64 美しい花のほうが、愛でる楽しみがございましょう


 ずっとサディウム領で暮らしてきたトリンティアにとって、王都のサディウム家の別邸は、初めて訪れる場所だった。


 華美を好む伯爵らしい豪奢ごうしゃで立派な建物は、ベラレス家には及ばぬものの、十分に華やかだ。


 だが、トリンティアには、きらびやかな刑場にしか見えない。


「ようこそおいでくださいました。陛下のご厚情に、心より感謝いたします」


 馬車から降りたウォルフレッドを出迎えたのは、恭しく頭を下げるサディウム伯爵と、思わず見惚れてしまうほど美しく着飾ったエリティーゼ、そしてずらりと居並ぶ使用人達だった。


 日々の飽食でたるんだ身体にぜいを凝らした衣服を纏うサディウム伯爵の姿を見るだけで、膝が笑ってくずおれそうになる。


 だが、伯爵はトリンティアなど目にも入っていない様子だ。


 当たり前だ。トリンティアの顔は、厚いヴェールに阻まれて、ろくに見えない。そもそも、トリンティアが『花の乙女』となっていることを、伯爵が知っているのかどうかも、よくわからない。


「さあ、どうぞ中へお入りくださいませ。お茶の支度を整えてございます」


 み手せんばかりにへりくだって、伯爵がウォルフレッドを促す。


 こんな上機嫌な伯爵を見たのは、エリティーゼが第四皇子・レイフェルドの婚約者に決まった時以来のような気がする。


 いったい、伯爵はどんな意図でウォルフレッドを招いたのだろう。


 何より、おもてを上げたエリティーゼの表情が強張っているのが、トリンティアには一番気にかかる。


 知らない者が見れば、『銀狼国の薔薇』とたたえられるにふさわしいしとやかな笑みを浮かべているようにしか見えぬだろう。


 だが、義妹として長年エリティーゼの近くにいたトリンティアにはわかる。エリティーゼは明らかに心の中に憂いを隠している。


 大切なエリティーゼの憂い顔を目にしただけで、心がきしむ。エリティーゼを心配する気持ちが、伯爵への恐怖をわずかなりとも薄めた。


 エリティーゼは『冷酷皇帝』と呼ばれるウォルフレッドに怯えているのだろうか。今日のウォルフレッドは、『冷酷皇帝』の名にふさわしく、険しい表情をしていて、喉がひりつくような無言の圧を発している。


 その原因が自分だと思うと、エリティーゼには心から申し訳なくなる。


 伯爵に促されるまま屋敷へ入ったところで、セレウスが口を開いた。


「サディウム伯爵。陛下はお忙しいため、長い時間は取れません。お茶を楽しむ前に、わたくしと伯爵とで、先に事務的な話を済ませておきたいのですが」


 セレウスが怜悧れいりな面輪に、思わせぶりな笑みを浮かべる。


「陛下も『銀狼国の薔薇』とうたわれるエリティーゼ嬢とお二人で過ごされれば、少しはお心もやわらぎましょう」


「確かに、おっしゃる通りでございますな」

 伯爵がたるんだ腹を揺らして何度も頷く。


「ひと口に花と言えど、雑草も花の内ですからな。それに対し、我が娘は薔薇でございますゆえ。陛下も美しい花のほうが、でる楽しみがよりございましょう」


 さげすみの視線を向けられ、トリンティアはびくりと震えて顔を伏せる。が、伯爵は同行しているのがトリンティアだと、まだ気づいていないらしい。


「さあエリティーゼ。陛下をご案内なさい。務めるのだぞ?」


「……かしこまりました」


 伯爵の猫撫ねこなで声に、エリティーゼがドレスの裾をつまんで恭しく応じる。


 だが、可憐な面輪は血の気が引き、悲愴ひそうさがにじみ出ていた。紅をぬった唇がかすかにわなないている。


 しかし、伯爵は娘の様子を気にも留めていないらしい。ウォルフレッドを振り向くと、慇懃いんぎんな笑みを浮かべる。


「どうぞ陛下。屋敷の者にも言い含めておりますゆえ、存分にお楽しみくださいませ」


 たるんだ顔に浮かんだ卑俗な笑みに、トリンティアの中でむくむくと嫌な予感が湧きあがる。


 伯爵は、美しく着飾らせたエリティーゼに、何をさせる気なのだろうか。


 トリンティアが王城に奉公にあがる時、エリティーゼには想う人との結婚話が内々に打診されていたはず。だというのに……。


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