二十八話――名など知らぬは非常識らしい


「シオン、あの……?」


「なにか」


「お父さんの名前、なに?」


 こいつはこいつでイミフ。とシオンがクィースへの認識をさらに下の方へ落とした瞬間だが、彼女は真剣で、それでいてシオンの発する答に身構えてごくっと唾を飲んでいる。


 まわりを見るとヒュリアも唖然としつつそれでもシオンの答になにか知れない期待のようなものを寄せてシオンを見ている。耳に痛い沈黙の中、シオンは一言。


「知りえぬ」


 シオンの予想外すぎる答にクィースたちがずこっ、と滑る真似をし、シオンの珍回答に正しく突っ込みを、彼女たちからしたら正しい突っ込みを入れてくれた。


「そんなわけないでしょ」


「うん。トゥティの名前だよ? ド忘れ?」


「己じゃあるまいに」


「失礼な! あたしはそんな薄情しない!」


「薄情結構。あんなものどうでもいいしなにより、両親共に、あいつらの名など聞いたことないので本当に知りえぬだけだ。言っておくが冗句でもなんでもない。あんな」


 あんな毒親共……。そう、罵りを吐こうとした瞬間、シオンの脳内に不意になにかが流れてきた。優しい声、温度、明確な姿は見えないがそれでもその背をいつも追いまわしていたような気がした。一生懸命追いかけてヒサメとふたり甘えていた。そんな


 いつも、笑顔で迎えてくれた。シオンとヒサメをいつも甘えさせてくれたが脳の奥深くに眠っている。叩き起こそうとすると去っていく。遠くから眺めるだけのそれに深く傷つき、今にも泣きそうな自分がいることにシオンはイミフ。だが、すぐ頭を振る。


 これは幻。淋しさのあまり自らつくりあげた偶像にすぎない。こうあってくれたらという一途な願いによって生みだされた悲しく淋しい幻想。そのひとのぬくもりが好きだった。大好きでいつまでも一緒にいたいと願っていた。なのに、お別れを言われた。


 そんなイミフでありえない記憶がシオンを内側から叩く。シオンは頭を振り振り、幻想を追いだして屑籠に捨てようとしたが、どうしてか捨てられない。なので、一時保管。


 なぜ保管などしたのかシオンは自分で自分がわからないが、甘えの一種だ、と自らを切って捨てた。甘やかな幻に縋っていたいと考える自分の愚かしさだ、と。


「そのノビリエンス、とかいうのは誰か」


「ぅえっ!? た、大陸稀代の英雄を知らないの、シオン! 本当に頭大丈夫!?」


「己の脳味噌に不全をつくってやろうか?」


 言いつつシオンは拳骨にした手にはあ、と息を吐きかけている。なので、クィースは首をめちゃくちゃに振って拒否というか遠慮を示してザラの後ろに隠れた。すごく怖い。


 冗談で言っていなさそうなのが最も怖い。やると言ったらやる、を実行しそうだ。


 だから逃げの一手に尽きる。そんなクィースに盾代わりにされたザラとそばで見ているヒュリアは苦笑。メナニスはまだ信じられない、という目をしていたが、折れてくれた。


 そこからは素早い指示で隊を動かした。副官と思しき小柄な男に隊舎に戻り、三番隊と六番隊から人手を借りてくるように、六番隊に武器を整備してもらったら即、地下鉱脈におりて〈魔の物〉を殲滅させ、坑道への穴を塞ぐ作業を提示し、各々で準備を急がせた。


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