第2話 クレマ・語ラーナ
甘いものが好きです。
だって、女の子ですもの。
でも食べ過ぎには注意しないと。
そんな甘いモノ好きの私が出会ったのは、甘い香りを漂わせ、甘いお菓子を作るのが得意な、それでいて今まで出会った誰よりも他人に甘く優しい人でした。
あるいは私は、この出会いを自慢したいだけなのかもしれません。
だから私は語りたいのです。
甘い彼との出会いを、誰とも知らぬあなたに、語りたいだけなのです。
○○○○○○○○○○
高校生活も3ヶ月目ともなると、目新しさは薄れ、ただこなすだけの日々です。友達との会話も帰れば覚えていないような薄い話ばかり。こんな日々を過ごすために、あんなに受験勉強を頑張ったのでしょうか。
きっと部活に精を出している人や、友達が多い子たちは、私がのうのうと過ごす時間の中でも、きっとかけがえのない思い出を積み重ねているのでしょう。部活に入る勇気も出ず、友達作りも苦手な私には、このぐらいの退屈な日々がお似合いなのかもしれません。
いつものように校門を抜け、少し階段を登って校舎に入ります。ちらほら他の生徒もいますが、きっと皆さん朝練に向かわれるのでしょう。私は早めに教室に着き、授業の予習をするだけです。
私の下駄箱は下から2段目、1422と紙が貼られているところです。単純に1年4組の出席番号22番が私なのです。最初は少し取りにくい位置だと嘆いていたんですが、今ではすっかり慣れてしまいました。
下駄箱の扉を開けると、私の上履きの上に見覚えのないものが置いてありました。
丁寧に8の数字のシールで封がされた、白い封筒です。なんとも古風な、ラブレターかと思ってしまうような出立ち。でもなぜ8?
表にも裏にも何も書いていないので、その場で封を開けることにしました。中にはルーズリーフが一枚、四つ折りで入っています。
『急にお手紙を書いてしまいすいません。あなたに一目惚れをしてしまいました。今日の放課後、体育館裏でお待ちしています。』
・・・これは、もしや本当にラブレター?
ラブレターですね。
こんな変わり映えしない日々に、突如青春ビッグイベントが舞い込んできました。周りの目もあるので平静を装っていましたが、心臓ははち切れんばかりにばくばくしています。
しかし気になることが。中のルーズリーフにも封筒にも、差出人の名前がないのです。これでは行く行かないの判断をしかねますが、きっと告白の噂が学校に広がることを恐れたのでしょう。この手の噂はすぐに広まりますから、気持ちはわからなくもないです。
もう一つ、宛名も書かれていません。この下駄箱を使っている姿をみて、その、一目惚れをしてくれたのでしょうか。だとすれば学年も違う方かもしれませんね。
当然関わりのある男の子なんていませんし、本当に誰なのか見当もつきません。
とはいえ初めて舞い込んできた青春らしいイベント、私の心は舞い上がっていました。放課後、体育館裏が見える場所に行き、どんな人がこの手紙をくれたのか確認してから向かおう、そう決まるまで時間はかかりませんでした。
その日の授業は当然上の空。机の中に隠した手紙を何度も確認するばかりで、先生の話なんてこれっぽっちも頭に入りません。昼休みの友達との会話も、いつも以上に薄っぺらいものになりました。
クラスの人気者の渡辺くんが、背の高さを生かした一発ギャグでクラスで大爆笑を巻き起こしていた時も、1人上の空で友達から心配されたほどです。
ラブレターの件を友達に相談しようかとも思いましたが、相手の方は噂が広がるのを恐れている様子、ここは無闇に相談しない方がいいだろうと考えました。
放課後となり、誰かに跡をつけられたりしないよう、殆どの生徒が帰宅なり部活なりでいなくなってから教室を出ました。
向かったのは校舎二階の東階段。そこの窓から体育館裏が見えるのです。
恐る恐る窓を覗いてみたのですが、人の影すら見当たりません。すこし遅めに教室を出たので、流石にもう来ていると思ったのですが。
10分ほど待って、ようやく気付きました。もしや、相手も同じようにどこからか私から来るのを見ているのではと。手紙に名前を書かないほど警戒心が強い方、きっとそうに違いありません。
私は小急ぎで体育館裏に向かいました。
ところが待てども待てども誰もやってきません。
もしや部活中なのではと、部活が終わる時間までも待ちましたが、結局薄暗い最終下校時刻になっても、それらしい人が現れることはありませんでした。
ここまで待って、やっと気づいたのです。これはイタズラであると。あのラブレターは偽物だったのです。
まんまと誘き出された私を見て、犯人たちはさぞかし笑ったことでしょう。期待してソワソワ待つ私の姿はきっと滑稽だったでしょうね。
私は逃げるようにせかせか歩き、学校を出ました。
恥ずかしさと悔しさで肩が震えます。
なぜこんなパッとしない日々を送る私が、ラブレターをもらえたなどと思い上がってしまったのでしょう。
ポケットのなかで手紙を握りつぶすと、ついに我慢しきれずに涙が溢れました。
普通に帰れば5分ほどの道ですが、このまま帰ればお母さんが心配します。涙が止まるまではすこし遠回りをすることにしました。
家の近くとはいえ、あまり通らない道を歩きます。感じたことのない感情に、なかなか涙は止まりませんでした。
ほとんど人とすれ違わなかったのですが、前方になにやら店前のチョークボードを片付けている男性がいました。風貌からするにコックさんでしょうか。
赤の他人とはいえ、泣いているところを見られるのは恥ずかしいので、なるべく道の対岸を通ります。
「・・・おい」
男性を通り過ぎようかという瞬間、その男性から声をかけられました。
急に話しかけられたもので、無視もできずかといって応えることもできず立ち止まります。
「・・・明日店で出すデザートの試作を今から作るんだが、味見してくれないか」
泣いていることに関して何か言われると思っていた私はキョトンとしてしまいました。男性の後ろを見るとこじんまりしたカフェが。なるほど、彼はシェフではなくパティシエさんのようです。
とはいえ私は当然今それどころではありません。
「ずみません、今は・・・」
「いいから。ほら、入った入った」
自分のあまりの涙声にこれ以上口を開くのが億劫になったのか、男性が強引だったのか、私はカフェのカウンターに座らされてました。
店内は甘いお菓子の香りと、コーヒーの香ばしい香りが充満しています。
「すぐできるからちょっと待ってろ」
男性はそう言うと、私の前におしぼりを置いて厨房に向かいました。
顔はもうぐしゃぐしゃだったので、暖かいおしぼりが本当にうれしかったです。
しばらくすると、厨房からバーナーの音が聞こえ、店内に砂糖が焦げる香りが漂います。これだけ落ち込んでいる私でも、思わず嗅いでしまいたくなる香りです。
男性が大きめの丸皿の上に、小鉢ぐらいの器とスプーンが乗ったスイーツを私の前に置きました。
「コーヒーにミルクと砂糖は?」
多少ぶっきらぼうにコーヒーの好みを聞いてきます。
「あ、あの、ブ、ブラックで」
「ん?高校生でブラックなんてませてるな」
「あ、甘い方が好きなんですけど、ダイエット中なので・・・」
私がしどろもどろにそう告げると、男性はカップに注がれたコーヒーにたっぷりのミルクと角砂糖を3つ入れてかき混ぜました。
私の話、聞こえなかったのでしょうか。
「・・・年頃だしな、ダイエットするなとは言わんが、やりすぎは心も痩せるぞ。身体はすぐに太れるが、心はそうもいかん。ましてや・・・」
いいながら男性は慣れた手つきでコーヒーを私のところへ運びます。
「泣くほど心が弱ってる時なんかはな。甘いものは心の大事な栄養分だ、今は甘すぎるぐらいでいいんだよ」
私の前に置かれたデザートから、さっき漂ってきたカラメルの香りが放たれ、そこにミルクを加えたことで優しくなったコーヒーの香りが加わります。そしてカラメルの下はカスタードでしょうか? 卵とバニラの食欲そそる香りまでします。
「どうぞ。明日店で出す予定のクレマ・カタラーナだ」
促されるまま、スプーンで上のカラメルをすこし割ります。その破片と下の暖かいカスタードクリームを掬い、一口いただきました。
泣いていたことなど、すぐに忘れました。
間違いなく、今まで食べた何よりも美味しい。
カラメルの苦味、卵の優しさ、バニラの香り、そしてそれらを決して邪魔せず、整えるように主張するオレンジピール。
何かを口にして感動したのは生まれて初めての経験でした。
感想を言う間すら惜しいと、私はすでに名前を忘れてしまったこのスイーツをパクパクと掻き込みました。男性は何も言わず、2つ離れた席でコーヒーを飲んでいます。
全て綺麗に平らげたあと、コーヒーを一口啜ると、あれだけ甘いもの食べたのに、この甘いコーヒーが口をスッキリさせ、身体に染み渡るのでした。
「・・・あの!とても!本当にとってもおいしかったです!この・・・クレームブリュレ?」
「そりゃよかった。でもそれはクレマ・カタラーナ。よく似てるけどな」
とっくに涙は止まり、初めてまともに男性の顔を見ます。やんわりと微笑む顔が、子犬を拾う不良少年みたいに、慈愛に満ちていました。
「それで? えっと・・・」
「あ、吾妻と言います。吾妻杏子」
「ん。じゃあ吾妻は何で泣いてたんだ」
見ず知らずの人に今日の出来事を話すのは気が引けましたが、成り行きとはいえ、すでにスイーツをご馳走になっていますし、此処で拒むのもおかしいので、全てお話しすることにします。
○○○○○○○○○○
相槌を打つでもなく、男性はただただコーヒーを啜りながら私の話を聞いてくださいました。
「なるほどな」
私が話し終えると、ただ一言だけそういって、男性は何か考え事をしているようです。
何か不快なことを言ってしまったのかと、少し心配になります。
「・・・いまお前が食べたクレマ・カタラーナ、前に店で出したことがあってな」
思いもよらない語り出しにびっくりしてしまいました。私の話、聞いてなかったのでしょうか。
「得意なスイーツの1つだし、こりゃさぞかし人気がでるぞって意気込んで準備したら、結局1回しか注文されなかったんだ」
「えっこんなにおいしいのに?」
「で、次の日、悔しくてクレームブリュレを出したんだよ。材料も作り方も似てるし、クレマ・カタラーナの材料もめちゃくちゃ余ってたし。そしたら、いままでで一番ぐらいすぐに完売したんだ」
「はぁ・・・」
つまりどういうことだろう、ときっと私の顔に書いてあったと思います。
「・・・ようは、名前って大事なんだなってことだ。材料や作り方がほぼ同じでも、お客さんは知ってる名前の方を好むらしい」
「なるほど、たしかに私もケーキ屋さんに行ったら、知らない名前のお洒落なケーキより、ショートケーキとかモンブランを選んじゃうかも」
「だろ?」
男性はぐいっとコーヒーを飲み干し、カップを優しくソーサーに置いた。
「・・・名前が書いてなかったんだってな、そのラブレター」
急に私の話に戻るものだから、咄嗟に声は出ず、コクコクと頷いた。
「吾妻は学校ではどんな立ち位置だ? 誰かからイタズラを受けるほど人気者なのか?」
「いえ、いつも限られた友達とひっそり過ごしている感じです」
「だろうな」
だろうなって。
「そもそもその手のイタズラは、仲のいいおちゃらけた友達同士でやるから盛り上がるんだろ。日頃からいじられるでもなし、ひっそり大人しい女子に仕掛けて楽しいタイプのイタズラじゃないな」
「でも今日私は・・・」
私が口を開いたところで、男性は手を前に突き出して制した。
「まず、差出人の名前も宛名もない偽ラブレター、これはおかしい。本物のラブレターに差出人の名前が無いならわかる。吾妻の言うように、噂が広がるのが嫌だったと考えていいだろう。偽物のラブレターであったもあくまでイタズラなわけだからな、差出人の名前がないとしても不思議じゃない。でも宛名も無いとなると流石に違和感がある」
「まあ、たしかに。でも私の名前を知らなかったのかも」
「実際告白したくて呼び出す場合ならそれもあるだろうが、イタズラを仕掛ける相手の名前を知らないってことはないだろう」
ここまで聞いてやっと、この男性が私の今日の事件がなんらかの勘違いである可能性を示そうとしてくれているのがわかりました。
「もうひとつ、これが1番おかしいことなんだが、このイタズラの醍醐味はネタバラシだろう?やーい、ひっかかってやんのーって冷やかしにいってバカにするのが1番の見どころなはずだ。でも吾妻の場合・・・」
「・・・放置されただけでしたね」
「ならやっぱり、単純にイタズラされただけってわけではなさそうだ」
「本当のラブレターだったかもしれないと?」
「それもない。そもそもこんな凝った演出するやつが、便箋にルーズリーフを使わんだろう。イタズラであることは間違いないと思う」
ええ、いまさらガッカリなんてしませんとも。
「そこで、また名前の話なんだが」
そういえば、この男性のお名前をまだ聞いていないことに気がつきました。なんだか申し訳ない気持ちになります。
「吾妻、お前の出席番号は?」
「?22番ですが」
「『あ』ずま、なのに?」
「先に男子の出席番号順のあと、女子の出席番号になるんです。女子の中では1番最初です」
「ってことは、話は簡単だ」
ぽかんとするばかりの私をよそに、男性はあっさりと導き出された答えを口にしました。
「1段入れ間違えたんだ、出席番号21番の男子の下駄箱とな」
未だに私は理解しきれておらず、そのことも彼からはお見通しだったのでしょう。
「ネタバラシがなかった件、犯人は焦っただろうな。なにせ、体育館裏を見張ってたら全然関係ない女子がずっといるんだから。そしてきっと気づいたはずだ、自分が下駄箱の位置を間違えたことに」
「あっ・・・」
やっと私の理解も追いついてきました。
「犯人はネタバラシもできず、困った挙句に逃げ帰ったんだろう。下手にネタバラシすると吾妻を傷つけかねないしな」
せめてネタバラシだけでもしてくれれば、あんなに遅くまで待ち続ける必要もなかったのに。怒りはするだろうけど。
「出席番号21番の男子は、何か部活でもやってるか?野球とかサッカーとか」
「渡辺くんは確かバスケットボール部です」
「ならそのラブレターに貼られてた数字の8のシール、それが宛名がなかった理由だな」
宛名がなかった理由が8と部活?と私は少し考えました。
「背番号!」
「そう。わざわざ宛名を書かなくても、その渡辺?が見れば自分宛だってわかったんだよ」
私は呆気に取られ、なるほど、としか言えず少し冷めてしまった甘いコーヒーを啜ります。
「まあなんにせよ、タチの悪いイタズラに巻き込まれてしまっただけみたいだな。気にするほどのことじゃない」
そういうとまた男性は、最初見た時のように微笑みました。このお店に入るまでの落ち込んだ気持ちが嘘のように、晴々とした気持ちに包まれます。
「さて、泣き止んだし悩みも解決したみたいだし、そろそろ帰らないと親に怒られるんじゃないか?」
時計を見ると19時を少し回った頃。連絡なしでこの時間は、たしかに怒られます。
「あ、あの!ありがとうございました!お会計は・・・」
「ん?味見しただけだろう。いらんよ」
「じゃあまた!必ずお客さんとしてきます!」
「おお、また来な」
手早くおしぼりを畳んで、席を立ちます。すでにCLOSEの札が掛かった扉を開けながら、閉店後にこんなによくしてくれたのかと改めて感謝の念が湧き上がりました。
「あ、あと!」
「ん?」
「お名前は?」
ああ、いってなかったか、と男性は少し恥ずかしそうに笑います。
「野崎だよ。野崎翔吾だ」
「野崎さん!また必ずお礼に来ます!」
「いらんいらん、客としてなら大歓迎だが」
ひらひらと手を振る野崎さんに一礼してから、私は家へと駆け出します。
その足取りはもちろん、お気に入りのケーキ屋さんに向かうときのように軽やかでした。
○○○○○○○○○○
これが私、吾妻と、野崎さんとの出会いでした。
この日をきっかけに、私は吾妻さんの元へ通いつめるようになったのです。
あの間違いのラブレターにも、今では感謝しています。あのラブレターがなければ、私と野崎さんが出会うことはなかったのですから。
この次の日学校へ行くと、クラスの男子生徒が謝りに来ました。下駄箱を間違えてしまったとのこと。
野崎さんの推理は全て当たっていたようです。
でも笑って許せました。野崎さんとの出会いをくれたわけですしね。
ちょっと甘い気もしますけど。
了
謎解きはスイーツのように 印田文明 @dadada0510
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。謎解きはスイーツのようにの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます