34 招待に隠された意図


「ベラレス公爵は何と?」


 ウォルフレッドが手紙を読み終えた瞬間、待ち構えていたようにセレウスが問う。

 手紙を持参した使者から、およその用件は聞いているはずだが、手紙の内容と一致しているのか確認したいのだろう。


 ウォルフレッドは一枚きりの手紙に書かれた簡潔な内容を口にした。


「ベラレス公爵は、多忙であらせられる新皇帝に、ひとときの安らぎを供したいそうだ。ぜひ、世間の喧騒けんそうから離れ、当家所有の別邸へおいでくださいませ、と。――『花の乙女』も一緒に、とな。期日は十日後と書いておる」


 『花の乙女』という単語に反応して、腕の中のトリンティアがぴくりと震える。だが、うつむいたまま、顔を上げようとはしない。


 手紙を渡すと、受け取ったセレウスが素早く目を走らせた。


「確かに、文面だけをみるなら、使者が申していた通り、内々の茶会の誘いでございますね」


 まるで、隠れた意図の片鱗へんりんを探すかのように、最高級品の便箋びんせんをためつすがめつしながら、セレウスが呟く。


 だが、ウォルフレッドもセレウスも、これが単なる茶会の誘いに留まらぬことは、重々承知している。


 ベラレス公爵。

 ウォルフレッドの政敵であるゼンクール公爵家と並ぶ、名家中の名家。


 今代のベラレス公爵は息子ばかりで娘に恵まれなかったため、前皇帝には娘を輿入れさせていないものの、代々の皇帝に何人もの王妃をめあわせ、常に権力の中枢にいたベラレス公爵家の存在は、『冷酷皇帝』と呼ばれるウォルフレッドであっても、ないがしろにできぬほど、大きい、


 そして、ウォルフレッドが皇位に着いてからの半年間、高齢を理由に公務から手を引き、王都の別邸に引きこもったまま、ゼンクール公爵と同様、ウォルフレッドに恭順を誓わずにいる貴族の一人でもある。


 ウォルフレッドは、かつて会ったことのあるベラレス公爵の、何を考えているのか読みがたい皺だらけの顔を思い出す。


 権力への渇望をあらわにし、政敵を失脚させる機会を虎視眈々こしたんたんと狙っているゼンクール公爵と異なり、表向きは目立たない物静かな老人にしか見えないベラレス公爵は、どこか得体の知れないところがある。


 前皇帝の生前、四人の皇子達が皇太子の座を争っていた時も、ベラレス公爵は、どの皇子をしていると、決して公言しなかった。


 ベラレス公爵の後ろ盾があれば、皇太子の座は手に入れたも同然、と、どの派閥からも執拗しつような誘いがあったにもかかわらず、だ。


 ベラレス公爵が前皇帝の急死を予期していたのかどうか、ウォルフレッドにはわからない。


 だが、皇子達の誰にもくみしなかったことで、皇子達がウォルフレッドに敗れ去った今も、ベラレス公爵は一切の富と権力を減らすことなく、今も貴族達の間に、隠然たる影響力を持っている。


「返事については、使者に何と伝えておる?」


「陛下に手紙をご確認いただいたのち、こちらより返事を持たせた使者を遣わすと言い、すでに帰しております」


 セレウスの返事に、よしと頷く。


 ベラレス公爵の招待に応じないという選択肢は、ありえない。


 そんなことをすれば、新皇帝はベラレス公爵を恐れているのだという噂が流れるのは間違いない。


 だが、即座に招待に応じれば、それはそれで、ベラレス公爵の権勢にすり寄っているのだと誤解される。


 ベラレス公爵の招待は受ける。


 だが、あくまでも上に位置するのは公爵ではなくウォルフレッドなのだと、貴族達に示さねば。


 しかし……。


「セレウス。お前は、この時期のベラレス公爵からの誘いを、どう読む?」


 手紙をウォルフレッドの元へ持ってきた時点で、この問いは予想していたのだろう。即座に答えが返ってくる。


「陛下が『花の乙女』を得られたと貴族達が知った直後の内密の茶会への誘い。これが一介の貴族であれば、陛下におもねるための稚拙な策略と断じれましょうが……」


「ベラレス公爵ともあろう者が、そのような見え透いた手を使うとは思えん、か」


「左様でございます」

 セレウスが首肯する。


「さらには、茶会の場所が王都郊外の別邸という点も気になります。確かに、ベラレス公爵の隠棲いんせい場所と言えばその通りなのですが……」


「別邸は郊外の森の中に佇む瀟洒しょうしゃな屋敷であったな。……鬱蒼うっそうとした森の中を通って訪れる。以前、何度か訪れたことがある」


「わたくしも、一度だけございます。道は整備されているものの、周りは深い森で――」


 セレウスの視線を受け、ウォルフレッドは唇を吊り上げる。


「周りに人家も何もない。通る馬車を襲うには、うってつけの場所だな?」


 物騒極まりない言葉に、腕の中のトリンティアがびくりと身体を震わせる。

 が、口に出しては何も言わない。強張った表情で口をつぐんだままだ。


「陛下は、ベラレス公爵が陛下を亡き者にしようと画策していると、お思いなのですか?」


 セレウスが整った顔をしかめて問う。


 他の者が聞けば、目をくような内容だが、ウォルフレッド達に特に動揺はない。


 皇位争いに名乗りを上げた時から、命など、飽きるほど狙われ続けている。


「もっとも、本気でわたしを殺す気なら、わざわざ『花の乙女』を手に入れるまで待たずとも、いないうちに襲撃を繰り返し、わたしが自滅するのを待てばよかったのだ。今になって、わたしを暗殺する意味はなかろうが……」


 ウォルフレッドは腕の中のトリンティアに視線を落とす。


 トリンティアは蒼白な顔で震え続けている。悲鳴をこぼすまいとするかのようにみしめた唇は紫色だ。


 銀狼の血を引くウォルフレッドを殺すのは困難でも、せっぽちの少女を殺すのは、赤子の手をひねるより簡単に違いない。


 そう考えた瞬間、父を亡くした時の記憶がよみがえり、思わず奥歯を噛みしめる。


 抱き寄せた腕に力がこもったせいか、トリンティアが苦し気なげな息を吐いた。


「すまん」

 あわてて腕を緩める。


 一瞬だけ固く目をつむり、脳裏に焼きついて離れない光景を、胸の奥へと押し込める。


 怯える必要は何もない。不意打ちを受けたあの時とは、状況が全く違うのだから。

 今はウォルフレッドも常に警戒している。相手の思い通りになど、決してさせぬ。


 何より――今度こそ、守ると誓ったのだから。今は、過去の痛みなどにとらわれている場合ではない。


 ウォルフレッドはひとつ息を吐き、思考を切り替える。


「わたしの暗殺は、あくまでも可能性のひとつというだけだ」


 ウォルフレッドはセレウスの疑問に静かな声で答える。


「ベラレス公爵ほどの力があれば、わたしが「」で死んだ後、前皇帝の皇女を祭り上げることも容易たやすかろう」


 前皇帝の四人の皇子達は、全員が表舞台から消えているが、五人の皇女達は、他の貴族達に利用されぬよう、それぞれ厳重な警備をつけた上で、セレウスの監視下においてある。


 後顧の憂いを断つためならば、処刑してしまうのが一番簡単だが、さすがにそこまで非情ではない。


 表立って敵対した皇子達と異なり、皇女達はただ、前皇帝の血を引いて生まれてきただけなのだから。むろん、皇女達には、万が一、ウォルフレッドに敵対する勢力にくみすることがあれば、その時には容赦なく処断すると伝えているが。


 皇女達を生き長らえさせている理由には、銀狼の血は皇族のにしか発現しないということもある。そのため、皇女達は銀狼の血による苦痛もなければ、『花の乙女』の癒しも必要としない。


 現在、皇族の男はウォルフレッドただひとりだ。


 やすやすと死んでやる気などないが、もし、ウォルフレッドに万が一のことがあった時、銀狼の血が絶えていれば、周辺の国々は我先に銀狼国を侵略するだろう。そのためにも、皇女達にはゆくゆくはしかるべき貴族と結婚してもらわねばならぬ。


 ウォルフレッドの言葉を黙して聞いていたセレウスが、ゆっくりと口を開く。


「陛下のおっしゃる通り、もし、陛下を亡き者にし、皇女達に男子を生ませて、次代の皇帝の後見として権力を意のままにするなら、ベラレス公爵は、陛下が即位なさる前に動くべきでした。ですが、ベラレス公爵は、皇位争いの間も、陛下が即位なさってからの半年間も、目立った動きはしておりません。元々が武門の家系ではなく、文官の家系であることも関係しておりましょうが……。あまりにも動きがなさすぎます。かといって、全く油断できないのが、ベラレス公爵の恐ろしいところでございますが……」


 セレウスの言葉に、重々しく頷きを返す。


 当主のベラレス公爵は、権力の中枢に五十年近くもいた古狸ふるだぬきだ。


 表向きは大人しく屋敷に引きこもっているように見えて、その実、裏でウォルフレッドの失脚を画策している可能性は十分ある。


 セレウスが慎重な様子で言を継ぐ。


「そのベラレス公爵が、陛下が『花の乙女』を得られた直後に接触してきた……。楽観的な見方かもしれませんが、これはひょっとすると、方針を変更した可能性もあるかと存じます」

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