28 (幕間)あんなものが、『花の乙女』であるはずがなかろう?


「くそっ! あの若造めが!」


 ぜいを尽くした豪奢ごうしゃな室内に、怒りに満ちた声が響く。


 どんっ、と天板に拳を打ちつけた拍子に、グラスにつがれた葡萄酒が、怯えるように紅い水面みなもをさざめかせた。


 部屋の中央に置かれた大きなテーブルを囲んでいるのは、『天哮の儀』の中止を進言した貴族達だ。


 真っ向から反対したわけではない。表面上はあくまでも、数か月もの間、『花の乙女』の癒しもなく公務に精勤する皇帝の身を案じ、万が一の失敗を憂慮している貴族達が少なくないのだと訴え、皇帝自らの口から、儀式を中止するという言葉を引き出す手はずだったというのに。


「『花の乙女』を手に入れただなど、聞いておらんぞ!」


 一団の主格の一人である壮年の貴族が、もう一度、怒りに任せてテーブルに拳を振り下ろす。じん、と伝わった痛みは、怒りを冷ますどころか、さらなる燃料となって感情を燃え上がらせる。


「『花の乙女』さえいなければ、いずれ銀狼の血によって身を滅ぼす! しぶとく耐えておったが、いい加減、限界を迎える頃だと思っておったというのに……っ! 『花の乙女』を手に入れただと!? ふざけるな!」


「ど、どこかの貴族が裏切ったということでしょうか……?」


 末席に座る青年貴族が、おずおずと問いかける。途端、壮年の貴族に睨みつけられ、「ひいぃ」と情けない声を洩らした。


「裏切り者だと……っ!? 誰だ!? 誰が裏切った!?」


 貴族達が疑心暗鬼な表情でお互いを盗み見る。


 『冷酷皇帝』が喉から手が出るほど欲している『花の乙女』を献上すれば……。

 治世を盤石とした功績で、どのような褒賞ほうしょうも思いのままに違いない。重臣として引き立てられる事態も十分にありうる。


 その誘惑に抗しきれなかった者が出たとしても、何の不思議もない。彼らは所詮、己の富と権力を増すためだけにつどっているに過ぎないのだから。

 己以外の貴族を心から信頼している愚か者など、この場には一人もいない。


 疑心という目に見えぬ黒雲が部屋の中に渦巻き、貴族達の不信感を育てていく。それを打ち破ったのは、最も老齢の貴族のしわがれた声だった。


「本物の『花の乙女』とは、限らぬのでは?」


 全員の視線が老貴族に集中する。

 注目を集め、さらには十分に間を取ってから、老貴族はゆったりと口を開いた。


「『天哮の儀』を前にして、『花の乙女』が見つかったなどと、そんな都合のよい奇跡が起こるはずがない。そもそも、銀狼の血こそ引いているものの、前皇帝の御子ではなく、あのお人好しの王弟の子が皇位につけたこと自体が、奇跡なのだ。奇跡は滅多に起こらぬからこそ、奇跡というもの。ならば」


 老貴族は思わせぶりに言葉を切る。


「あの『花の乙女』は、偽物ということも、十分に考えられよう。『天哮の儀』の中止を進言する我らを退けるために、その辺の侍女にでも命じて変装させたに違いない。『花の乙女』の真偽など、銀狼の血を引く者と、『花の乙女』自身にしかわからぬのだから、何とでもごまかしようはある。何より、あの『花の乙女』をじっくりと見たか? ごまかしてはいたが、怯えて震えていた貧相な娘……。あんなものが、『花の乙女』であるはずがなかろう」


 老貴族の言葉に、貴族達の間に安堵が満ちる。


「おっしゃる通りですな。この時期に『花の乙女』が見つかるなど……。できすぎております」


「忌々しい若造めが。偽物などで我らをたばかろうとは……。天罰が下るぞ!」


「そうだ。今にも逃げ出したそうに震えていたあんな娘が『花の乙女』であるはずがない!」


「もしかしたら、手をつけた侍女に変装させたのかもしれませんぞ。『冷酷皇帝』が侍女なんぞを寵愛しているという噂を、昨日耳にしましたからな」


「それがあの貧相な小娘とは! あの若造は、性格だけでなく趣味まで悪いらしい」


「ヴェールをかぶっていたのも、人目にさらせぬ醜女しこめだからでしょうな」


 ははははは、と嘲笑が貴族達の間に広がる。


 威勢を取り戻した同志達を見て、老貴族は満足そうに頷いた。


「あのような若造に、我らが銀狼国を好きにさせるわけにはかぬ。『天哮の儀』さえ成功させなければ、新皇帝の権威は地に落ち、我らにすがらざるを得ないであろう。そのためならば、実際のところ、『花の乙女』が本物であろうとなかろうと、大したことではない」


 老貴族は優雅にグラスを傾ける。

 くらく沈んだ紅い葡萄酒で唇を湿らせ。


「邪魔な花ならば、枯らしてしまえばよいのだ。――前と、同じように」

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