42 鶏がらに余計なことを吹き込んだか?
「ゲルヴィス。お前、鶏がらに何か余計なことを吹き込んだか?」
「へ? 何すか、急に?」
ウォルフレッドの突然の問いに、執務室の自分の机で、文句を垂れながら書類をめくっていたゲルヴィスが、太い眉を
「嬢ちゃんと何かあったんすか?」
「いや。むしろ心当たりがないから困っているのだが……」
目を通した書類にサインをしながら、ウォルフレッド吐息する。
メドニア伯爵が突然、二人目の『花の乙女』を連れてきてから数日。
どうにもトリンティアの様子がおかしい――気がする。
どこがどうとは、はっきり言えない。
恥ずかしそうにしながらも、横抱きにすれば大人しく腕の中におさまって運ばれるし、謁見に同席する時は、痩せた身体をぴんと伸ばし、一言も発することなく、ただただ貴族達の好奇や憎悪の視線に耐えている。
夜だって、抱き寄せれば、
まるで、狼の前に引き出された子うさぎのように、恐怖に震えていた頃とは、格段の変化だというのに。
なぜか、
当のトリンティアは今、イルダに礼儀作法の指導を受けに行っている。筋がよい、とイルダが珍しく褒めていた通り、ほんの数日でトリンティアの所作は、以前とは比べ物にならぬほど優雅になってきた。
「そういえば、もうすぐ嬢ちゃんとのお茶の時間っすね」
ゲルヴィスの言葉に「ああ」と頷く。
イルダに頼まれているお茶の時間は、ウォルフレッドにとって、公務の途中で、唯一、一息つけられる時間でもある。
トリンティアにふれずに夜まで過ごすのは、意志の力を振り絞れば苦痛に耐えられるものの、仕事の効率が格段に下がってしまう。それに。
ウォルフレッドはトリンティアの幸せそうな笑顔を思い描く。
菓子を食べている時のトリンティアは、見ているこちらの心まで融かすような、幸せ極まりない笑顔を浮かべる。菓子ひとつでこれほど喜べるのかと、微笑ましくなるほどだ。
幼い頃から菓子など飽きるほど食べてきたウォルフレッドには、トリンティアがそこまで喜ぶ理由がよくわからない。
が、トリンティアの笑顔は、見ているだけで心楽しい。トリンティアは滅多に笑顔を見せることがないのでなおさらだ。と。
不意に、ウォルフレッドはトリンティアに感じていた違和感の正体に気づく。
出逢った当初のトリンティアは、恐怖でも混乱でも
だが……。最近のトリンティアは、心のうちをウォルフレッドに見せまいと、押し隠しているような気がする。
感情を隠す
何に喜び、何に怒るかを政敵に知られるのは、弱点を
ウォルフレッドも幼い頃から、感情を隠し、その場に適した自分を演じるようにと教育されてきた。であれば、『冷酷皇帝』を演じることにも、何の苦もない。
トリンティアが『花の乙女』として、貴族どもに見くびられぬ術を得るのは、喜ばしいことだと思う。なのに。
心の片隅が、不満の声を上げている。
その声が、明確な形を成す前に。
「……あ」
不意に、ゲルヴィスがいかつい顔をにまぁ、と緩める。
「もしかして、この間の夜食の日に、夜食だけじゃなく、嬢ちゃんまで食ったんじゃないんすか? 嬢ちゃんの様子がおかしいのはそのせいじゃあ……?」
「馬鹿を言っていると、舌を引っこ抜くぞ。鶏がらなどに手を出すわけがなかろう」
「そういや陛下って、嬢ちゃんのことをずっと「鶏がら」って呼んでますよね? いくら見た目がそうだとしても、年頃の娘には、ちょっと可哀想じゃないっすか? 最近ちょっと……。ほんとちょっとだけですけど、肉がついてきてるみたいっすし」
「あれのどこが肉がついていると?」
はっ、とウォルフレッドは呆れて鼻を鳴らす。
ゲルヴィスに言われずとも、毎夜、夜着のトリンティアを抱きしめて寝ているのだ。ウォルフレッドが、気づかぬわけがない。
確かに、少しずつ肉はついてきているが、あれではまだまだ鶏がらだ。
ウォルフレッドが少し力をこめればたやすく折れてしまいそうで、加減を謝れば壊してしまうのではないかと、はらはらする。というか。
「……「鶏がら」はまずかったのか?」
「へ?」
ウォルフレッドの呟きに、ゲルヴィスが太い首を傾げる。
「以前、お前が言っていただろう? 相手に親しみを感じさせるなら、あだ名で呼んでみるのも一つの手だと」
瞬間。ゲルヴィスの大笑いが広い執務室に響き渡る。
「えっ!? 鶏がらって、嬢ちゃんに親しみを持たせる気で呼んでたんすか!? 本気で!? 大真面目に!? あっ、やべ。駄目だ! 腹が壊れるくらいいてぇ……っ!」
「黙れ」
大きな身体を折り畳むようにして大笑いするゲルヴィスに、ウォルフレッドは思わず手にしていたペンを投げつける。
「ちょっ!? やめてくださいよ! 人手が足りないからって、俺までしたくもない書類仕事をしてるってのに……! インクで汚れたらどうするんすか!?」
危なげなくペンを片手で受け止めたゲルヴィスが唇をとがらせるが、無視する。
「おかしいと思っていたのなら、もっと早くに教えろ」
「えー、それって完璧に八つ当た――」
「黙れ。セレウス、お前もだ。何のためにお前達二人には忠言を許している?」
「それは申し訳ございませんでした」
書類から視線を上げたセレウスが、そつなく謝罪する。
「わたくしはてっきり、トリンティアが『花の乙女』であることを鼻にかけて増長せぬよう、陛下が釘を刺してらっしゃるのかと……」
「あれはそのようなことに頭を回せる娘ではなかろう?」
謝られているはずなのに、もやもやした気持ちが湧きあがる。ひとつ咳払いして、ウォルフレッドは話題を変えた。
「そういえば、もう一人の『花の乙女』は、どのように過ごしておる? わたしの寵を得て、栄華を極める気を隠そうともしない方は?」
「今のところは、わたくしの屋敷で大人しく過ごしておりますよ。待遇が不満極まるようで、世話係の話によりますと、陛下はいつわたくしをお呼びくださるのかと、毎日、飽きもせず聞いているようですが」
淡々と報告したセレウスが、つい、とウォルフレッドに視線を向ける。
「所持品はすべて調べましたが、毒薬などは所持しておりませんでした。生娘でもないようですし、摘まれるのでしたら、密かに連れてまいりますが。早急に万全の体調を取り戻されるためには、必要では? むろん、メドニア伯爵にもイレーヌにも、増長などさせません」
セレウスがきっぱりと請け負う。セレウスの手腕ならば、他の者に知られることなくイレーヌを連れてくることも、イレーヌがウォルフレッドの寵を得たと吹聴し、思い上がらぬよう口止めすることも可能だろう。だが。
「不要だ」
ウォルフレッドはかぶりを振って進言を退ける。
「なぜでございますか?」
セレウスの眉が
「人の口に戸は立てられぬからな。お前に任せれば、首尾よく手配するだろう。が、秘密というものは、思いがけない時に洩れるものだ。今はベラレス公爵との茶会が控えておる、メドニア伯爵が、この時期に『花の乙女』を連れてきたのは、他人に先んじて献上することで、優位に立とうと意図したからであろう。ベラレス公爵も『花の乙女』でわたしを懐柔しようとしている可能性がある以上、イレーヌに手を出せば、「皇帝の寵」の価値が下がる」
ウォルフレッドは唇を吊り上げ、笑って見せる。『冷酷皇帝』らしく、
「売れるものがあるのなら、最も高値で買う者にこそ、売らねばな?」
「承知いたしました。陛下がそのような意図をお持ちなのでしたら、従いましょう」
セレウスが恭しく一礼する。上げた面輪には、ウォルフレッドに負けぬ凄みのある笑みが浮かんでいた。
「果たして何が飛び出すか……。三日後のお茶会が、まことに楽しみでございますね」
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