15 何か、理由でもあるのか?


 言いよどんでいると、トリンティアの心を読んだかのように、ウォルフレッドが促す。


「あるのだろう? 言え」


 命じられ、おずおずとウォルフレッドを見上げる。


「あ、あの、王城に侍女として奉公したら、半年に一度しか里帰りのお休みをいただけないと聞いたのですが――」


「却下だ」

 みなまで言わぬうちに、一言のもとに切り捨てられる。


「お前をわたしのそばから離せるわけがなかろう」


 地をうような低い声に、思わず身体が震える。


「も、申し訳ございませんっ!」

 もう一度頭を下げると、諦めたような吐息が聞こえた。


「……何か、里帰りしたい理由でもあるのか?」


 尋ねる声は、先ほどよりも、いくぶん優しい。かと思ったが。


「無論、辞めると言っても許さんが」


 と、すぐに厳しい声に変わる。トリンティアは顔を上げるとふるふるとかぶりを振った。


「辞める気などございません! それに、里帰りもすぐというわけではなく……。その……。伯爵家の中でただひとり、私を可愛がってくださったエリティーゼお姉様が、いつか結婚式を挙げられる時に、里帰りのお許しをいただけたらと……」


 トリンティアを役立たずとさげすみ、ののしる者ばかりだったサディウム家の中で、二つ年上である伯爵の娘・エリティーゼだけが、ただひとり、トリンティアを妹として扱い、優しく接してくれた。


 ウォルフレッドにぶつかった原因のレースのリボンも、王城へ侍女として上がるのだから、何か身を飾るものを、とエリティーゼが餞別せんべつに贈ってくれた品物だ。


 そのエリティーゼに、密かに結婚話が持ち上がっている。結婚後はサディウム家を出て、夫の領地に赴くことになるだろう。


 そうなれば、トリンティアが会える機会は一生ないかもしれない。叶うなら、世界一美しいエリティーゼの花嫁姿を、この目で見て、祝福の言葉を贈りたい。


「サディウム伯爵家のエリティーゼ嬢と言えば、『銀狼国の薔薇』ともたたえられる美貌の令嬢であり、レイフェルド殿下の婚約者でもありましたね」


 食後の茶を喫していたセレウスが淡々と口を開く。


「レイフェルドの?」


 おうむ返しに呟いたウォルフレッドの眉が寄る。「はい」とセレウスが感情のうかがい知れない声で頷いた。


「しかも、最初、サディウム家の申し出では、王城へ上がることになっていたのは、エリティーゼ嬢のはずです」


「それは……」


 セレウスの言葉に、ウォルフレッドの凛々しい眉がさらに寄る。不快そうな表情に、トリンティアは思わず口を開いていた。


「ち、違うんです! エリティーゼお姉様は、本当はレイフェルド殿下との婚約を喜んでいたわけではなくて……っ。レイフェルド殿下との婚約は、サディウム伯爵が決められたことに従っただけなんです!」


 前皇帝の第四皇子だったレイフェルドが、ウォルフレッドの政敵だったということは、政治にうといトリンティアでも、さすがに知っている。


 ウォルフレッドとの会戦でレイフェルドが行方不明となった時の伯爵の落胆ぶりはすさまじかった。当然だ。エリティーゼをゆくゆくは皇妃にと、野望を描いていたのだから。


 あの頃は、ほんのささいな失敗をしただけでも、癇癪かんしゃくを起こした伯爵に折檻せっかんされたため、伯爵家の空気は常に紫電をはらんでいるかのようにぴりぴりしていた。


 トリンティアも、伯爵の視界に入ったという理由だけで、何度蹴りつけられたことだろう。


 だが、伯爵の落胆とは逆に、エリティーゼだけは婚約の不履行を、表に出さぬようひっそりと喜んでいた。


「どうしても、レイフェルド様を好きだと思えないの。わたくしにはもったいないくらいの高貴な身分で、見目麗しい御方だというのに……。わたくしのことを、身を飾る宝石のひとつとしか思われていないような気がして、仕方がないの……」


 伯爵の命でその日も食事を抜かれたトリンティアを、掃除をさせるという名目で部屋に呼び、内緒で食べ物をくれながら、エリティーゼはこっそりとトリンティアだけに胸の内を教えてくれた。


「お父様のおっしゃることには逆らえないけれど、叶うなら、レイフェルド様に嫁ぎたくないの……。ねぇ、トリンティア。本当はわたくし、好きな方がいるの。たった数度、お会いしただけの方だけれど、とても素敵な方なの……」


 『銀狼国の薔薇』と讃えられる美貌を薄紅色に染めて話すエリティーゼに、トリンティアはどうか姉の恋が叶いますようにと、心から祈った。


 どうか神様。私が差し上げられるものは何でも捧げますから、どうぞこの優しい姉様を、想う方と結ばせてあげてください、と。


 だから、新皇帝より各領主に人員の供出が命じられた時、レイフェルドが行方不明となって婚約が解消となったエリティーゼを、妃候補として王城へあげようとしていたサディウム伯爵に、トリンティアは震えながら懇願したのだ。


「どうか、私を代わりに王城へ行かせてください」と。


 サディウム伯爵が何を目論もくろんだのかは、トリンティアにはわからない。おそらく、伯爵に可愛がられているエリティーゼの口利きもあったからだろう。


 最終的に、トリンティアは願い通り、エリティーゼの代わりに王城へ奉公へ行けることになった。


 まさか、冷酷皇帝にぶつかって、『花の乙女』だと言われるなんて、その時には予想だにしていなかったが。


「サディウム伯爵か……」

 ウォルフレッドが険しい顔で呟く。


 やはり、時季外れに里帰りをさせてくださいなんて、大それた願いだったろうか。

 びくびくしながら返事を待っていると、ウォルフレッドが口を開くより早く、セレウスが割って入った。


「陛下。そろそろ謁見のお時間でございます」


「もうそんな時間か。では、褒美の話はまた後だな。鶏がら、里帰りの話はいったん保留だ。他に何か考えておけ」


「は、はい……っ」


 他に……。と言われても何かあるだろうか、とトリンティアは震えながら頷いた。

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