19 俺達がいない間に、いったいナニをなさってたんすか?


「陛下。数刻おそばを離れている間に、信じがたい噂を耳にしたのですが」


 夕刻。ゲルヴィスと連れ立って執務室へ入ってきたセレウスは、開口一番、整った面輪をしかめて告げた。


「ああ、俺も聞いたぜ。たぶん同じ噂だ。王城中でもちきりになってやがる」


 二人の言葉を聞いた瞬間、トリンティアの胸に嫌な予感がよぎる。


「噂とは?」

 トリンティアの胸中も知らず、ウォルフレッドが促す。


 ゲルヴィスが、傷のある頬に楽しくて仕方がないと言わんばかりの笑みを浮かべた。


「『冷酷皇帝』がついに『花の乙女』を見つけて、この上なく寵愛しているらしいって噂っすよ。陛下、俺達がいない間に、いったいナニをなさってたんすか?」


 にやにやと笑う様子は、今朝、夕べのことを尋ねた時とまったく同じ表情だ。


 あああっ、やっぱり……っ! と、ウォルフレッドの足元に座り込んだトリンティアは、泣きたい気持ちになる。


 噂を広めたのは同僚達か、それとも廊下ですれ違った人々か。どちらにしろ、人の口に戸は立てられない。噂を握りつぶすことは不可能だろう。


 というか、寵愛などされていないのに、どこをどう間違って広まってしまったのか。


 もう、王城を顔を見せて歩けない。布袋を頭からかぶっておけばよかったと後悔するが、すでに手遅れだ。


 それより、まったくの誤解とはいえ、こんなみすぼらしい侍女を寵愛しているという噂が広まったら、ウォルフレッドが失笑されるのではないだろうか。そちらのほうが怖い。お前が貧相なせいで、と叱責されるかもしれない。


「ふむ。意外と広まったものだな」


 トリンティアは今にも泣きたい気持ちだというのに、当の本人はいっそ感心するほど泰然たいぜんとしている。


 いち早く反応したのはセレウスだった。


「揺さぶりをかけられるおつもりですか?」


 トリンティアが見上げる先で、ウォルフレッドが唇を吊り上げる。

 端正な顔立ちだけに、得も言われぬすごみが漂った。


「さて……。どれほどの貴族どもが動くだろうな?」


「何を企んでらっしゃるんで?」


 わくわくした表情でゲルヴィスが問う。ウォルフレッドが人の悪い笑みを浮かべ、くつりと喉を鳴らした。


「なに。貴族どもに一石を投じてやるだけだ。『天哮てんこうの儀』を前に、わたしが『花の乙女』を得たことで、大人しく恭順するなら、それでよし。腹に一物持っている輩も、『花の乙女』を得たと知れば、心中穏やかではいられまい。あれこれ画策して動いてくれれば、その分、こちらも尻尾を掴みやすくなるからな」


「けど陛下、そりゃあ……」

 ゲルヴィスがいかつい顔をしかめ、歯切れ悪く呟く。


 ぴり、と空気が紫電をはらんだ気がした。


「手をかけさせはせぬ」


 真っ向からゲルヴィスをにらみ返し、きっぱりとウォルフレッドが断言する。


「今度こそ、手折たおらせはせん。不届き者が現れれば、即刻、返り討ちにしてやる」


 強い声音で告げたウォルフレッドが、「で?」と話題を変えるようにあごをしゃくってトリンティアを示す。


「どうだ、セレウス。こいつは外に出せそうか?」


 三人の視線が集中し、トリンティアは机の陰でびくりと身体を震わせた。


 何だろう。大切なことが、トリンティア抜きでどんどん進められている気がする。


 商品を観察するような目でトリンティアを見つめていたセレウスが、傷物を掴まされた美術商みたいな顔で吐息する。


「……陛下が、どの程度をお望みになるかによりますが。イルダ殿の腕に希望をかけるしかないかと」


「侮られぬ程度の見てくれがつくろえれば、それでよい。なんせ、わたしの代になって初めての『花の乙女』だからな」


「……善処いたしましょう」


 セレウスが真冬に花を咲かせろと命じられたかのように嘆息する。が、トリンティアはそれどころではない。


「あ、あのっ。『花の乙女』というのは、私のことでしょうか……?」


 びくびくと確認すると、ウォルフレッドが呆れたように片眉を上げた。


「当然だろう? お前以外に誰がいる?」


「わ、私に何をさせるおつもりなんですか……っ!?」

「察しがよいな」


 ウォルフレッドが笑うが、褒められた気などしない。むしろ、首元に狼の牙がかかったように恐ろしい。


 トリンティアは震えながら、嫌々するように首を横に振る。


「む、無理です! できませんっ! 私にできることなんて、たかが知れています!」


「何をするかもわからぬのに、なぜ無理と言い切れる?」


 じりじりと後ずさろうとした途端、「離れるな」と釘を刺される。かと思うと、椅子を引き、身を屈めたウォルフレッドに強引に横抱きにされた。


「ひゃあぁっ!? 何をなさるんですか!?」

 思わずすっとんきょうな悲鳴が飛び出す。


「おどおどし過ぎだ。もう少し、泰然としろ」


 顔をしかめたウォルフレッドが命じるが、無茶振りもよいところだ。


「む、無理です! お放しくださいっ! セ、セレウス様達もいらっしゃるのに、こんな……っ!」


「もう、他の者にも見られたではないか。今さら、セレウスとゲルヴィスに見られたところで、どうということもあるまい?」


 違う! 絶対それは違う!


 トリンティアが声を大にして訴えるより先に、ゲルヴィスが反応する。


「他の者に見られた、って……。もしかして嬢ちゃんを抱き上げて、城内を闊歩かっぽなさったんすか!?」


 ぶはっ、と吹き出したゲルヴィスが、おかしくてたまらないと腹を抱えて大笑いする。


 ゲルヴィスのあけすけな反応に、トリンティアの顔にさらに熱が昇るが、ウォルフレッドは落ち着いたものだ。


「偶然の産物だったがな。鶏がらが足をひねったので運んだのだが……。まさしく怪我の功名だな。……おい、暴れては痛めた足をまたぶつけるぞ」


 最後の一言は腕の中で身動みじろぎするトリンティアに向けられたものだが、大人しくなどできるはずがない。

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