31 夕べも同じ事を聞いていたな
「ゲルヴィスと、どんな話をしていたのだ?」
「え?」
トリンティアを横抱きにして歩きながら発された問いに、トリンティアはきょとんとウォルフレッドを見返した。
本当に本当に結構です! と固辞したにもかかわらず、湯浴みが終わり着替えた時には、すでにウォルフレッドが迎えに来ていた。
あまり表情を変えないのでわかりにくいが、もしかしたらかなり心配性な性格なのかもしれない。
「ええと、私が気を失ってしまったので、大丈夫かと心配してくださって、それと……。皇族の方々にとって、『花の乙女』がどれほど重要なのかをお教えくださいました……」
答えつつ、ウォルフレッドの端正な面輪を
「苦しんでいる」と、ゲルヴィスは確信をもって断言していた。
確かに、隠し部屋へ来る時のウォルフレッドはいつも、切羽詰まった表情をしている。まるで、真冬の吹雪に凍える旅人が、一杯のあたたかいスープを求めるような。炎天下の中を歩く旅人が、ひととき休める木陰を探すような。
けれど、人前にいる時のウォルフレッドは常に冷徹で威圧的で、不調を抱えているとは、どこからどう見ても思えない。
「どうした?」
問われて、まじまじとウォルフレッドを見つめていたことに気づく。瞬間、かあっと頬に血がのぼった。
「い、いえっ。失礼をいたしました」
うつむき、きゅっと身を縮めたところで、皇帝の私室に着く。
廊下に控えていたセレウスが無言で扉を開ける。
前を通る時、セレウスの視線が突き刺さった気がした。きっと、ウォルフレッドがトリンティアなどを抱き上げて運んでいるせいで、変な噂が流れているのを不快に思っているのだろうが……。
トリンティアには、どうしようもない。むしろ、セレウスからウォルフレッドを
いくつかの
奥にある
「……で?」
掛布を引き上げながらトリンティアの隣に横たわったウォルフレッドが問う。
「他に、何を聞いたのだ?」
ウォルフレッドの声は固く、表情は張りつめている。
薄闇の中でも底光りするようにきらめく碧い瞳は、心の底まで暴こうとするかのように鋭い。
「そ、の……」
言い淀んだトリンティアに、ウォルフレッドの目が
「今も、おつらくていらっしゃるのですか……?」
「っ」
ウォルフレッドが小さく息を飲む。機嫌を
「も、申し訳ございません! ゲルヴィス様から伺ったものですから、その、心配になってしまいまして……っ。わ、私などが、陛下をご心配申しあげても、何のお役にも立てないのはわかっているのですが……」
視線を下げたトリンティアの
「夕べも」
「え?」
「夕べも同じ事を聞いていたな。おつらくないですか、と……」
耳に心地よく響く低い声が、不意に揺れる。
「それほど、わたしは弱々しく見えるのか?」
「えっ!?」
驚いてウォルフレッドを見上げる。
碧い瞳には、いつになく頼りない光が揺れていた。
「と、とんでもございません!」
トリンティアはろくに動かせない敷布の上で、必死にかぶりを振る。
「陛下はいつも凛々しくてご立派でいらっしゃいます! ただ……」
「ただ?」
「その……。痛みを我慢するつらさは、私でも少しはわかりますから……」
サディウム家では、泣けば
いつしか、声を殺して我慢するのは当たり前になっていた。
けれど、泣くのを我慢したからといって、痛みまで消えるわけではない。むしろ、抑え込んだ分、身体の芯まで痛みがしみこんでいくようで……。
ゲルヴィスの言う通り、ウォルフレッドも苦痛を抱えているのなら、つらいのではなかろうかと心配になったのだ。
トリンティアの言葉に、ウォルフレッドが虚を突かれた顔になる。と。
「ひゃっ!?」
身体に腕を回したウォルフレッドに、突然、ぎゅっと抱きしめられる。
「お前は……。本当に、変わった娘だな。『冷酷皇帝』にそんなことを尋ねるなど……」
どこか呆れたような、けれども同時にどこか甘いウォルフレッドの声。骨ばった長い指先が、優しくトリンティアの髪を
「心配はいらぬ。こうして、お前にふれていれば、痛みも寄りつかぬ」
大切に、宝物のように抱きしめられ、泣き出しそうになる。
こんな風に大切に扱われたことなんて、今まで一度だってない。
きゅぅ、と胸が痛いのは、
(私なんかでも、この方のお役に立てることがあるのなら……)
トリンティアを抱きしめたまま、すうすうと寝息を立て始めたウォルフレッドを見つめ、誓う。
この方に心からお仕えしよう、と。
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