29 やっぱり、私なんかが『花の乙女』のわけが……。


「嬢ちゃん、大丈夫か?」


「は、はい! ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした」


 ウォルフレッドの私室に入って来るなり、開口一番に尋ねたゲルヴィスに、トリンティアは椅子に座ったまま、身体を二つに折るようにして頭を下げた。


 本当は平伏して詫びたいところなのだが、ウォルフレッドから、立ち上がってひねった足に負担をかけるなと厳命されている。


「いいっていいって。俺に詫びる必要なんざないさ。こっちこそ悪かったな。急にあんな場所に引っ張り出しちまってよ」


 わしわしとゲルヴィスが大きな手でトリンティアの頭をでてくれる。乱雑な手つきにもかかわらず、感じるのはいたわりと気遣いだ。


 傷のあるいかつい顔とぞんざいな言葉遣いとは裏腹に、ゲルヴィスは三人の中ではまだ、一番話しやすい。とはいえ、やはり緊張してしまうのだが。


「あの……。どうかなさったのですか?」


 思えば、ゲルヴィスと二人きりになったのは初めてだ。


 ウォルフレッドは今は湯浴みに行っている。昨日、ウォルフレッドが湯浴みに行っている間は、トリンティアは私室に一人残って刺繍をしていた。四六時中ウォルフレッドのそばにいなければならないトリンティアにとっては、一人で落ち着ける貴重な時間だったのだが。


 トリンティアの問いに、ゲルヴィスは「あー」と呟きながら、トリンティアの頭を撫でていた手で、今度は自分の頭をいた。


「一応、念のためつーか……。やっぱり、嬢ちゃんの具合も気がかりだったしな。明日からも、謁見の間に詰めなきゃならんだろうし……」


「今日だけではなかったんですか!?」


 てっきり、今日限りのことだと思っていたトリンティアは、思わずすっとんきょうな声を上げた。


 気絶するなどという失態を犯したので、明日からはいつものように隠し部屋に待機するものと思っていたのだが。


「なんつーか、念のためってゆーか……」

 ゲルヴィスが歯切れ悪く、もう一度「念のため」と繰り返す。


「陛下が『花の乙女』を得たと、今日で広まっちまっただろうからな。嫌でも、嬢ちゃんに注目が集まっちまう。嬢ちゃんを一人にして、万が一のことが起こったらと気をむよりも、目の届くところに置いておきたいっていうのが、陛下のお考えなんだろうよ。『冷酷皇帝』のそばにいりゃあ、大抵の奴は寄りつこうなんざ思わねえからな」


「た、確かに、私では、貴族の方々に失礼のない受け答えなんて、絶対にできません……」


 そんな事態を想像するだけで、胃がきゅうっと痛くなる。


「うん、まあな……」

 ゲルヴィスが苦い顔で言葉を濁す。


「あの、ゲルヴィス様。ひとつ、お伺いしたいんですけれど……」


「おう、何だ?」


 ゲルヴィスがほっと表情を緩めて気安く応じる。ゲルヴィスと二人で話す機会なんて、そうないだろう。


 トリンティアは思い切って、胸中にずっと巣食っていた疑問を口にした。


「あの……。『花の乙女』って、そんなに重要なものなのですか?」


「へ?」


 ゲルヴィスが目を丸くして気の抜けた声を出す。トリンティアはあわあわと言を継いだ。


「は、『花の乙女』のことはもちろん知っています! 陛下にも『花の乙女』と、彼女達が作る『乙女の涙』には、皇族の方々を癒す力があるとも聞いたのですけれど……っ」


 胸の前でわたわたと両手を動かしながら説明したトリンティアは、ふと、己の両手に視線を落とした。


 毎日、洗ってもらっても爪の間にこびりついた汚れがなかなかとれない、骨が浮き出て不格好な手。


「どうしても、私なんかが、『花の乙女』なんていう神話にもうたわれる存在だと、思えなくて……」


 毎食、たっぷりと供されるおいしい食事。ふかふかの寝台。贅沢ぜいたくな湯浴みに、着たこともない絹の衣服。


 どれもこれも、トリンティアには縁のなかったものだ。


 いや、正確にいうならば、幼い頃のトリンティアには与えられていたものの、当時の出来事は記憶の彼方においやり、ふたをしてしまった。


 もう二度と手に入らないものを思い返すほど、切ないことはないから。


「わ、私、こんな贅沢ぜいたくをさせていただけるような身分じゃないんですっ。伯爵の養女というのも形ばかりで、実際には下女と変わりなくて。だからやっぱり、私なんかが『花の乙女』のわけが……っ」


「嬢ちゃん、どうした? 落ち着け」


 震える両手をぎゅっと握りしめられ、我に返る。


 いつの間にか、トリンティアの前に片膝をついてひざまずいたゲルヴィスが、大きな手のひらでトリンティアの両手を包み込んでいた。


「あ……」

 トリンティアは呆然と呟く。


 ゲルヴィス相手で気が緩んで、胸の内に渦巻いていた思いを、一気にぶちまけてしまった。


 さぁっ、と顔から血の気が引く。謝罪を紡ぐより早く。


「正直、俺にゃあ、嬢ちゃんが『花の乙女』かどうか、見分けはつかねぇ。銀狼の血を引いているわけでも、『花の乙女』でもないからな」


 ゲルヴィスが静かな声音で諭す。と、不意に悪戯いたずらっぽく片目をつむる。


「っていうか、俺みたいなのが乙女だったら不気味だろ?」


 おどけたように笑うゲルヴィスにつられて、トリンティアも思わず口元が緩む。


「けど」

 ゲルヴィスが、真っ直ぐにトリンティアを見つめる。


「他の誰でもない、陛下が嬢ちゃんを『花の乙女』だと認めたんだろう?」


 静かな声で発せられた問いにこくりと頷くと、ゲルヴィスが破顔した。


「じゃあ、嬢ちゃんは誰が何と言おうと、『花の乙女』で間違いない。銀狼の血を引く者が、『花の乙女』を誤るはずがないからな」


 と、ゲルヴィスが何かに思い至ったように「あー」と困り顔になる。


「そうだよな。銀狼国の貴族にとっちゃ、『花の乙女』が皇族にとってどれほど重要かなんて自明の理だが、嬢ちゃんには、ちんぷんかんぷんだよな……」


 えーと、とゲルヴィスが言葉を探す。その隙をついて、トリンティアは慌てて口を挟んだ。


「あ、あの、ゲルヴィス様! お願いですから、椅子に座ってください! その、申し訳なさ過ぎて……っ」


 ゲルヴィスをひざまずかせておくなんて、気になって話に集中できない。が、当の本人は「そうか?」と暢気のんきなものだ。トリンティアの手を放して立ち上がると、手近な椅子を引き寄せて座る。


「で、なんだ。ああ、『花の乙女』の重要性についてだったな。正直、ここまで『花の乙女』がいない状態が異常なんだ。本来なら、常に二十人はいるもんなんだが……」


「そうなのですか?」


 トリンティアは驚いてゲルヴィスを見返す。ゲルヴィスのいかつい顔が苦く歪んだ。


「ああ、王城の近くに『花の乙女』達が暮らす神殿があってな。見出された『花の乙女』達はそこで暮らすんだが……。今は無人だ。内乱が起こった時、皇子や貴族達が我先に『花の乙女』を確保しようと、真っ先にさらっていっちまったからな」


 淡々と告げるゲルヴィスの言葉に、ぞっと血の気が引く。さらわれた『花の乙女』達は、いったいどうなったのだろう。


 気になるが、今はゲルヴィスの話を聞く方が先決だ。トリンティアはゲルヴィスに視線を戻す。


「なんで『花の乙女』には銀狼の血を引く者を癒せるのかとか、どういう条件が揃えば『花の乙女』として生まれてくるのかについては、わりぃ、俺も知らねぇ。何人もの学者が建国神話を研究してるが、まだ真実に辿り着いた者はいないって話だしな。が、実際に『花の乙女』だけが、皇族の苦痛を取り除けるのは確かだ」


「そ、それは陛下からも伺いました。ですが……」


 トリンティアは、ウォルフレッドのことを思う。

 常に凛々しくて気高くて、一点の非の打ちどころもない貴公子。


「本当に、陛下は痛みに悩まされておいでなのですか? ひどい不調を抱えてらっしゃるようには、とても見えないのですが……?」


「苦しんでらっしゃるよ」


 トリンティアの言葉にかぶせるように、ゲルヴィスが即答する。


「今もずっと、何でもない風を装う陰で、あの方は、苦痛に耐えてらっしゃるよ」


 叶うならば、自分がその痛みを全部引き受けたい。そう言いたげな表情で、ゲルヴィスが告げる。と、いかつい顔に苦笑いが浮かんだ。


「まあ、あの方はかなり頑固で意地っ張りでいらっしゃるからなぁ。俺の前ですら、なかなか弱音を吐いてくださらない。どこかで誰かが耳にしたら、あっという間に陛下に不利な噂を広められるからな」


「反皇帝派……」


 先ほど、ウォルフレッドに教えられた言葉が口を突いて出る。ゲルヴィスが険しい顔で頷いた。

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