本編後のおまけ
おまけ1 甘やかな香りに包まれて目覚めれば
目覚めた瞬間、トリンティアは自分が
まぶたを開け、見上げた視界に飛び込んで来たのは、トリンティアを見下ろすウォルフレッドの柔らかな笑みだ。
「本当に、ずっといてくださったんですか?」
驚いて問う。
眠りにつく前、ウォルフレッドは目覚めるまでそばについていてくれると言っていたが、まさか本当に実行してくれるとは思っていなかった。
「当たり前だろう? お前と約束したのだから。まあ……。少しだけ席を外したのだが……」
心外だと言いたげに、ウォルフレッドが端正な面輪をしかめる。
「ご公務はよろしかったのですか?」
いつも公務に追われているウォルフレッドが、日中からこんなにのんびりしていていいはずがない。
しかも、それがトリンティアに付き添うためだなんて。
心配になって問うと、「大丈夫だ」と優しく微笑まれた。
「『天哮の儀』が無事に終わったゆえ、今日はわたし自身が必ずせねばならぬ公務はない。それに」
ウォルフレッドの腕が背中に回ったかと思うと、ぎゅっと抱き寄せられる。
「銀狼に変じた苦痛を癒すという名目なら、これも立派な『公務』だろう?」
耳元でくすくす笑うウォルフレッドの声が聞こえるが、トリンティアは答えるどころではない。
心臓がばくばく跳ねて飛び出しそうだ。
「それより、お前はもう起きて大丈夫なのか? もう少し休んでもよいのだぞ?」
「は、はい。もう大丈夫です。十分に休ませていただきましたから……」
夕べはほとんど寝ていないが、ウォルフレッドに抱きしめられて、安心して眠りについたからだろうか。ぐっすりと寝たおかげで、十分に回復している。ウォルフレッドが途中、離れていたのにも気づかなかったくらいだ。
「そうか。では、起きてくれるか?」
「は、はい」
ウォルフレッドに抱き起され、寝台に座る。ウォルフレッドが寝台のそばの小さなテーブルに置いてあった箱を手にした。見覚えがある。以前、トリンティアが足をひねってしまった時に使った薬箱だ。
「すぐに気づいてやれず、すまなかったな。こんなに赤くなって……」
詫びながら、ウォルフレッドがトリンティアの手を取る。トリンティアの手首には、縛られていた縄の跡が、くっきりと赤くついていた。
「あの、大丈夫ですっ、このくらい! 血が出ているわけではありませんし、その、なんとか逃げられないかと自分で
慌てて引っ込めようとしたが、しっかりと掴んだウォルフレッドの手が許してくれない。
「駄目だ。もしお前の肌に傷が残ったらと……。そう考えるだけで、心配で居ても立っても居られん。わたしのために大人しく手当てされろ」
ウォルフレッドにそう言われたら、トリンティアには断れない。
「ありがとうございます……」
トリンティアが礼を言う間にも、ウォルフレッドはてきぱきと両手首の傷に薬を塗り、丁寧に包帯を巻いていく。
「最近は、薬箱を使うこともなくなっていたからな……。うっかり傷薬を切らしていた。ちゃんと補充を忘れぬようにせねばならんな」
「え? もしかして、途中、離れられたとおっしゃっていたのは……」
てっきり、どうしても外せぬ公務があって、トリンティアを置いていったのだと思っていたが、違ったらしい。
驚いて声を上げると、ウォルフレッドが端正な面輪をぎゅっとしかめた。
「何度も約束を破っているゆえ、お前に信を置いてもらえぬのは承知しているが……」
「い、いえっ! そんなつもりはないのです! 申し訳ございません!」
泡を食って詫びると、ウォルフレッドにきゅっと指先を握られた。
「いや、お前が謝る必要はない。詫びねばならぬのは、わたしのほうだ。守ると言っておきながら、約束を果たせず……。恐ろしい思いをさせてしまったな」
うなだれ、苦い声で呟いたウォルフレッドが、包帯を巻いた手首を指先でそっと撫でる。
レイフェルドに捕らえられていた時、いっそのことこのまま気を失いたいと思うほど、恐ろしい思いをしたのは確かだ。
この手首の傷も、一人になった時、なんとか逃げられないか、少しでも縄が緩まないかと、擦りすぎてできたものだ。
結局、固く結ばれた縄はびくともせず、余計な傷を作っただけだったのだが。
どうすれば自責の念に
うまく言葉が出てこない自分を情けなく思いながら、トリンティアは必死に言葉を探す。
「そ、その……。前にも、こうやって手当てをしてくださいましたね……」
あれは、同僚達に突き飛ばされて、足をひねってしまった時だ。
まさか、ウォルフレッドが手ずからトリンティアの手当てをしてくれるなんて……。そんなこと、考えもしなかった。
「私、あの時、すごく嬉しかったんです……。エリティーゼお姉様以外の方に、優しくしていただいたのなんて、初めてで。それに……。ずっと「役立たず」だと
あの時の喜びを、どう言い表したらよいのだろう。
今も、思い出すだけで、光が灯るように胸の奥があたたかくなる幸せを。
うまく言葉にできない感情の代わりに、涙があふれそうになる。
トリンティアの顔を見やったウォルフレッドが苦笑した。
「あの時も、お前は泣いていたな」
呟いたウォルフレッドが、不意にトリンティアの肩に手をかけ、ぐっと押す。
「ひゃっ!?」
体勢を崩して
反射的につむった目を開けた時には、眼前にウォルフレッドの端正な面輪が迫っていた。
「お前を泣かせるのなら、今後は嬉し涙の時だけにしなくてはな」
笑んだ声で言いながら、ちゅ、ちゅ、とウォルフレッドがまなじりにくちづけを落とし、あふれそうになった涙をすいあげる。
ウォルフレッドが浮上してくれたのは嬉しいが、このままでは、今度はトリンティアの心臓が弾けてしまいそうだ。
「あ、あのっ、陛下……っ」
押し返そうとした手を、ウォルフレッドの指先に絡めとられる。傷に障らぬよう、動き自体は優しいが、寝台に縫いとめられた手は、ぴくりとも動かせない。
「あ、あのっ、今は泣いておりませんから……っ」
「ああ、知っている。だが……」
熱のこもった手で呟いたウォルフレッドの面輪が、わずかに離れる。かと思うと、次の瞬間には、唇をふさがれていた。
戸惑いの声を上げるより早く、熱い舌が唇を割って入ってくる。
トリンティアの舌を捉えたウォルフレッドが、形を確かめようとするかのように優しくなぞる。
次第に激しくなる動きに翻弄され、トリンティアはただ、くぐもった声を洩らすことしかできない。ウォルフレッドから与えられる熱に、思考まで融けてしまいそうだ。
どれほど長くくちづけていただろう。
は、と荒い息を吐いたウォルフレッドが、唇を離す。
こぼれた吐息が肌を撫でるだけで、
「トリンティア……」
聞くだけで胸がきゅうっと切なくなるような声で名を呼んだウォルフレッドの唇が、
「――なんだ、これは?」
怒りを
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