5 新人侍女は冷酷皇帝に問いかけられる
人ひとり抱えているとは思えない淀みのない足取りで、トリンティアを抱き上げたウォルフレッドが廊下を進んでいく。
「陛下!? これはいったい……っ!?」
進むほどもなく、同僚達の名前を確認するため残っていた青年が急ぎ足で追いついてくる。
鎧を
「急に侍女をかっさらうなんて……。
「そんなわけがなかろう。余計な口ばかり叩いていると、舌を引き抜くぞ、ゲルヴィス」
冷ややかにウォルフレッドが告げたところで、大きな扉の前に着いた。ゲルヴィスが大股に踏み出し、皇帝の歩みを妨げぬよう、さっと扉を開ける。
中は、皇帝の私室らしかった。トリンティアが見たこともないほど豪華な――けれども、どこか空虚さを感じさせる部屋。
「あ、あのっ」
声をかけた拍子にわずかに緩んだ腕の中から飛び出し、今度こそ、大理石の床に額をこすりつけて平伏する。
「大変申し訳ございませんでした! なにとぞ、なにとぞお許しくださいませ!」
答えはない。
いったい、これからどんな目に遭わされるのだろう。私室に連れてこられたということは、噂のように、これから
「名は?」
温度を感じさせぬ声が問う。
「ト、トリンティア・モイエと申します……」
恐怖に震えの止まらぬ声で告げたトリンティアは、さらに強く額を床にこすりつける。
「お願いでございます! 罰をお与えるになるのでしたら、どうか私ひとりだけに……っ! 故郷には
「己が望みを言える立場だと?」
氷よりも冷ややかにトリンティアの懇願を叩き斬ったのは、セレウスと呼ばれていた淡い金の髪をした青年だ。
侍女として奉公する中で、名前だけは聞いた記憶がある。『冷酷皇帝』の片腕と言われる、若くして大抜擢された宰相。
ということは、ゲルヴィスと呼ばれた鎧を纏った黒髪の大男のほうは、『黒い嵐』とも、銀狼国一の騎士とも呼ばれる人物だろうか。
一片の慈悲も感じられぬセレウスの声に、トリンティアはびくりと震えて口をつぐむ。
「セレウス。尋ねているのはわたしだ」
「申し訳ございません。差し出た真似をいたしました」
皇帝の短い制止の声に、セレウスが一歩下がる気配がする。
「『
ウォルフレッドが低く呟く。己の名が古語に由来するなど、初耳だ。
が、反応など許されるはずがない。震えながら身を縮めるトリンティアの背に、ウォルフレッドの問いが降ってくる。
「各領から供出された人員の一人と見たが、どこの領から遣わされた?」
「サ、サディウム領でございます……」
「サディウム領?」
ウォルフレッドの声が
「サディウム領から遣わされたのは、サディウム伯爵の娘のはず。あなたを見る限り、とても伯爵家の娘とは思えませんが?」
「は、伯爵の娘というのに偽りはございませんっ! そ、その養女の身でございますが……っ。参る予定でした姉が、やんごとない事情で来ることが叶わず、代わりに私めが参りました!」
大切な姉・エリティーゼに迷惑をかけてなるものかと、あわてて声を上げる。
「養女、か」
ウォルフレッドがくつりと冷笑をこぼす。
「『
と、ウォルフレッドが一歩踏み出した。かつり、と靴音が固く響く。
「
『冷酷皇帝』に命じられるままに、トリンティアはおずおずと顔を上げる。恐怖と緊張に強張った身体は、少し動くだけでぎしぎしと
トリンティアの前で片膝をついたウォルフレッドが、血の気の引いた顔を
心の奥底まで見通すような碧い瞳でトリンティアを射抜き。
「で、トリンティア・モイエ。お前は何者だ?」
「……な、何者です、か……?」
吸い込まれるような深く碧い瞳を見上げながら、トリンティアは
何者かなど、トリンティアに答えられるわけがない。孤児のトリンティアは、両親の名前さえ、知らないのだから。
「答えられぬか」
ウォルフレッドが目を
それだけで、空気が重く沈み、威圧感に喉が詰まる。唇だけでなく全身が震えて、謝罪の言葉を紡ぐことすらできない。
「トリンティアという名は、誰がつけた?」
偽りは許さぬと、厳しいまなざしで告げるウォルフレッドに、震える唇を苦労して動かす。
「わ、私を産み落としてすぐ、
ウォルフレッドが端正な面輪をしかめて嘆息する。
「……そういう事情ならば、己が何者か知らずとも、当然か」
「っていうか、陛下はこの嬢ちゃんが何者だと思っていらっしゃるんで?」
ゲルヴィスが好奇心を隠す様子もなく尋ねる。
「まさか……」
いち早く何かに気づいて声を上げたのはセレウスだ。
「喜べ」
不意に、伸びてきたウォルフレッドの右手が、トリンティアの
視線が合った瞬間、トリンティアは息を飲んで身を震わせた。
獲物を前にした狼のような王威に撃たれて。
碧い瞳に喜悦を浮かべ、ウォルフレッドが告げる。
「探し求めていた『花の乙女』が手に入ったぞ」
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