35 命を狙われるやもしれぬ茶会など、誰が行きたいと思うだろう


「どういうことだ?」


 促されたセレウスが、一瞬、トリンティアを見やった後、ウォルフレッドに視線を戻す。


「『花の乙女』を手に入れた今、『天哮の儀』さえつつがなくり行えば、陛下の皇位は揺るぎないものとなりましょう。ならば、他の貴族達に先んじて、より陛下にふさわしく見目麗しい新たな『花の乙女』を献上して、陛下に重用されようと……。そう考えを変えた可能性もありえるかと」


 新たな『花の乙女』。そう告げられた瞬間、なぜか心臓がとどろく。


 確かに、トリンティアは貧相すぎて、見た者のほとんどが、皇帝に仕える『花の乙女』としてふさわしくないと嘲笑するだろう。華美や優雅さを重んじる貴族達はなおさらだ。


 もっと皇帝にはべるにふさわしい『花の乙女』を、という声が上がるのは、想像にかたくない。


 そもそも、前皇帝は十数人もの『花の乙女』を侍らせていた。

 女色にふけっていた前皇帝の『花の乙女』の数は、特に多かったが、歴代の皇帝達も、常に四、五人は『花の乙女』をそばにおいていたという。


 今まで、『花の乙女』がいなかったウォルフレッドが、特異すぎるのだ。


 ウォルフレッドを排することが叶わぬのなら、見目麗しい『花の乙女』を献上し、前皇帝のようにウォルフレッドを骨抜きにしようとベラレス公爵が考えたとしても、不思議ではない。


 もしベラレス公爵が方針を転換したと広まれば、他の貴族達もこぞって、さらって屋敷の奥深くに隠している『花の乙女』達を献上し、ウォルフレッドの歓心を買おうとするだろう。


 ――ウォルフレッドが喉から手が出るほど求めていた皇位争いの時は、決してウォルフレッドに渡らぬよう、どの貴族達も隠し通していたというのに。


 貴族達のやりくちには、反吐へどが出る。

 だが、『花の乙女』が複数人確保できるのなら、喜ばしい事態だ。


 ……だというのに、なぜか喜び一つ湧いてくる気配がないのだろう。


 ウォルフレッドは腕の中のトリンティアを見やる。


 蒼い顔で唇を噛みしめているトリンティア。痩せた身体は、こらえきれぬ不安にか、かすかに震えている。


「……そのように噛みしめていては、血がにじんでしまうぞ」


 血の気の失せた唇に、そっと指先でふれる。ひやりと冷たい唇は、だが意外なほどに柔らかい。


 息を飲んだトリンティアがウォルフレッドを見上げる。木の実の色をした茶色い瞳は、あふれだす不安に揺れていた。


「どうした?」


 水を向けると、トリンティアがおずおずと口を開く。


「そ、その……。『花の乙女』も一緒にということは、わ、私もお茶会に出席するのですよね……?」


「無論だ。お前以外に『花の乙女』がどこにいる?」


 即答すると、トリンティアの眉がへにゃりと下がった。口にこそ出さないが、顔には可能ならば行きたくないと、大きく書いてある。


「それほど、行きたくないのか?」

 口にした瞬間、愚問だと気づく。


 命を狙われるやもしれぬ茶会など、誰が行きたいと思うだろう。


 ウォルフレッドの問いかけに、トリンティアが目に見えて狼狽うろたえる。


「そ、その、行きたくないといいますか、何と申しますか……」


 びくびくと怯える子うさぎのように、トリンティアが上目遣いにウォルフレッドを見上げる。


「ろくに作法も知らぬ私などがご一緒しては、かえって陛下のご迷惑になるのではございませんか……? 私などのせいで、陛下が悪しざまに言われるなど……。なんとお詫び申し上げればよいのか……」


 申し訳なさのあまり消え入りたいと言わんばかりに、トリンティアが小さな肩を縮める。


 予想していなかった答えに、ウォルフレッドはぱちくりと目をまたたいた。


「身の危険を案じているのではないのか?」


「も、もちろん、陛下の身も心配しております!」

 トリンティアが勢い込んで即答する。


 だが、ウォルフレッドが尋ねた意図はそうでなく。


 ウォルフレッド自身は、どのような敵が来ようと、撃退してみせる自信がある。だが、こんなせっぽちのトリンティアに、賊を撃退できる力があるとは思えない。


 賊も必ず、ウォルフレッドではなく、弱点であるトリンティアを狙うだろう。守らねばならぬ者がいれば、ウォルフレッドも動きを制限されてしまう。


 「命を狙われているのはわたしだけではなく、お前もなのだぞ」とトリンティアを諭そうとして――やめる。


 これ以上、この少女を怯えさせて何の益があるというのか。


 どうせ、告げても抗しようがないのなら、いたずらに怯えさせる必要はあるまい。

 むしろ、恐怖のあまり「おいとまをください」と逃げ出される方が厄介だ。


 ウォルフレッドはもう、『花の乙女』なしではいられないのだから。


 同時に、新たな『花の乙女』が得られるやもしれぬ事態に、何ら喜びが湧かなかった理由を悟る。


 『花の乙女』が増えるということは、そのまま、守らねばならぬ対象が増えるということだ。守らねばならぬ者が多くなればなるほど、まるで鎖が巻きつくかのように、自分の思うままに動けなくなる。


 それは、ウォルフレッドの望むところではない。


「ベラレス公爵の狙いははっきりせんが、茶会の話が貴族どもに広まれば、嫌でも動きがあるだろう。それを見極めつつ、どのような事態が起ころうとも対応できるよう、準備を整える。ゲルヴィスとも打ち合わせをするぞ」


「かしこまりました」


 恭しく首肯したセレウスが、トリンティアに視線を向ける。


「しかし……。ベラレス公爵の前に出るとなれば、イルダ殿に礼儀作法を叩き込んでいただいたほうが、よろしいかと存じます。たった十日間で、どこまで効果があるかはわかりませんが……。皇帝陛下に侍る『花の乙女』が不作法者では、陛下の御名にまで傷がつきかねません。幸い、トリンティアは下女上がりとはいえ、所作はさほど粗野ではありませんから……。イルダ殿にきたえていただければ、茶会の短い間程度なら、なんとかごまかしがきくかと」


 失礼極まりないセレウスの進言に、ウォルフレッドは考え込む。


 毎回の食事をトリンティアと共にとっているが、セレウスが言う通り、粗野だという印象を受けたことはない。幼い頃はサディウム伯爵の養女として、貴族としての教育を受けた素地が残っているのだろう。


 先ほど、手紙から顔を伏せたところを見るに、字も読めるのかもしれない。


 だが、洗練された域にまで達しているかと言われれば、まだほど遠い。


 セレウスに名を出されたトリンティアが、緊張のあまり、今にも気絶しそうな表情で、じっとウォルフレッドを見上げている。


 強張った身体をほぐすように、ウォルフレッドは優しく痩せた背を撫で、セレウスに向き直った。


「わたしがまとう服のボタンが一つほつれていたところで、大したことはなかろう? わたし自身には、何の瑕疵かしもないのだから」


「ですが、人によっては、陛下の御召し物すべてを、陛下の御威光の現れと見る者もおりましょう。見えぬところのボタンならまだしも、胸元に飾った花がしおれていては、その花を選んだ陛下までもがあなどられかねません」


 即座に返したセレウスに、ウォルフレッドは反射的に鼻を鳴らす。


「選ぶ? そんな余地などなかっただろう?」


 ひやりと立ち登った怒気に怯えるように、トリンティアがびくりと身を震わせる。

 が、セレウスは泰然としたものだ。


「己の見たいものしか見ぬ貴族どもは、真実よりも、根の葉がなくとも自分達に都合のよい噂のほうを信じるものです。そして、妄言が思いがけぬ力を持つことは、往々にしてございます」


 前皇帝に忠言して不興を買い、さらには貴族達の讒言ざんげんによって父を失脚させられたセレウスの言葉は、抜身の剣のように冷たく、重い。


「であれば、あらかじめ判明している瑕疵かしは、対策を講じておくべきかと。それとも――」


 セレウスが案じるように眉をひそめる。


「『花の乙女』と離れていては、体調にご不安が残りますか?」


 セレウスの問いに、ウォルフレッドは押し黙る。


 長らく『花の乙女』が不在だったゆえの不調は、まだえるにはほど遠い。


 トリンティアがにふれている間は痛みが消えているが、離れると、さほど時をおかず、骨からきしんでゆくような痛みがぶり返す。


 半年以上の間、その痛みに耐えていたというのに、一度、痛みが消える安らぎを知ってしまった今、ふたたび長時間の苦痛に耐えられるかどうか……。


 耐えようとすれば、意志を総動員しなければならないだろう。


 もし、歴代の皇帝達も同じ痛みに悩まされていたのだとすれば、『花の乙女』に溺れたのも、わからなくはない。


 ……心情的にはともかく、皇帝の責務を放棄していた事態は、決して許されることではないが。


 むろん、ウォルフレッド自身は同じてつを踏む気など、欠片もない。


 ウォルフレッドは語気を強めてセレウスに応じる。


「不安など、あるわけがなかろう? それとも、前皇帝のように、わたしが『花の乙女』におぼれているとても言いたいのか? ありえんな。鶏がらが躾を受けて骨付き肉になるのなら、わたしとしても望むところだ。イルダには、お前から話を通しておけ」


「かしこまりました」

 セレウスが一礼する。


 ウォルフレッドが腕をほどくと、罠から逃げ出す子うさぎのように、トリンティアがそそくさと離れ、後ろに控えた。


 腕の中のあたたかさが離れた瞬間、かわりとばかりに襲ってきた頭痛を、ウォルフレッドは奥歯を噛みしめてこらえる。


 毎日の謁見の際も、同じ苦痛に耐えているのだ。この程度、何というほどもない。と、心の中で呟きながら。

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