16 ついでに案内してやる


「使用人部屋に?」


 午前中の謁見えっけんが終わり、午後の執務中、同僚達と使っていた使用人部屋に荷物を取りに行かせていただけませんか? と頼んだトリンティアに、ウォルフレッドはいぶかしげに眉を寄せた。


「そんなもの、ゲルヴィスがセレウスに取りに行かせればよかろう」


「あのお二人に、そんなこと、失礼すぎてお願いなんてできませんっ」


 あっさりととんでもないことを言い放ったウォルフレッドに、トリンティアは千切れんばかりに首を横に振る。


 銀狼国の宰相と将軍を使い走りにするなんて、恐ろしすぎて気絶する。


 ちなみに今は、二人とも別の公務があるということで、執務室にいるのはトリンティアとウォルフレッドの二人きりだ。昨日と同じく、トリンティアは足元の床にぺたんと座っている。


「少しとはいえ、私物もありますし、自分で取りに行きたいのですが……。駄目でしょうか?」


 端正な面輪を見上げて懇願すると、溜息をつかれた。


「ひとつ聞くが、執務室から使用人部屋までの道はわかっているのだろうな?」


「あ……っ」


 侍女として日が浅いトリンティアは、王城のどこに何があるか、限られた範囲しか知らない。顔を強張らせたトリンティアに、もう一度ウォルフレッドが嘆息する。


「少し待て。この書類を書き終えたら、届けるついでに案内してやる」


「と、とんでもございませんっ! 陛下にご足労をかけるなんて、そんな……っ! 道を教えていただけましたら、自分で参ります!」


 かぶりを振って恐縮するトリンティアに、ウォルフレッドは書類から顔すら上げず、すげなく告げる。


「ついでだ、かまわん。少しだけ待て」

「は、はい! 待ちます! いくらでもお待ちします!」


 こくこく頷くと、「おい、あまり離れすぎるな」と頭を掴まれ、引き寄せられた。


「は、はい」


 びくびく震えながら大人しく足に身を寄せると、犬でも撫でるようにわしわしと撫でられる。


「ひゃっ!?」

 驚きに思わず声を出すと、「どうした?」と尋ねられた。


「い、いえ……」


 まさか、殴られるのかと警戒していたなんて、口が裂けても言えない。


「まあいい。行くぞ」


 書き終えた紙を巻いて手にしたウォルフレッドが立ち上がる。トリンティアもあわてて立ち上がると、手をとられた。


「っ!?」

「何をしている。来い」


 ウォルフレッドが手をつないだまま、歩き出す。引っ張られるまま歩きながら、トリンティアはうわずった声を上げた。


「あ、あのっ、手が……っ」


 ウォルフレッドが不思議そうに振り返る。


「横抱きのほうがよかったか?」


 抱き上げようとするウォルフレッドを、トリンティアは必死に押し留めた。


「い、いいです! 大丈夫です! どうぞこのままでかまいませんから!」


「お前を抱き上げるくらい、何でもないが」

「そういう問題ではございませんっ!」


 反射的に言い返すが、ウォルフレッドは訳がわからぬと言いたげな顔をしている。


 「遅い」と言われて抱き上げられてはかなわないと、トリンティアは小走りになりながらウォルフレッドについていく。


 幸い、ウォルフレッドが目指す部屋までは、誰にも会わなかった。


 各領主に人員の供出を命じただけあって、王城というのにサディウム家より使用人が少ないのではないかとすら思ってしまう。王城自体が広いので、なおさら人気のなさが目立つ。


「使用人部屋は……」


「ここまで連れて来ていただければ後はわかります! ちゃんとひとりで戻れますので! 本当にありがとうございました」


 不敬と知りつつ、ウォルフレッドが皆まで言う前に、ぺこりと一礼してつながれていた手を引き抜く。何か言われる前にと、身をひるがえして、駆け足にならないぎりぎりの速さで廊下を進む。


 角を曲がったところで、トリンティアは思わず大きく息を吐き出した。


 ウォルフレッドと出逢ってから、初めてほっとできる時間を持てた気がする。


 ここにはウォルフレッドも、セレウスもゲルヴィスもイルダもいない。

 解放感に足を止めて、深呼吸を繰り返す。


 ひとりになって初めて、自分が想像以上に気を張っていたのだと気がついた。


 当たり前だ。本来なら下女に過ぎぬ自分が、本来ならご尊顔を拝謁することすら叶わぬ皇帝のそばにずっといたのだから。


(少しくらい……。ゆっくり行ってもかまわないかな……)


 ひとりきりの時間がすぐに終わってしまうのがあまりに惜しくて、ゆっくりと歩き出す。

 ウォルフレッド達は歩くのが速いので、こうして自分の歩幅でゆっくり歩けるだけでも嬉しい。


 華やかな装飾が施された表から、使用人達が使う裏方へと、ゆっくりと歩いていく。なんだかすごく贅沢ぜいたくをしている気分だ。


 使用人部屋が並ぶ一画に入り、同僚達と三人で使っていた部屋の扉をノックすると、中から「はぁい」と二人の声が聞こえた。休憩時間なのかもしれない。


「失礼します……」


 ウォルフレッドに連れて行かれて、結果的に草むしりをさぼってしまったことを怒っているかもしれない。


 トリンティアはびくびくしながら、そっと扉を押し開けた。二人がそろって振り返る。途端。


「「きゃあぁぁぁっ!」」


 甲高い悲鳴が二人の口からほとばしる。


「ゆ、幽霊……っ!?」


「ば、化けて出てこないでよ……っ! わ、私達のせいじゃないんだから……っ!」


「そ、そうよっ! 恨むんなら皇帝陛下のところに出なさいよっ!」


「あの……」

 抱き合って震える二人に、何と説明すればいいだろうと悩みながら声をかける。


「私、生きていますけれど……」


「「え……?」」


 目を丸くした二人が、まじまじとトリンティアを見やる。

 と、すぐに目が三角に変わった。


「ちょっと! 今までどこに行ってたのよ!?」


「あんたがいないせいで、私達が雑用までしなきゃいけなかったのよ!? どう責任を取ってくれるの!?」


「す、すみません……」


 針のような剣幕に、反射的に詫びる。が、二人の剣幕は収まりそうにない。


「謝って済む問題じゃないでしょう!? どう責任を取るのかって聞いてるの!」


「二日間もどこに行ってたのよ!? てっきり、『冷酷皇帝』に処刑されたと思ってたのに!」


 詰め寄られるが、とっさに答えられない。自身に起こったことを、自分ですら未だに信じられないのだから。


「何を黙ってるのよ!? さっさと答えなさいよ!」


「私達に迷惑をかけた分、これから私達の分まで働いてもらうわよ!」


 詰め寄る二人に答えようとして、気づく。

 二人の髪に揺れているのは。


「それ! 私のリボン……っ!」


 恐ろしい冷酷皇帝に頼み込んででも、どうしても手元に置いておきたかった、エリティーゼに贈ってもらったレースのリボンだ。


「返してくださいっ!」


 エリティーゼが贈ってくれた三本のリボンのうちの二本。

 思わず手を伸ばすと、ぱしん! と乱暴に振り払われた。指先がじんと痛む。


「何言ってるの!? これはもう、私達のものよ!」


「そうよ! 私達が親切でもらってあげたの! 死人にリボンなんか不要でしょ!」


「そんな……っ! 私は生きてます! 返してくださいっ!」


「嫌よ!」

 懇願はすげなくはねつけられる。


「これは迷惑料としてもらってあげたの!」


「そうよ! 迷惑をかけて悪かったって思うんなら、「どうぞお受け取りください」って言うところでしょ?」


「そのリボンだけはあげられません! 姉様にいただいた大切なリボンなんです!」


 エリティーゼの思いやりが詰まったリボン。これだけは、誰にも譲るわけにいかない。


 いつも二人に従っていたトリンティアが反抗したのが気に入らないらしい。二人の目がますます吊り上げる。


「生意気だわ! そもそも、下女上がりにこんな高価なリボンなんて似合うワケがないのよ!」


「これは私達が使ってこそ意味のある品よ! あんたなんかにはもったいなさすぎるわ!」


「そ、それでも私の大切なリボンなんです! 返してくださいっ!」


 なおも食ってかかると、不意にばしん! と頬を張られた。

 久々に与えられた痛みに、頭より先に身体が反応して震えだす。


 痛い。怖い。でも、諦めたくない。


 トリンティアの脳裏に浮かんだのは、昨日見たウォルフレッドの傷跡だった。皇帝であるウォルフレッドすら、戦って傷ついて、自分の欲しいものを手に入れたのだ。


 そう思うと、心の中にほんのわずかな勇気が湧いてくる。

 精いっぱいの気迫をこめて、二人をにらみ返す。


「私はあなた方にリボンを贈る気はありません! そもそも、大切にしまっていた物を勝手に使うなんて、泥棒と一緒じゃないですか! 返してくださいっ!」


「どっ、泥棒ですって……っ!?」


 力づくで取り返そうとすると、二人に力いっぱい突き飛ばされた。


 手加減の無い力に、ぐらりと身体が後ろにかしぎ――、


 固くて、大きなものにぶつかる。

 ふわりと、甘く濃厚な麝香じゃこうの香りが漂った。

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