう。わたしがそばにいてほしいと願うのは、お前しかおらぬのだから。他の者になど、任せるものか」


 トリンティアを抱きしめる腕に、さらに力がこもる。


 少し怒ったような声。けれど、沈んだ声よりはずっといい。自然と口元がほころぶ。


「今も……。幸せ過ぎて、信じられない心地なのです。陛下にそのように想っていただけるなんて……。やはりまだ、夢の中にいるのではないかと……」


 胸中にあふれ出す感情とともに呟くと、ウォルフレッドが吐息した。


「眠りにつく前にも、夢ではないとあれほど告げたというのに……。まだ、信じてもらえぬのか?」


 ねたような低い声。


「どうすれば、お前に信じてもらえる?」


 わずかに腕を緩めたウォルフレッドが、トリンティアを覗きこむ。


「証の品を贈ればよいか? 一晩中、愛していると囁けばよいか? それとも、足元にひざまずいて愛を誓えば、信じてくれるか?」


 今にも実行しそうな様子に慌てる。皇帝にそんなことをさせられるわけがない。


「お、お待ちくださいませ! 陛下のことを信じていないわけではないのですっ。ただ……」


 恥ずかしさに、語尾がもごもごと消えていく。


「ただ?」

 碧い瞳に不安そうに見つめられ、トリンティアは観念した。


「ただ、その……。こんなに幸せだったことなど、初めてで……。この幸せが泡沫うたかたのように消えてしまったらどうしようと、心配でたまらないのです……」


 もしそうなったらと想像するだけで、涙がこぼれそうになる。


「消えたりなど、するものか」


 心の芯まで響くような強い声音で言い切ったウォルフレッドが、抱き寄せた腕に力を込める。


「わたしが愛しているのは、トリンティア、お前だけだ。これから何があろうとも、わたしがそばにいてほしいと願うのは、お前しかおらぬ」


 碧い瞳が、真っ直ぐにトリンティアを射抜く。

 と、不意にウォルフレッドが、悪戯っぽく微笑んだ。


「やはりこれは、お前の不安が融けるまで、愛を囁かなくてはならんな」

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