39 陛下の御為に、苦労して探し出したのでございます!


「お、お待ちくださいませ、陛下!」


 うわずった声が、王城の廊下を歩むウォルフレッドを呼び止める。


 ウォルフレッドが振り返れば、横抱きにされたトリンティアも一緒に振り返らざるをえない。


 すっかり足が治っても、「こちらの方が都合がよい」というウォルフレッドの言により、移動する時は常に横抱きにされているトリンティアだが、数日経った今も、未だに慣れない。


 特に、人とすれ違う時は、内心ではいったい何と思われているだろうと考えると、これが『花の乙女』の務めだとわかっていても、恥ずかしさに消え入りたい気持ちになる。


 ウォルフレッドを呼び止めたのは、四十がらみの丸々と太った貴族だった。片膝をついた姿勢がいかにも窮屈きゅうくつそうだ。


「何用ですか? メドニア伯爵」


 無言のままのウォルフレッドに代わって、後ろに控えていたセレウスが冷ややかな声で問う。


「本日の謁見は、すでに終了しています。陛下に申し上げたいことがあるのなら、まず、謁見の申し込みをしていただきましょう」


「そんな悠長なことなどしていられぬ! これは、陛下のお身体に関わる重大事なのだぞ!?」


 不快感を隠そうともせずセレウスに食ってかかったメドニア伯爵が、打って変わってびた視線をウォルフレッドに向ける。


「陛下! お喜びくださいませ! 陛下の御為に、わたくしメドニア伯爵が、『花の乙女』を見つけてまいりましたぞ!」


 メドニア伯爵が、とっておきの家宝を披露するように、芝居がかった仕草で立ち上がり、後ろに控える人物を手のひらで示す。


 そこにいたのは、濃い緑色の豪奢ごうしゃなドレスをまとい、ひざまずいてこうべを垂れる金の髪の娘だった。


「さあ、イレーヌ。陛下にご挨拶を」


 いそいそとメドニア伯爵が娘に促す。


「お初にお目にかかります、皇帝陛下。『花の乙女』であるイレーヌと申します。陛下に拝謁たてまつり、喜びに身が震えております」


 イレーヌと呼ばれた娘が鈴を振るような声で口上を述べ、ゆっくりと顔を上げる。あらわになった面輪は、同性のトリンティアでさえ、見惚みほれるほど美しかった。


 濃い緑の瞳。花のかんばせと評するにふさわしい愛らしい顔立ち、紅をひいた唇はふっくらと柔らかそうで、右の口元にある小さな黒子ほくろが、何とも蠱惑的こわくてきだ。


 まさに、『花の乙女』と名乗るにふさわしい、可憐な乙女。


「この者が『花の乙女』だと。そう申すのか?」


 初めてウォルフレッドが言葉を発する。


「左様でございます!」

 メドニア伯爵が、たるんだあごが胸に埋まりそうな勢いで頷いた。


「陛下の御為に、このわたくしが苦労して探し出した『花の乙女』でございます! ぜひともお確かめください!」


 トリンティアがゲルヴィスから教えてもらった話によると、『花の乙女』かどうかを判別することができるのは、銀狼の血を受け継ぐ皇族と、同じ『花の乙女』だけらしい。

 だが、トリンティアには彼女が『花の乙女』なのかどうか、わからない。


 ウォルフレッドが感情の読めぬ面輪を、メドニア伯爵に向ける。


「メドニア伯爵。もし、わたしをたばかったとしたら……。どうなるか、わかっておろうな?」


 ひやり、と刃のように冷ややかな声に、「ひぃっ」とメドニア伯爵がこらえきれずに悲鳴をこぼす。


「も、もちろんでございます! 偽物を連れてくるなど……! そのような不敬、決していたしません!」


 ぶるぶると震えながら、メドニア伯爵が何度も頷く。


「ならば、真実かどうか、わたしがこの手で確かめよう」


 ウォルフレッドがトリンティアを床に下ろす。

 呆然とイレーヌを見つめていたトリンティアは、爪先つまさきにふれた固い床の感触に我に返った。


 慌ててウォルフレッドの斜め後ろに回り、両膝をつく。

 本来なら、こうべも垂れるべきだったが、どうしてもできなかった。


 初めて、トリンティア以外でウォルフレッドの前に現れた『花の乙女』。


 その真偽を確かめるのを、この目で見ずにはいられない。


 心臓が、信じられないくらいばくばくと鳴っている。緊張と不安のあまり、白いドレスの胸元を両手でぎゅっと掴んでいなくては、口から心臓が飛び出しそうだ。


「立つがいい」


 ウォルフレッドが右手をイレーヌに差し出し、淡々と命じる。


「はい」

 花がほころぶような笑みで頷いたイレーヌが、優雅な仕草で立ち上がった。しゅす、と絹のドレスがかすかな音を立てる。


「なんとたくましいお手でございましょう」


 感極まったように告げたイレーヌが、たおやかな繊手せんしゅをウォルフレッドの手のひらに重ねる。その瞬間。


「っ!」


 息を飲んだウォルフレッドの背がかすかに揺れたのを、トリンティアは確かに見た。


「……なるほど。確かに『花の乙女』であるらしい」


 ウォルフレッドの低い呟きを聞いた途端、足元の地面が抜け落ちたような感覚を味わう。ひざまずいていなければ、床にくずおれていただろう。


 身体中から、あらゆる感覚が抜け落ちたかのような虚脱感。


 くらくらと揺れる視界の中、メドニア伯爵が我が意を得たりとばかりに頷くのが見えた。

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