21 ならば、これも念のためだ
夜、トリンティアが湯浴みを終え、毛織の厚い夜着を着せられ、髪も
「へ、陛下!?」
現れた人物を見て、すっとんきょうな声を上げつつ、平伏する。
驚いたのはトリンティアだけではないらしい。一緒に平伏する侍女達も、突然現れた皇帝の姿に、息を飲んで身を固くしている。
「どうなさったのです?」
いつも冷静沈着なイルダさえ、珍しく声に戸惑いが浮かんでいる。が、ウォルフレッドの声はいつもとまったく変りない。
「ああ。わたしの花が足を
イルダに問いかけながら、ウォルフレッドが歩み寄る気配がする。
「身を起こせ」
命じられるまま顔を上げると、左腕をぐいと掴まれ、上半身を引き起こされた。かと思うと。
「ひゃっ!?」
屈んだウォルフレッドに横抱きにされ、悲鳴が飛び出す。
まさか、また人前で抱き上げられるだなんて、予想だにしていなかった。
「大丈夫です! もう痛くありません! 自分で歩けますから下ろしてください!」
「まだ包帯を巻いているではないか」
ちらりとトリンティアの足首に目をやったウォルフレッドが告げる。
湯上りにもう一度薬を塗って包帯を巻いてもらったが、もう痛みはほとんどない。
「これは念のためで……」
「ならば、これも念のためだ」
淀みない足取りで無人の廊下を歩きながら、ウォルフレッドがすげなく返す。
「昼も思ったが、まったく重くないな。ちゃんと食事をとったのか?」
「陛下の前でしっかりいただいたではないですか」
「嬢ちゃん、怪我を治すためにもしっかり食え」と夕食の時も、ゲルヴィスが食べきれぬほどの料理を皿に盛ってくれた。
「たったあれだけでは足りぬだろう?」
ウォルフレッドもゲルヴィスも、驚くほどによく食べる。特にウォルフレッドは、この引き締まった身体のどこにあれだけの量が入るのかと、不思議になるほどだ。
「男の方と同じ量は逆立ちしても無理です! 本当に、私には十分すぎるほどの量で……。今まで、ひもじくて辛かったことは何度もありますけれど、おなかがいっぱいで苦しいなんて
必死で説明すると、「そうか」と頷いたウォルフレッドの口元が、ふ、と緩んだ。
トリンティアは思わず目を疑う。
(今、笑った……?)
狼が牙を
幻ではないかと、もう一度視線を向けた時には、笑みは消え、不機嫌そうな仏頂面に変じていた。
「何だ、その顔は」
ウォルフレッドが睨みつけた先に立っているのは、今にも吹き出しそうな顔をしているゲルヴィスだ。
「いいえぇ~。長年、陛下にお仕えしてきましたが、久々にそんなお顔を見られるなんて、人生はつくづく面白いと思いましてね」
言いながら、ゲルヴィスが私室の扉を恭しく開ける。
「その調子でしたら、今夜は嬢ちゃんを泣かせずに済みそうっすかね?」
からかうようなゲルヴィスの声音に、ウォルフレッドの眉間の
「泣かせるつもりはない。一晩中、耳を澄ませていたとしても、泣き声など聞こえんぞ」
ゲルヴィスを
迷いのない足取りで寝台まで歩いたウォルフレッドが、柔らかな敷布の上に、そっとトリンティアを下ろす。
「あの、ありがとうございまし――、っ!」
礼を言い終わるより早く、ウォルフレッドが寝台に載ってくる。肩まで掛布を引き上げたウォルフレッドが、腕立て伏せをするような格好で、トリンティアを上から見下ろした。
「あ、あの……っ」
夕べのくちづけが甦り、嫌でも心臓が騒ぎ出す。身体が棒のように強張った。
「わたしの、どこが怖いのだ?」
「……え?」
静かに問われた内容に、トリンティアは間抜けな声を洩らす。
おずおずと視線を上げると、真剣な表情をしたウォルフレッドと目が合った。
碧い瞳が、心の奥底まで見通そうとするかのように、真っ直ぐにトリンティアを見下ろしている。
「わたしのどこが怖いのだ? 直せるところがあれば、善処しよう」
予想だにしていなかった言葉に面食らう。
まさか、ウォルフレッドがそんな譲歩をしてくれるなんて、思ってもみなかった。
「ああ、先に言っておくが」
思考が働かず、呆然と見上げていると、ウォルフレッドが口元を歪めた。
「『冷酷皇帝』というのは、わたしとセレウスで広めた噂だぞ」
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