65 『花の乙女』風情が、何を言う!?


 エリティーゼの可憐な面輪に浮かんでいるのは、伯爵に意に染まぬことを命じられた時の表情だ。


 奴隷のような扱いを受けてきたトリンティアと違い、早くに生母を失くしたこともあって、エリティーゼは蝶よ花よと伯爵に可愛がられて育てられた。

 が、それはあくまでも、『銀狼国の薔薇』と呼ばれる美貌のエリティーゼが、サディウム伯爵にとって、政治的に価値のあるこまだからだ。


 強権を振るう父親に意思を無視され、抑圧されてきたという点では、程度の差こそあれ、エリティーゼもトリンティアとさほど変わらない。


 だからこそ、エリティーゼとトリンティアは、同じ苦しみを知る者として、伯爵の目の届かぬところで、互いに慰め合って生きてきた。


 叶うならば、今すぐエリティーゼを引き止めて、何があったのかと問いただしたい。


 トリンティアのような者まで気遣ってくれたウォルフレッドが、エリティーゼに無体なことをするとは思いたくない。


 だが、美しいエリティーゼを前にして、さらには父親である伯爵が勧めているのに、わざわざ断る理由がどこにあるだろう。


 何より、エリティーゼに想う人さえいなければ、これ以上ない良縁だというのに。


 トリンティアが躊躇ためらっているうちに、ウォルフレッドはエリティーゼに案内されて廊下を進んでいってしまう。


 伯爵が残ったセレウスとトリンティアを招き入れたのは、玄関にほど近い小部屋だった。ちょっとした応接に使っているのか、テーブルと椅子が置かれている。


 椅子を勧める伯爵に、「いえ、手短に済ませますので」と、セレウスがあっさり断る。


「さて、サディウム伯爵。『天哮の儀』を明日の夜明けに控えている今日、陛下がわざわざ足を運んだ意味を、伯爵はご存じかと思いますが」


 淡々と話すセレウスの声とは対照的な熱量で、「もちろんですとも!」と伯爵が大きく頷く。


「エリティーゼを皇妃として王城にお召しいただけるという話でございましょう? 数ある令嬢の中から、我が娘をお選びいただけるとは、幸甚の至りでございます。親のわたくしが申し上げるのもはばかられますが、エリティーゼはどこに出しても恥ずかしくない礼儀作法と貞淑さを兼ね備えた娘でございます。さらには、『銀狼国の薔薇』と謳われるあの美貌。ご立派な陛下と並び立っても見劣りしない娘は少のうございましょう。わたくしは、エリティーゼこそが最も皇妃にふさわしいと確信しております!」


 伯爵の言う通り、銀の髪のウォルフレッドと、艶やかな金の髪のエリティーゼが並ぶさまは、二人の固い表情さえ抜きにすれば、一幅の絵画のようだった。


 あれほどお似合いの二人はいないだろう。だが。


「エリティーゼお姉様にはご婚礼のお話があったはずです! それはどうなったのですか!?」


 恐怖を上回る感情に背中を押されて、トリンティアは思わず口を開く。


 王城に上がる前なら、伯爵に意見するなど、恐ろしくて決してできなかった。だが、目の前で大切な姉が想いを踏みにじられるのを見過ごすことなんてできない。


 尋ねた途端、伯爵が声を荒げた。


「何を馬鹿なことを! レイフェルド殿下との婚約は、不幸にも殿下が行方不明になられたことにより立ち消えとなったが、それ以外にエリティーゼに結婚話など持ち上がったことはない! 『花の乙女』風情が! 陛下のご寵愛を失うのを恐れて、エリティーゼを愚弄ぐろうする気か!? ただではおかんぞ!」


「ひ……っ!」


 真正面から苛烈な怒気を叩きつけられ、思わず悲鳴を上げて震える。と、伯爵がいぶかしげに眉をひそめた。


「お姉様……?」


「おやおや。まだ気づいておられませんでしたか」


 口を挟んだセレウスが、やにわにトリンティアの厚いヴェールをめくりあげる。伯爵が目をいた。


「トリンティア……!?」

 呆然と呟いた伯爵が、すぐに激しく首を横に振る。


「馬鹿な! ありえんっ! トリンティアが『花の乙女』だと!? そんなこと、ありえるはずがないっ!」


「昔、『花の乙女』に確かめてもらい、資質はないと言われたからですか?」


 セレウスが静かな声で問う。

 伯爵の目が、さらに大きく見開かれた。


「な、なぜそれを知っている!?」


 セレウスの怜悧な面輪に、冷ややかな笑みが閃く。


「色々と知っておりますよ? 『花の乙女』が生んだトリンティアを養女にして、政治の駒にしようとしたこと。だというのに、ソシア殿に資質はないと言われ、トリンティアを虐待していたこと。ああ」


 セレウスが整った面輪にあからさまな嘲笑を浮かべる。


「こんなうわさも聞いておりますよ? 陛下に最初の『花の乙女』を献上したのは、反皇帝派から裏切り者が出たのだと、犯人探しが始まっているそうではないですか。王城では別にトリンティアの素性を隠したりはしていませんからね。『花の乙女』がどこの領から差し出されたのか、調べるのは不可能ではありません」


 セレウスが薄い唇をく、と吊り上げる。

 いたぶるように。楽しくて仕方がないと言いたげに。


「反皇帝派の貴族達からなじられ、突き上げられ、ずいぶん、お困りのようですね。今日、慌ててエリティーゼ嬢を陛下に引き合わせたのも、エリティーゼ嬢を代償に陛下の庇護を得て、反皇帝派から守ってもらうつもりだったのでしょう? レイフェルド派の急先鋒だったあなたが陛下にすり寄るとは、変わり身の早いことだ。忠節などあったものではありませんね。――この下衆げすが」


 ゆっくりと、刻みつけるようにセレウスが最後の言葉を告げる。


 一瞬、呆けた顔をした伯爵が、言われたことを理解した途端、憤怒の顔を赤くする。


「黙って聞いておれば、若造がいい気になりおって! 貴様こそ、その顔で陛下に取り入ったのだろう!? でなければ、その若さで大臣などになれるわけがない! 貴族達に陰で笑われているのを知らんとは暢気のんきなものよ!」


「おやおや。そんな噂が」


 手酷い侮辱を受けたというのに、セレウスの涼しい表情は変わらない。


「本来なら、しかるべき所に訴えるべき暴言ですが、今回だけは不問にしてさしあげましょう。素晴らしい喜劇を見せていただいた礼として。いやはや、長年しいたげてきた娘に窮地に追い込まれるとは。これほど見事な復讐劇は、そう見られますまい!」


 セレウスが哄笑する。


「ち、ちが……っ」


 がくがくと震えながら、トリンティアは後ずさろうとする。


 復讐なんて、そんな恐ろしいこと、考えたこともない。

 ウォルフレッドに出逢って、仕えるのに必死で……。


「ち、違うんですっ! 私……っ」


 ふるふるとかぶりを振りながら、必死に弁明するより早く。


「くそっ! どこまでもわたしの足を引っ張る厄介者めがっ!」


 伯爵が右手を振りかぶり、大きく一歩踏み出す。


 よける間もなかった。

 頬に灼熱の痛みが走り、衝撃に尻もちをつく。


「お、お許しください! お許しくださいっ!」


 恐怖のあまり、痛みも忘れていつくばり、額を床にこすりつける。

 かつて何度もとった体勢を、サディウム領を離れても身体が覚えていた。


 と、がんっ! と肩を蹴りつけられる。


「ひっ!」


 たまらずトリンティアは横倒しに床に倒れる。


 恐怖に見開いた視界に映ったのは、憎悪に満ちた顔で拳を振り上げるサディウム伯爵の姿だった。


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